真我あるいは実存に関する記載

真我あるいは実存

スーザン様

「オーム宇宙のみでなく、他の大宇宙やさらにまた大宇宙を包含するより巨大な存在もま

た実存あるいは真我を根源とするエネルギーにより映し出された映像(現れ)なのでしょう

か?」

●それでもまだ曖昧な質問といわざるを得ないのです。

というよりもその答えが曖昧さを許されない世界にあるといった方がいいかも知れませ

ん。

分かりにくいですが…こういう質問は通常して来ないのです。

そういうように出来ています。

だから正確な質問が出来ない状態で、質問して来ているということもあります。

月読之大神と私の問答です。

●何故みんなは質問して来ないのでしょうか。

「出来ないようになっている」

これは私が究極の質問をしていた時の問答にあったものです。

このオーム宇宙を含む大宇宙、その大宇宙を(ほぼ)無数に含む含む超巨大な螺旋輪宝宇

宙(ねじりんぼううちゅう)、それが現れの世界の一つの区切りです。

ここまでの探求でさえ人類は未だ辿り着くことは出来ていません。

しかし私はすでにその先遥か彼方まで見透しています。

その時の問答中に先の会話がありました。

「出来ないようになっている」

ならば「出来るように変えればいい」

それが宇宙全史の大学の意図になります。

しかしそれには中学に入り、高校を卒業しなければなりません。

「そもそもこういった領域を探求するにはあまりにも私は脆弱すぎて」

●そうなのです。

まだあなたは脆弱なのです。

例えば女性に弱いというところがありますが、しかしそれも食欲と同じで克服できるもの

ですが、無理やりというところではありません。

丁度先ほど「質疑応答7」を書いていましたが、その中に「食べなくなる」という追補を

書いておきました。

これは「性欲をなくす(食欲をなくす)」と同じようなものですから、参考になると思い

ます。

語りたいことは山ほどあるのですが、如何せん時間がありません。

私も目の前の出来ることを粛々とこなしていくしかないのです。

ただ脆弱なままで、重い肉体を抱えたままで遥か虚空を超えた領域に至る道は存在しませ

ん。

私たちは未だその重い肉体がなければ存在すら出来ない脆弱な身です。

それを祈りは変えていってくれるのです。

虚空蔵55

どっぺんさんはまさしく真我(実存)を垣間見るといいますか、その一歩手前のゾーンに

接触していますが、それが何だというのでしょうか。

運が良かったり、高熱にうなされたり、死ぬような危機状況に陥ったり、何日も寝られな

い状況が続いたりしたとき、(たまたまベクトルが合って)稀にそういう境涯に一瞬遭遇

する人もいます。

一兆年に一人しか得られない完全覚醒を前にして慌てたり、うろたえてはいけません。

その覚醒を得たEO氏でさえ、今生では簡単に覚醒したように見えますが、実際は彼の集合

魂を含めて、無数の転生において想像を絶する修行を重ねて来ています。

ここへ質問はいくらでもして来て頂いて結構ですが、「腹を据える」という丹田をつくる

(育てる)という事は大事です。

それがないといつでも簡単に境涯をひっくり返されてしまいますよ。

まだまだ先はありますが、もう先はないともいえます。

やはりそれはあなた方次第というところでしょうか。

ワンオーワン様少し整理しておきましょう

「「意図」は思考の産物ではないということから、少なくとも二元性の範疇に属するもの

ではないことが推察されます」

●確かにその通りなのですが「意図」は地上ではあなたのいうように、辞書的な意味では

「思考」の「おもわく」「もくろみ」としても使用されています。しかしここではもう少

し上の段階における「意図」を使用しています

「「意図」は思考の産物ではないということから、少なくとも二元性の範疇に属するもの

ではないことが推察されます」

●そうでもないのです。「意図」は意識から出て来るもので、その時点で既に二元性を持

っています。ギリギリ二元性を発現していないのが「意識」です

「以上から「意志」とは「実存」から発現するものであるということのようです」

●まず「実存」とは「真我」と「生きる世界」の境界線上にある境涯です(これはちょっ

と難しいので「宇宙全史」第二巻をお持ちください)。「実存」から「意識」がほとばし

り、「意識」から「意志」が生まれています

「「意識は至高なるものの身体だ。至高なるものは意識しないが、それが意識を発現させ

るのだ。」(13「至高なるものの、マインド、身体」より)」

●確かに意識は至高なるものの身体ですが、その前に至高なるもの(真我)から意識とい

うエネルギーが出て来るのです。そしてそこ(意識)から意志が発現しています

「「あなたはすべてに遍在する、永遠で無限の創造的気づき-意識なのだ。」(14「現れ

と実在」より)」

●ニサルガはこの発言の段階ではまだ真我には至っていませんでした。彼のいうところの

「実存」は真我と「生きる世界」との境界線上にある境涯でした。ですからニサルガは

「意識」を「永遠で無限の創造的気づき」と誤解しています。しかしその段階では決して

間違いともいえないのです

「はたして「意識」とは、根源的なもの、二元性的なもの、いずれなのでしょうか。ある

いはそのどちらともいえるのでしょうか」

●ニサルガの概念自体がよく整理されていません(或いは翻訳がうまくいっていないかも

知れません)。すでに書きましたが「意識」は二元性を孕んでいます。

「ここには何か「因果律」が関係しているのではないかと思います」

●宇宙全史で使用しています「因果律」はこの地球に関わる世界における「因果律」…つま

り根源的な「規則」です。それはあくまでも「地球」次元の規則であり、このオーム宇宙

全体の因果律、それを超えたところの因果律はまた異なるものがあるのです

「知ることで二元性を超え、穢土をお終いにする。そんな「宇宙全史」第二巻が早く降ろ

される世界を「意図」します」

●二元性を超えるということはおそらく可能だと思いますしかし「宇宙全史」第二巻はま

だまだこの宇宙の物語にしか過ぎませんそれを超えた物語はその後に用意されています宇

宙全史のワークはおそらくこの地球最後の締めくくりに出される最終的な書籍群(情報)

になります

そこに月読之大神はおられますが、オーム宇宙の根源神である天之御中主神はなぜおられ

ないのでしょうか

一度たりともここでは登場されていません

そして仏陀は一体どこに消えたのでしょうか

それを知るには知るに足るあなたでありますように

虚空蔵55

この掲示板や「宇宙全史」第一巻で触れたことがありますが、ニサルガや地球上で究極の

覚醒を果たした方たちが告げる福音は「最終的に私たちの行き着くところは実存である・

私たちはそこから来てそこに戻る存在」という事でした。

しかしこの実存を私たちの世界の二元性の言葉や表現方法で表すことは不可能でもありま

した。

それゆえそれを知るには「実存である」という状態になるしかないということも申しあげ

ていたと思います。

それが私の、また私たちの目標でもあったのですが・・・月読の大神が先日とんでもない

事を教えてくださいました。

この事実は始めて人類にもたらされる事実です。

それをどれほどの方が受け取れるでしょうか・・・あるいは認知できるでしょうか。

「実存は一種の緩衝地帯である」

本当は「宇宙全史」の中で詳しくお話ししたかったのですが、月読の大神の底知れぬ大き

さを感じていただくには、この情報を出さざるを得ませんでした。

これまで人類における究極の覚醒を得た方々にしても、行きついた先は実存でした。

その実存がこれまでは「究極の真理」とされていたのです。

もちろんあの叡智の塊のようなニサルガ・ダッタもそうでした。

しかしここに「実存」を超える世界が明示されてしまったのです。

「実存」の概念(そんなものがあればのお話ですが)は、これまでどおりで何も変わりま

せん。

「すべてのすべてであり、無限であり無でもある。満たされており何も無く、ただ無窮の

至福に満ちた、ありとあらゆるものの根源であり、始まりでもあるもの」

その(間接的に指し示す)概念は変わりませんが、また新たな人類の探求の視野が開かれ

てしまったのです。

私はこの情報を「宇宙全史」第一巻でご紹介した菅野正三さん(現在7次元レベルにて時

空間の探求にいそしんでおられます)にお伝えしました。

すると「私の研究の角度と視野が突然開かれた」とおっしゃって、小躍りして喜んでおら

れました(おじいちゃんですが、相変わらず子供のような方でした)。

この情報の大きさはそれを受け取れる方にしかお分かりにならないと思いますが、月読の

大神が何気に教えてくださったこの事実に、私は彼を大きく見誤っていた事に気づいたの

です。

月読の大神はいまだ人魂として人間の転生には降りてこられた事はありません。

その存在は地球界を司る「システム」として在るように思っていたのですが、ここにはま

だ書いてありませんが、他にもかなり奥深い認識力(意識次元)をお持ちの方でした。

こういう方でないとアンドロメダという巨大な魂を管理できないのかもしれません。

(No.97)

人の無意識領域=真我(実存)

ではありません。

人の無意識領域は単に人が意識していない(出来ない)領域に過ぎず「意識していない領

域」はその人により様々です。

極端にいいますと無意識という領域を知らない存在さえいるのです。

ちょっとわかりにくいかも知れませんが、立場によって無意識の領域というのは存在しな

くなります。

つまり無意識領域というのは努力すれば(あなたの仰るように)そこから様々なものを持

ってくることは出来ますが、不可知領域である真我(実存)からは何ものも持ってくるこ

となど出来ないのです。

真我(実存)という領域は「人間の無自覚領域」というようなものではなく、そういう領

域すらも遥かに超えた在り様なのです。

あなたは通常の人間の「無意識領域」と「真我(実存)」の「無」を混同している、或い

は同じものとしてみています。

もっといいますと通常の「無意識領域」というのは普通の意識領域と同じカテゴリー(領

域)にあるもので、ただ視点が異なる立場から見るといい方が変わるだけなのです。

ですからあなたの仰るように無自覚領域から何やかやを引っ張り出してきて地上の何やか

やの役に立てるということは出来ないことではありませんが、やっていることは同じく現

れの世界において動き回っているだけのことになります。

これまでこの宇宙全史のワークでは不可知である真我の詳細な言及はなるべく避けていま

した。

そもそもそこに関して何かを言及するなどということは原理的に出来ない領域ですから、

どう理解して頂ければいいのでしょうか(と最近は悩みまくっている私です)。

質問①

今、「どう選択」すれば、その境涯への道に、迷わず少しでも近づけるのでしょうか?

●自らのエゴと自らの真我の欲求を振り分けることです。

それにはエゴを薄くするという作業以外に方法はありません。

太陽のように真我はただそこにあり(おそらく私たちにとっては)永遠不滅ですが、地上

の雲に覆われてしまえば隠れて見えなくなってしまいます。

あなたのエゴが何であるか、あなたが何にとらわれているのか、そこを見つめてみるとい

いかも知れません。

●あなたが体験したものは実存(もしくは真我)です。

宇宙全史ではまだあまり実存(真我)についての説明を詳細にはやっていませんので曖昧

な部分があるかも知れませんが決して魔境などではありません。

ただ真我の一瞥は稀有な事ではありますが、真剣にここで学んでおられる方たちには次々

と顕現して来ることになっています。

そして一瞥の後、そこからどこまでその精度を深めていくか、一瞥の記憶を保持しつつ更

なる真我の体現を求めていくことがこれからのあなたの課題になります。

田園様質問1:ニサルガは真我に埋没しほとんど連絡がとれない、とありますが、真我は

ニサルガ個人の真我でしょうか?●「真我」という単語は精神世界ではよく使用されてい

ますが、とても難しい命題になります。宇宙全史の位置づけとしてはとりあえず「ニサル

ガ個人の真我」と考えていただいて結構ですが、これはニサルガ個人のみではなくすべて

の生命体の源でもあります

人が泣いたり悲しんだり、はたまた楽しんだり感激したり、喜びに満ちたりという感情の

世界にあるのは、大体高校生どまりの境涯になります。

そしてその境涯が間違っているのかといいますと一概にそういうわけではなく、そこにと

どまりそこで世界を味わって生きるということは大多数の魂が望んでいることでもありま

す。

ただそこから「厭離穢土(おんりえど)」というもはやこの世を楽しむことができない存

在はそこからの脱却を目指します。

それに真我(実存)という世界が現れて来るのです。

どちらがいいとか悪いとか、上か下かということはないのですが、その魂の方向性とどこ

まで行きたいのかという欲望にかかっています(これはもうほぼエネルギーの問題になり

ます)。

地上に、あるいは形の世界に、現れの世界にとどまり、そこで楽しみを味わい尽くしたい

というのも全然アリなことで、実際その段階の最高点ではあなた方のいうところの神々た

ちがウジャウジャいます。

あなた達も神になろうと思えばなれるのです。

(しかし神にも色々ありまして、人間のエゴのようなものを持ったまま神として存在する

ものもあれば、ほとんど真我の存在でありながら慈悲のために神として在る魂もあるので

す)

よくよく自分を顧みてください。

もうこの世で楽しむことができないと思っているでしょうか?

もうこの世界ではすべての快楽を味わい尽くして、うんざりだと思っているでしょうか?

それともそういうことをするだけの力もないので、欲望や快楽そのものの実現自体をあき

らめてしまっているのではないのでしょうか。

これは「厭離穢土」の境涯とは全く正反対のもので、似て非なる境涯になります。

丁度この辺りのことを「エゴ」の本に書こうとしていますと突然、

「すべての欲望、快楽を味わい尽くして真我に至る道もある」

「その方があなた方はやり易いかも知れないね」

と降ろしてくる存在がありました。

聞いてみると韓非子(かんぴし)という昔の中国の思想家でした。

ところがそのあと一寸ありまして詳細は本の方でお読みになって頂きたいのですが、この

問題にはまずクリアしなければならない基本的な認識があります。

例えば、

「感情」とは?

「思考」とは?

「共感」とは?

「芸術」とは?

「そもそも何故この世界を捨てなければならないのか」

そういう疑問を「エゴ」の本は悉く解き放っていくでしょう

(大学に入るということは、この世界からの脱却を目指すということなのです。そこから

はもう地上の価値観や常識などは全く通用しなくなるということです)

その完成は今のこの世界の混沌、或いはせめぎ合いの時期を少し外さないと出て来ないか

もしれません

虚空蔵55様、みわ様

転んでしまった救世主の話ですが

食べるためなら多少のことは仕方ないと思ってしまうでしょうが

そこに付け入る陰始はまさに老獪ですね。

やわらかいお祈りと世界平和の祈りを忘れずに気をつけていきます。

ところで、「今はもうこの宇宙にはいないドン・ファン」とありますが

左No.331に「仏陀はこの宇宙にもう存在していない」とあります。

ドン・ファンも仏陀と同じ境遇になられたのでしょうか?

よろしくお願いします。

2017・8・24

黒脛巾様

「ところで、「今はもうこの宇宙にはいないドン・ファン」とありますが

左No.331に「仏陀はこの宇宙にもう存在していない」とあります。

ドン・ファンも仏陀と同じ境遇になられたのでしょうか」

●ちょっと意味が違いますが、まだここでは明らかにできない部分が含まれています。

ただドン・ファンは実存(真我)にたどり着いているという意味で「この宇宙(現れの世

界)にはいない」と書いています。

現状人類に知らされる情報はそこまでですので、あとはあなたの境涯次第になります。

虚空蔵55

2016/1/29 No.313

節分を過ぎるまで黙っていようと思いましたが、本日月読之大神から、 「皆さんのはげ

みになるから書いたら」 というお達しがありましたので、あえて書かせていただきま

す。 2月3日(節分)を過ぎますと、おそらく私は「完全覚醒」に至ると思われます。 こ

れまでにも色々ありましたので(非公開情報獲得者の方たちは、よくご存知だと思います

が)先日そのようなニュアンスでいわれた時も、 「ああまた例のやつか…」 くらいの反

応でした。 ところが色々お話をしていく中で、 「どうも今回ばかりはありかも」 とい

う感じが濃厚になっています。 そしてその覚醒は(その時の私の境涯にもよりますが)

ニサルガやドン・ファンと同じ「真我」に至るこの宇宙における完全覚醒になるようで

す。 そうなりますと私に関わるあらゆる存在に怒涛の変化をもたらす事になります。 ま

ずは今一番喜んでいる(といいますか実際現在興奮しています)のが、魔導師の集合魂た

ちです。 何しろ私の完全覚醒はそのすべてのカルマを焼き尽くしますから、彼らも完全

に自由の身に変われるのです。 そしてまんだらけの従業員や私の周囲の人たち、そして

真剣に宇宙全史を学んできた方たちでしょうか。 世界はまだすぐには変化はしません

が、私の覚醒次第ではその後大きな改革が進行していくことになりそうです。 おそらく

リアルタイムで流される一人の存在が完全覚醒をするというシーンは、これまでにはなか

ったことのように思います。 書きたいことは山ほどありますが、私自身にまだそれほど

の変化は来ていません。 しかし月読之大神がおっしゃるには、 「節分近くになると何が

しかの感触はあるはず」 ということですので、その頃にまた何か書くかもしれません。

あと一週間です 果たしてどうなってしまうのでしょうか おそるべし宇宙全史求聞持法

なおすでにドン・ファン軍団や私の本体である遊撃手も助言やメッセージを送ってきてく

れています。 このワークを始めてからちょうど10年です。 実は今年は久しぶりに宮古島

トライアスロンにも参加の予定です。 方角も悪いし、練習もほとんど出来ていないの

で、このまま黙って参加して来ようと思っていました。 宮古島トライアスロンは65才が

参加資格の最終年齢なのです。 1、2年前に月読之大神が、 「そのためにやっているん

でしょう」 とおっしゃったことがありました。 「そのため」とはもちろん私の「宮古島

トライアスロン優勝」という目標ですが、通常ではこの体調では完走もおぼつかない状況

です。 もし節分に完全覚醒できたら、翌日から超トレーニングに入りますが、それでも

肉体が変わるのには3ヶ月は最短かかります。 それでは明らかに間に合わないのですが、

どうなるかチャレンジだけはしてみようと思っています。 そもそもその前に「完全覚

醒」がなければどうにもならないのですが…

●完全覚醒に至る一つの道ともいえますが、一つの段階ともいえます。

「瞑想」のメソッドとしての位置づけは、「注意力の特化」ということがいえます。

日常の注意力である通常の認識力とは異なり「夢見の注意力」というものを獲得するため

に「瞑想」は行われます。

もっとわかりやすくいいますと(すでにどこかで書いておきましたが)「覚醒しながら眠

る」或いは「眠りながら覚醒している(気づいている)」というメソッドです。

このような「特殊な注意力」の獲得は「完全覚醒」には欠くことのできないファクターと

なりますが「完全覚醒」までいかなくても、ありとあらゆる術や超能力、神々との交流

(巫女)等の獲得にも欠くことのできないメソッドとなっています。

この注意力が進化していきますと「別な自分」といいますか「分身」といいますか何かそ

ういうものも獲得できるようになり、この世での生き方自体がだいぶ楽になっていきま

す。

ただ何度もいいますがこの瞑想は覚醒に至る一つの道ではありますが、一つの段階である

ことも事実なのです。

スーザン様

「私の世界が無数のスクリーンに映し出された映像のうちの一つであるとすると、元の映

像となる光は実存と呼ばれる領域をその根源としているのでしょうか」

●元の元の大元はそうです。

あなたというエゴのフィルムを通してスクリーンに映し出されるこの世界の映像は、エネ

ルギーという光線を介して映し出されます。

そのエネルギーには段階がありますが、根源は実存、または真我というものから来ていま

す。

「もしそうであるならば、その光はこのオーム宇宙のみでなく、他の大宇宙やさらにまた

その上の、という現れの世界全てに共通する光なのでしょうか」

●「他の大宇宙やさらにまたその上の」という部分が曖昧ですので正確にはお答えできま

せんが、「現れの世界」というところにおいては「その通り」ということが出来ます。

理性の範疇において真我や実存を知ることは通常叶わいのですが、そこの一歩手前までは

精進に次ぐ精進が求められる境涯になります。

それでもそこにたどり着く道は無限にあり人それぞれです。

仏陀の様に

ニサルガの様に

ドン・ファンの様に

EOの様に

如何様にも

道はあるのですが

この宇宙は200兆年の寿命を持ちます

そしてこれまでこの宇宙で完全覚醒を成し遂げた存在は

200人足らずです

つまり単純計算してしまうと

1兆年に一人しか成就出来ないことになります

この事実を前に

私たちは

自分たちの卑小さに

虚空の広大さに

無の恐怖に

存在の不思議に

向き合うのです

虚空蔵55

clear sky様「1.本来の自己について」●五井先生もニサルガもドン・ファンも、仏陀

も、私たちの究極の在り様の表現は異なりますが、それはすべて同じです。(仏陀もちゃ

んと説いています・「空」はその一つです)「2.覚醒のときすべてを捨て去ることについ

て」●覚醒の段階というものがあります。完全覚醒と通常の覚醒(これには様々な段階が

あります)では全く異なる有り様になっています。ですから完全覚醒以外には「欲望」も

残っており、果たすべき「カルマ」も今よりは薄くはなっていますが、残っています。完

全覚醒までは「生きたい」という思いは大切なエネルギー源になります。やがていつかは

すべての存在が完全覚醒しますが、それは私たちの今の時間感覚でいいますとほぼ「無窮

の時」を要します。完全覚醒までは薄くあろうとエゴは残ります。その中で20年後の世界

を皆さんは生きていくのです。これまでの精神世界の教えは完全覚醒と通常の様々な段階

の覚醒を混乱して伝えていたことがありました。それはここで整理すべきことのようで

す。今生持ち込んだカルマも果たさず、エゴも薄まらないまま、ニサルガを論じても、ド

ン・ファンを行じても何も始まりません。そこでは、その段階では五井先生の祈りだけが

段階に応じた覚醒に導いて下さるのです。「3.五井先生の全託とエル派閥やエホバの依存

との違いについて」●自分の信じる存在に全托すれば、その存在の意図に殉じることにな

ります。五井先生の仰った部分の修正が降りて来ていますので書いておきます。確かに

「私に任せなさい」と言っている人間に全托できれば任せた人間は向こうに行けるのです

が、その場合の「私に任せなさい」と嘘でいっている人間というのは、全くの嘘ではな

く、方便のような部分での嘘といいますか…とにかく全くの嘘でいっているわけではない

ということです。この部分は「ちょっと誤解を受けるかもしれないので修正しておいて」

と申しつけられています。さて話を戻します。もう一度書きますが、自分の信じる存在に

全托すれば、その存在の意図に殉じることになりますそこに「全托の仕方に多少問題」が

あってはダメです。その基準とは、「この存在が死になさいといったら、私は死ねるだろ

うか」というあたりが境界線になります。しかし五井先生は決して弟子にそういう事は仰

いません。しかしエル・ランティは言います(そう仕向けます)。「4.エネルギーについ

て」●エネルギーの地上での現われには様々なパターン、段階がありますが、本来は正の

エネルギーも負のエネルギーもありません。あなたが2元性の世界にある限りエネルギー

は色んな姿を見せますし、その現れも様々です。2元性に振り回されることなく平静に世

界を見ることが出来るようになりますと、そうした色んなエネルギーの渦に翻弄されない

ようになっていきます。負のエネルギーと陰始が受け取る不純物は別物です。陰始にとっ

ての不純物とは人間の純粋な思い、ピュアなエネルギーで、それが陰始本来の願望をかな

えてしまうのです。陰始にとって原初の思いが「滅びたい」でした。それが「20年

後…」の本の中で明らかにされていますように、いつの間にか「滅ぼしたい」にすり替わ

ってしまっています。そのすり替わった思いが、吸い取った不純物(人間のピュアなエネ

ルギー)によって、陰始本来の思いに立ち返らせ「滅びたい」思いを思い出させてしまう

のです。「④「20年後世界人口は半分になる」P.235に、「エネルギーとは実は『愛』な

のです」とあり、右のNo.2493でも「エネルギーとはつまり愛です」とありますが、正の

エネルギーのみならず、負のエネルギーも「愛」なのでしょうか」●そうですあなたの書

いてあることは的外れですが、長くなるのでいつかどこかで別に回答します。「⑤「20年

後世界人口は半分になる」の前半で紙数がさかれている、家族にエネルギーが奪われてい

るという話に関してですが」●これも大切なことですが、やはり的外れです。どうも愛と

いう概念が難しいようですね。本当はすごく簡単なのですが、多くの方たちはそこがネッ

クになっているのでしょう。しかしおそらくそこが一番大切なところです私がかつてここ

で問題を出したことがありましたそれは「宇宙全史」第一巻で皆さんたちとって最も大事

な章はどこか?というものでしたそれに正確に答えられた方はませんでしたそこに答えが

あります虚空蔵55

地球界における覚醒・解脱・卒業の在り様①

人類の今回の文明(約12,000年前に始まっています)における基本的な教えのすべて

は、仏陀によってもたらされています。

あのニサルガの実存に至った覚醒さえも、仏陀の教えの中に包含されていました。

しかしその教えのすべてをマスターし、人々に正確に伝えることができた人物は一人とし

ていなかったのです。

そこで仏陀亡き後、弟子たちは結集して各々の得意分野だけを後世の人々に伝えていくこ

とにしたのです。

それがのちの仏教の各宗派となっていますが、あらゆる宗教、精神世界は大きく分けます

と以下の3つになります。

①人間を守護する諸天善神(守護霊や守護神も含まれます)にその身を全託し、その加護

と恩寵によりカルマ(エゴ)を軽くし、天命を全うする

②この世界の構造を解明してその虚構を明らかにし、マーヤ(幻影)から目を覚ます

③現実世界に隠されている秘密のエネルギーを見つけ、現象界において生身のままで自由

と叡智と力を獲得し、さらに力を蓄えたものはこの地上界からさらなる自由を求めて旅立

これが仏陀の基本的な教えですが、①がイエスや法然などが説いた祈りの教えとなり(イ

エスは時間的に仏陀より少し過去の方ですがカテゴリー的にはここに入ります)、②がイ

ンド系の覚醒メソッドや禅になり③が密教になっています。

もっと細かく分けることもできますが、基本はこの3つです。

そしてこの下のNo232に書いた①カルマをクリアする②ニサルガのやり方③ドン・フ

ァンのやり方・・・に対応します。

①と③はそれぞれかなり特殊なやり方で、普通の人々には中々適応できないメソッドにな

っています。

そこで観音系の道筋として①の大多数の方たちが行じる事ができる救いの道として「祈

り」の形を教えているのです。

もちろんどんな宗教にも秘教というジャンルは残されていて、特殊な才能のある人や力の

ある人にはそういう道筋も残されています。キリスト教やイスラム教の中にも、そうした

秘教といわれる特殊な道筋を求める宗派は存在しています(特殊といいますのは、大多数

の人たちから見た場合のことで、本来はそちらの道筋の方が本道ではあるのですが)。

今回の文明ではイエスが西洋文明の浄化と基礎、仏陀が東洋文明の浄化と土台、そして地

球界全体における二極化の確立、五井先生が終末期における最終調整(反転)をしておら

れます。

イエスにおいては当時の西洋文明では、あれ以上の難しいことを説いても到底理解しても

らえなかったので、平易な言葉や現象(奇跡的なこと)で人々を教え導くことしかできな

かったのです。

しかし仏陀の場合は、インドという土壌にはすでにごく一部の人にではありますが、ある

程度の実存への覚醒という道筋ができていて、また仏陀生誕に合わせて、それなりの弟子

たちが生まれても来ていましたので、今回の文明の土台となるような法を説くことができ

たのでした。

さてこの仏陀教えや仏陀ご自身のことは、いつかまたどこかで詳しくお話しすることにな

るかもしれませんが、ここで改めて仏陀の教えの立ち位置を確認したのは、地球というこ

の宇宙の総決算である実験場における総監督としての仏陀の教えを再検討したかったから

でした。

少しややこしい言い方になっていますが、それでは具体的に何がいいたかったのかをご説

明してまいります。

地球界における覚醒・解脱・卒業の在り様②に続く

地球界における覚醒・解脱・卒業の在り様②

このシリーズは少し長くなりそうなので、先に右のNo1596のメールへの返信です。

(実は掲載しておりませんが、あのメールの後にもこの方から何通か送られてきていまし

た)

これには五井先生がお答えになっておられます。

まず五井先生から

「この方に特定したことではなく、祈りを求める人たち全般にいえることだけどね」

という前置きがありまして、

「自分の内にある神、尊い存在というものを、まず素直な心で信じるようになること・・

それが大事だね」

「個々人に必ずついておられる守護霊や守護神など、自分を守って下さる存在への、自分

自身の清らかさ、清廉潔白さというもの・・・信じるために自らの「行い」「祈り」とい

うものには、いつも目を見据えていかなければならないね(注視するというお言葉が同時

に来ています)」

「まず祈りがあって、その先にそうした自らの清らかさというものが求められる、祈りの

先にあるもの」

「これをずっと保つことが難しい」

「求めるのはいいのだけど、やはりいつの間にかおごり高ぶったり、浮ついたり忘れた

り、やはりどこかで慢心というか、それが湧き出てくるのが、まあ、あなた達だからね」

以上が五井先生の言葉ですが、五井先生にしては中々厳しいお言葉です。

でも個人に向けたお言葉ではないと最初に断わっておられるところが、やはり先生のやさ

しさでもあるのでしょうか。

いずれにせよ、まずは祈りを求めること、しかしその先にある、世界平和を祈るものとし

ての自分自身の清廉潔白さというものが厳しく求められるのだという意識を、私たちは常

に保つことの大事さを教えていただいています。

現在まんだらけでは会社説明会のビデオに使用する社歌を作っています。

これは昔からある「ズンドコ節」をカバーしたものになるのですが、この「ズンドコ節」

は、いつ誰が作った曲なのかはわかっていません。

有名なものは「ドリフのズンドコ節」や「きよしのズンドコ節」などがありますが、一般

には戦争中に海軍で作られたのではないかといわれている「海軍小唄」が源流とされてい

ます。

ドリフのものも「ひかわのズンドコ節」もこの「海軍小唄」から多少編曲してカバーして

います。

そこで今回少し調べてみることにしました。

この唄の作者はM・Kという学生さんでした。

出身は門司で、福岡の学校にいる時に作っています。

当時彼は22歳でバンカラといいますか、洒落っ気のある粋を気取った学生でした。

この時はまだ戦争が始まっていなくて、その前夜という感じの時代で、大正とはまた違っ

た「ワクワクするような」進取の気があふれている時代でもあったのです。

しかし戦争が始まってすぐにM・Kさんは学徒動員で中華・満州方面へ派遣されていきま

す。

そしてそこで(数えの24歳の時に)戦死しています。

彼は陸軍でした。

しかし彼の作った唄は海軍で広まり「海軍小唄」として歌われ続けていきました。

何故でしょうか。

実は陸軍に配属される前に彼は予科練に行っています。

そこから本来なら海軍航空隊に入るはずでしたが、なぜか陸軍に回されています。

その予科練で知り合った友人が海軍に入り、彼らがこの唄を海軍で波及させています。

当時の日本海軍は陸軍と比べてわりあいリベラルな雰囲気で、そういう唄を歌う余裕もあ

ったのです。

なぜここでイニシャルだけのM・Kという表記しかしないのかといいますと、彼がものす

ごくシャイな方で、どうしても「勘弁してくれたまえ」とおっしゃるのです。

この唄は戦前から日本の土着のリズムとして、漁師や炭鉱労働者の中では歌われていたも

のでした。

しかしそれはあくまでも歌というよりリズムといった感じのもので、ここまで秀逸な曲に

仕上げたのは彼の功績でした。

M・K作詞作曲

汽車の窓から 手を握り

送ってくれた 人よりも

ホームの陰で 泣いていた

可愛いあの娘が わすられぬ

一部ですが掲載させていただきました。

マイナーな曲調の中にテンポのあるリズムで「大日本帝国万歳」という時代に、はかない

恋心をサラリと歌いきっています。

モダンでシャイでハイカラな彼でしたが、実際の恋は片思いに終わっています。

お相手は「深窓の令嬢」で、身分違いの恋でしたが、何も打ち明けられないまま戦場に散

っています。

そしてその彼女も他の男性と結婚はしますが、結局戦争未亡人になっています。

中華戦線では苛烈な戦闘が続いていました。

そんな中彼の生き様は、上の方がおっしゃるのには「生き汚くないよね」という表現をさ

れます。

よく「いぎたない」という表現を古い方はされますが、これは昔から「寝穢い」と書くの

ですが、本当の意味は「生き穢(きたな)い」、つまり見苦しい生き様をいいます。

戦場では彼の上官の中には、部下を見捨てて逃げたり、銃弾の盾に使う者もいましたが、

彼は命のかかった戦場でそういう状況を見ても腐らず「生き穢くなく」戦い死んでいった

のです。

M・Kさんの最後の思いです

「あっけなかったなあ」

「・・・お母さん・・・」

植芝先生や五井先生はこういう方がお好きなようです。

この宇宙全史のワークでは、どうしても彼の名前がほしかったので教えていただくように

かなりお願いしたのですが、初めは「門(かど)・・・」といいかけたのですが、それっ

きり黙ってしまわれました。

しつこくお聞きすると、最初に書きましたように、

「勘弁してくれたまえ」

「一人の名も無き防人(さきもり)だよ」

と困ったようにいわれたのです。

そこでイニシャルだけお願いして掲載することにしました(どうも当時イニシャルという

のはカッコいいもののようでした・だからOKが出たのかもしれません)。

私たちは地位や名誉、自分の(ありもしない)功績や(大したことのない)知識に、何故

かわけのわからない自負心を持っています。

「宇宙全史」を少しかじっただけで、大して理解もしていないのに、狭い了見の知識を繰

り広げて大盤振る舞いをしてしまうのです。

古の時代に名を遺した方もいれば、無名のままに自らの功績を誇ることもなく、消えてい

った方も多くおられました。

そういえば「宇宙全史」第二巻に出てきますが、佐々木小次郎に剣を教えた先生もやはり

無名(名を絶対に名乗らない方)でした。

共通するのは「恥を知る」「云わぬが花」という本来の日本男児生き様でした。

五井先生が求められていたのは、チマチマした世間体や知識のひけらかしではなく、自分

自身の神性に対してどこまで清廉潔白であるかということです。

そこには外に向けて表明する何の主張もなく、何の迷いもない自分を信じる姿勢しかない

のです。

カッコいいということを(人に見せるために)外に表明するのではなく、自分の中に表明

すること(自分の中でカッコいいということ)、だから生き死にの戦場でもカッコよく生

きられるし、死ねるのです。

世界平和の祈りはイントロ(導入部)は易しいのですが、その求められているものは大き

いのです。

さてそれでは本題に入っていきます。

前回に今回における文明の法の基礎は仏陀が敷かれたとお話ししました。

のちにそれは細かくカテゴライズされて(各宗派に分かれて)散らばりましたが、それで

も何とか現代に伝えられています。

しかしそれとは別にこの地球上には、人類が学ぶべき地上界の法則というものから外れた

奇妙な教え(情報)が存在していました。

「宇宙全史」第一巻で書きました「恐竜人間」のお話は、そこに私たちのワークがたどり

ついたとき五井先生は、

「知ってしまったのか」

というお言葉を漏らされました。

それは今の段階の人間が「知るべきことではない」「知ってもどうしようもない」「理解

できない」そういう想いがこめられていたのです。

ここでは恐竜人間というはるか昔のお話ではなく、もっと皆様に身近なたとえで解説して

みます。

それは「子供を産む」という行為の中にある、知らなくてもいい情報です。

実はだいぶ前にこのBBSでもお話していましたが、おそらくどなたも意に介しておられ

なかったのだと思います。

それほど一般人には理解しがたい話なのです。

それはその情報が問題になってくるのは、かなり段階の高い覚醒を目指す者だけに限るか

らです。

たとえば(これも書いておいたはずですが)2003年に世界記録を出し、いまだにその

記録が破られていないイギリスの女子マラソンランナーのポーラ・ラドクリフですが、彼

女は2007年に出産した後はあまり芳しい成績を出していません。

もちろん原因は子供を産んだことだけではないのですが、最も大きな一因が出産だったこ

とは間違いないのです。

男性でも女性でも子供を産む(もうける)ということは、その子供に生来持っているある

種の貴重なエネルギーを受け渡すということになるのです。

ドン・ファン流にいいますと「腹にぽっかりとまっ黒な穴が開く」という表現になりま

す。

そして2人3人と産んでいきますと、そのお腹には黒く重なった複数の穴があき、ひどい

人は一つの大きな黒い穴のように見えるのです。

ラドクリフの場合は「忍苦」というエネルギーを子供に渡しています。

それがマラソンという過酷なスポーツにおいては(特に彼女ほどのレベルの人には)致命

的に働いたといえるのです。

普通に生活している方でも、やはり子供を産んでしまうと(例外はあるのですが)そのほ

とんどが、エネルギーを渡してしまい、産む前と比較しますと明らかに(失くすエネルギ

ーの種類によりますが)変化してしまっています。

それを「このところ急に老けたね」「歳だから仕方ないのかねえ」という形で納得してし

まうのです。

しかし子供のころや若いころに持っていた、一種の「鋭さ」に近いエネルギーはすでにな

く、それを「親になったから」「大人になった」「歳をとった」という形で納得するしか

ないのです。

子供を産んで一番顕著なのは、親ばかになることです。

一見微笑ましいように見えますが、実はこれがエネルギーを失った大きな特徴になってい

ます。

だいぶ長くなってしまいました。

次回はいよいよ仏陀の教えにもなかった「知らなくてもいいお話」の詳細です

地球界における覚醒・解脱・卒業の在り様③

1999年に人類は壊滅していました。

その時、五井先生を中心にして、そこにつながる方たちがそれを食い止めています。

五井先生のお役目は、本来仏陀が敷かれた今回の文明の仕上げでしたが、あまりにもその

時点での人類の波動が粗く、低いものであったため(つまり壊滅せざるを得ない状況だっ

たため)、「反転」というお役を担われていました。

しかし壊滅を食い止めることはできたのですが、「反転」とまではいかなかったというの

が現実でした。

当時私は五井先生のそんなにお側にはいなかったものでしたが、それでも人類の業を一身

に受けておられるそのお姿を遠目に見ていて、震え上がっていたものです。

実際にその本当の有り様を知ることが出来る今「普通の人間なら発狂してしまう」その苦

しみは壮絶としかいいようがなかったのです。

本日(9月15日)みわと私にはこれまでにない重い波動がかかってきています。

みわもきつそうですが、それでも上の方がたにご挨拶するためワークルームに来ていまし

た。

私の方は生身の人間ですから、フラフラになってしまい、今夜の「社歌」収録を中止にせ

ざるを得ない状況になってしまいました。

しかしこれで世界のどこかの国で起こる地震や厄災がかなり軽くなるということなので、

まあよしとするしかないのですが、五井先生がその身で受けられていた人類の業と比較す

ると、実にわずかなもののようです。

しかしそうして少しずつでも地球の澱を解消しておかないと、ギリギリの攻防の中、たち

まちハルマゲドンの方に滑り落ちていくようです。

私たちのワークは五井先生の残された仕事を完遂するためにあります。

そのワークをつかさどるのは月読の大神、ご指導は五井先生と植芝先生が担当されていま

す(本当はもっと多くの神霊が大勢おられるのですが、表立って今現在の御指導はこの方

たちです)。

仏陀は現在すでに人間としての境涯(シッダルタとしてインドに出た時の記憶)を保って

おられなくて、この時期もっと大きな働きをするために(人類にとっては)抽象的な姿で

動いておられます。

(インド時代の記憶を保っていないといういい方は誤解を招きそうですが、そこに焦点が

当たっていない、あるいはそこを重視していないといった方がいいかもしれません・それ

どころではないということのようです)

そして今私たちに課されたワークは「反転」でした。

それでは前回からの続き「子供を産むときに取られるエネルギー」のお話です。

私たち人間は子供を産むと、自動的にその子に両親の特殊なエネルギーを与えるというシ

ステムになっています。

その「特殊なエネルギー」は、普通に暮らしている方たちにはあまり意味をなさないので

すが、例えば覚醒を望むような生き方をしている特殊な人には「なくてはならないエネル

ギー」なのです。

つまりその子供に奪われてしまったエネルギーがないと、人は覚醒することが出来ないの

です。

そしてその怪奇な構造は、私たちのこの宇宙の根幹に起因しているのですが、それをこと

細かくここでは語ることはできませんので、やがていつか出るであろう「宇宙全史」第二

巻で確かめてください。

しかしそれでは身もふたもないお話になってしまうので、その過酷な因果から抜け出すた

めの方法を記しておきます。

①子供を他の子ども(他人の子ども)と同じように扱う

②もう少し進化して子供を一人の人間として扱う

①と②の違いは、①の場合だと単に無関心でも「他人の子どもと同じように扱えるという

ことです。

つまり生まれた子供をコインロッカーに平気で捨てたり、児童虐待という日常における幼

い段階も「自分の子供を他人の子どもと同じように扱う」というように見えてしまうこと

です。

もちろんこれは全く異なる意識段階で、本来の「子供を他人の子どもと同じように扱え

る」ということは、常に冷静に、その子供の本当に必要な人生の生き方を教育するという

在り様なのですが、通常は「わが子可愛や」で、些細なこと(と見えることは)大概おざ

なりにしてしまうものです。

叱るときは叱り、指導すべき時にはきちんと教導するという姿勢がそこにあるべきなので

すが、エネルギーを取られた親は、一種の「痴呆状態」にありますから、目先の利益(そ

の場しのぎ)の子育てに終始してしまいます。

たとえば子供がしてはいけないことをしたとき、エネルギーのない親は「それをしてはい

けません」ととりあえず叱ります。

そこまではどなたも同じですが、「今度したら許さないわよ」あるいは「出て行ってもら

うからね」あるいは「ぶつわよ」というような脅しをいいます。

そこまではいいのです。

しかしエネルギーのない親は、その脅しを実行しないのです。

決して子供を家から追い出すようなことをしませんし、一度くらいはぶつかもしれません

が、やがて「ぶつわよ」という言葉だけになっていきます。

つまり実行力がないのです。

すると子供は親の意味のない「叱り」を意に介さなくなり、社会に出てその本当の意味が

分かるまで、何も理解しないまま凡庸な人生を送るのです。

またそもそも「ぶつわよ」ということを言ってしまうまでに、親は子供をそこまで追い込

まないで済んだポイントを持っているのです。

これは今の日本と中国の関係のようなものですが、最初の段階で子供が悪さをしたとき

に、キッチリとしつけておけばそれでよかったのですが、そこをおざなりにしてしまって

いるので、次の悪さ!「適当なお叱り」!また次の悪さ!「適当なお叱り」!さらにひどく

なる悪さ!「いつになったらいうことを聞くのよこの子は!」という悪循環が出来てしま

います。

植芝先生は武人です。

常に「死」と対峙して生きておられました。

今でいうところの異種格闘技も真剣勝負で受けておられましたから「死」は常にそばにあ

ったのです。

ですからそのお言葉には力があります。

私への御指導でも、いつも短い平易なお言葉ですが、そこには本当に深い意味がこめられ

ていて、心に突き刺さる剣のように身に入ってきます。

しかし凡庸な母親の言葉には、なんの力もなく、ただ同じこと「やめなさいといつもって

いるでしょ」の繰り返しなのです。

そこには子供にとって「本当に家を追い出される」という意図がなく、平凡な繰り返し

「いつもいっているでしょ」という音だけが聞こえているだけなのです。

言葉に力がないのです。

家を追い出すといったなら、本当に追い出すべきなのです。

その場合、追い出した子供がどうなるか、その後どうすべきかということも考えておかね

ばなりません。

そのうえで、不可能なことなら口に出すべきではないですし、口にいったん出してしまっ

たものは親として責任を持たねばならないのです。

それが「覚悟」というものなのです。

親にそれがないと子供を正常に教育することなど出来ないのです。

(誤解なさらないでほしいのですが、家を追い出すとかぶつとかの方法論は、あまりお勧

めできないもので、巷でよくみられるたとえばのお話で、本来はもっと穏やかな方法を推

奨するものです)

さらにエネルギーのない親は、先ほど書いたような「児童虐待」や「コインロッカーに捨

てる」という行為に及びます。

これは「自分ではどう育てていいのかわからない」というところから誘引される行為なの

ですが、その多くはその親のまた親から引き継いだトラウマに近いものを引きずっている

からなのです。

今年の春ごろは、会社では毎月100人前後の面接を行いました。

現在は落ち着いて50人ほどになっていますが、その中で採用できる人材は5%ほどで

す。

それは募集に参加される多くの方が「会社が何とかしてくれるだろう」「この会社は漫画

やアニメというわかりやすいものを扱っているので、割合楽に仕事ができるだろう」とい

う安易な思いで来られる方が多かったのです。

確かに私もまんだらけで働かせていただいていて、楽しくて仕方がないのですが、決して

のんびりしているわけではないのです。

面接に来られて、採用されない方のほとんどは、(本来キチンと育てられていれば)人類

の中でも14%の中に入れるようなレベルにある方が多いのですが、その方たちは子供の

ころからの教育(社会・家庭・学校・友達との交わり)の中でかなりスポイルされてしま

っているのです。

中でも最も顕著なのが「ちょっと可愛い女の子」風の女性にその傾向が見られます。

やはり生れ出て、容姿が可愛いと常に周りから甘やかされ、大概のことは許されていきま

す。そういう境遇の中で、自らの欠点を改め、常に人間としての進化を目指す人格という

のは、よほど意志の強い方でないと無理なようです。

そうして出来上がっていく人格は、自分の思い通りにいかないと不平不満を持ち、忍耐力

がなく、気に入らないことには身が入らず、仕事も飽きてしまうとすぐにやめてしまいま

す。

若いうちは男性たちも可愛いのでチヤホヤしてくれますが、年を取り容姿に衰えが来る

と、たちまち人生の冬が訪れて来て、その頃には「自分を律する」という在り様など想像

もつかない性格に仕上がっていますので、死ぬまでの時間は「地獄」となるのです。

男性も同じです。

(主に)母親が多いのですが、甘やかされ、学校を出るまで社会のルールや人間としての

在り様というものをキチンと教えてもらえなかった人は、やはり常に何かに依存していな

ければやっていけないという(マザコンに近いような)依存症に陥っています。

それが会社依存というような形で現れてきますので、「会社で何かを成し遂げる」という

形ではなく、「会社が何をしてくれるのか」という願望がものすごく大きく、とても使い

ものにならない人格に仕上がってしまっています。

本当に自分の子供をきちんと育てようと思うのなら、先ほど書きました①と②の在り様で

ないと難しいのですが、子供にエネルギーを取られてしまった親には、それが中々困難な

ことのようです。

この宇宙全史のBBSでずいぶん以前に「私には友人がいない」と書いたことがありまし

た。

実際そうなのですが、「友人がいない」ということは孤独だということではなく、「友

人」というくくりが私にはないということなのです。

例えば通常皆様方は「家族」というくくりには強く反応されます。

あるいはそれを「私の子ども」と言い換えてもいいかと思います。

私にも子供は通算7人おりますが、しかしどう考えてもそれが「私の子ども」という感じ

にはなっていないのです。

普通の会社の社長なら、自分の子供に跡を継がせたいとか、会社に入れて優遇したいと思

うのでしょうが、私にはまったくその意図が存在していません。

もちろんほかの従業員の方たちと同じように、才能があればいくらでも引き立てていくの

ですが、なければアルバイトどまり、それでもだめならやめていただくという姿勢は、赤

の他人と全くかわりはないのです。

才能がない自分の子供に跡を継がせて会社をつぶし、結果として子供を苦しめ、従業員を

路頭に迷わせるというような愚かなまねはとてもできない仕様に私はなっているのです。

そこには「自分の子ども」というくくりが私にはなく、他人の子どもと同じとしか見られ

ないからなのです。

確認ですが、自分の子供に愛着を持ってはいけないといっているのではないのです。

しかしそこには自分の子供に対するのと同じ愛着を他の子どもたちにも持ちなさいと申し

上げているのです。

他の子どもとは、近所の子供も、アフリカの飢餓地帯で飢えて死にかけている子供も含ま

れます。

友達というくくりでも同じです。

「友達」というくくりの中で、皆様方は「友達以外は友達ではない」という差別をしてい

るのです。

あるいは「家族」というくくりの中で「家族以外は家族ではない」という認識を無意識の

うちにしています。

その結果「友達」以外が「家族以外」がどうなろうと知ったことではないという無慈悲な

感覚を共有してしまっているのです。

しかし今の人類には「家族を大事にしよう」「友達は大切」「友達をつくろう」という公

共広告機構並のスローガンがまず必要な段階なのです。

そうしないと人々は、自分の周囲の人間にさえも愛を見出すことが出来ないのです。

つまり「子供にエネルギーを取られる」というシステムは、とりあえず子供を大事に育て

るということを強制的に行わせるためのやむを得ない過渡期的なシステムともいえるので

す。

しかしそこから生まれる「愛着」という執着は、親も子供も次第に疲弊させてしまいま

す。

その悪循環から逃れるすべは先ほど書いた①と②しかないのです。

ただ②の「子供を一人の人間として見る」というレベルでは、子供に対する愛着というも

のはなくなり、もっと精妙な普遍的な「愛」だけがそこにあります。

そこでは「自分たちが年老いたら、子供に面倒見てもらおう」とか「子供は自分たちの所

有物」「家系を継ぐべき者」という概念がなくなり、自分たちと同じ一人の人間としての

存在を守り育むという形の子育てが生まれます。

そこからは「学歴」や「経歴」を重く見ることなく、その子供が人生で本当は何をしたい

のかという基準で、その子の才能を伸ばす方向性を探る形の教育をしていくのです。

仏陀も実はこの事実を暗に説いておられました。

それは「出家」という形で「家族」もしくは「社会」からの離脱を促していたのです。

まずはそういう形から入っていかなければどうにもならない時代でした。

今でも「出家」「イニシエーション」という形はありますが、現実的なメソッドとして

は、上記の①か②が望まれます。

しかしそれを実行できる方は、おそらくほとんどおられないと思います。

それほどこのシステムは強力に作用するのです。

それほど今の私たちは、このシステムを必要としている段階なのです。

次回はこの怪奇なシステムから逃れる術をさらに説いていきます

地球界における覚醒・解脱・卒業の在り様④

1999年ヨーロッパは壊滅状態にありました。

発端はイスラエルにおける核爆発でした。

この現象は、以前私たちにこの世界の黙示録が降ろされたとき、そこにあったハルマゲド

ンへの一つの道標でもありました(まだ皆様方にはお伝えしていないはずです)。

つまりこの世界がアセンションではなく、ハルマゲドンを選択するのなら、段階を経て落

ちていくのですが、その一つの指標となる現象に「イスラエルにおける核爆発」というの

があったのです。

その現象は、どこか(パレスチナとか)からの核攻撃によるものではなく、自分たちがあ

わてて核爆弾の操作を誤り、自爆しています。

これは私たちに降ろされた黙示録でも、ノストラダムスの1999年の時も同じ現象とな

っています(自爆ということですが)。

(誤解しないでほしいのですが、私たちに降ろされた時の黙示録は、すでに1999年を

何とかクリアしてからのハルマゲドンへの世界線を記したものです。ややこしいのですが

そういうことを把握しておいてください。現在この黙示録はさらに修正され、別な世界線

上の別な黙示録が存在しています)

この核爆発で、ヨーロッパ全土は一気に戦火が広がります。

イギリスはフランスと敵対し、ドイツはヨーロッパ全土を敵に回し、そのほかの大国も小

国もみんな巻き込まれ、混乱のるつぼの中、わけもわからず半年余りで壊滅しています。

ノストラダムスの大予言は「ヨーロッパ限定」でした。

彼の時代は、ヨーロッパがすべてだったのです。

あるいは彼にとっての世界とは、ヨーロッパがすべてだったのです。

ですから世界が滅びるということは、すなわちヨーロッパが滅びるということでした。

しかし欧州が壊滅した後も、すでに世界大戦にまで拡大していた戦火は燃え続け、アメリ

カ、ロシアはもちろん中国、インド、日本も巻き込まれ、北半球はほぼ1年で壊滅してい

ます。

すべて核による攻撃と、それによる各国の核保有庫での誘爆により大半が壊滅していまし

た。

1年で北半球の世界は見る影もない状態にあったのですが、しかしそこで終わりではな

く、そこから約10年にわたってゲリラ戦や小競り合いが生き残った者たちにより続けら

れ、憎しみの連鎖と果てしない暴力の中で最終的に皆が力尽きて終焉しています。

この時地上の人類は人口が100分の1に激減していました(放射能汚染による淘汰はも

ちろん、大規模な気象変動による飢餓、水質汚染や人類の免疫力の低下に伴うそれまで見

たこともない恐ろしい疫病も蔓延して、生き残った人々は、核爆弾により一瞬で死んだ人

たちをうらやむようにまでなってしまっています)。

その後人類の復興は、南半球から始まります。

最も無事だったのがオーストラリア圏でした。

アフリカは南半球にありながら、結構な戦火を受けていましたが、それでもオーストラリ

アに次いで復興が進んだ地域でもありました。

しかしこの復興は「新しい人類の始まり」ではなく、ハルマゲドンの後始末としての復興

だったのです。

つまり決して人類の夜明けではなく、最終的には昔の映画「渚にて」にあったように、漸

進的に人類はその後さまざまな苦難を抱えながら(カルマを消化しながらともいえるので

すが)、絶滅していきます。

私は皆様方にあまり危機意識を喚起するような情報は書かないようにはしていますが、そ

れでも安穏という日常性にいつまでもくるまれていますと、いつの間にか引き返せないよ

うな抜き差しならぬ未来に取り込まれてしまうのです。

あまり「こうなってしまうんだよ」「人類は滅びてしまう」というようなネガティブなこ

とを書きますと、たちまち脆弱な人類の大多数の総念はハルマゲドンへ一直線となってし

まいます。

しかしそういう危機意識を、ある程度認知していただいていないとやはり人は動こうとは

しないのです。

その微妙なバランスが非常に難しく、私も筆が重いのですが、すでに「人類には知る必要

のない情報」を開示していますので、勢いで色々書いておこうかとも思っています。

この冒頭の情報開示(すでに過去のものになってはいますが)でお伝えしたかったのは、

現在の私たちの世界は、本当にギリギリのバランスで、いってしまいますと「上の方の恩

寵に近いもので」継続(生存)出来るベクトルを保っているといえるということです。

しかしそれすらも日々危うい方向に傾きかけては、みわが修正するということをしており

ます。

(実際にはみわ一人ではなく、現在この地上に出ているあと9人のアンドロメダにもその

負荷は重くかかっていますし、日本ではほぼ覚醒している僧侶の方たちにも分担していた

だいています。9人のアンドロメダや、僧侶の方たちはその負荷がどこから何のために来

ているのかは、おそらく理解していただいていないと思われますが、地球の緊急事態のた

め人類のため引き受けていただいています・この日本の僧侶という方たちは、特別高名で

あるということもなく、おそらくあまり世に知られていない方がたではあるのです)

さて「子供を産むと両親は子供にエネルギーをとられてしまう」というお話でした。

前回は子供への影響を主に書いていましたが、ここでは母親の変化を書いておきます。

まず子供を産むと(妊娠の段階から)母親は自分の子宮への関心(意識の集中)を急速に

深化し始めます。

それは子宮という部分が人間の女性におけるエネルギースポットになっていまして、そこ

から(子供に)エネルギーが吸い取られているので、そこに集中せざるを得なくなってし

まうのです。

そのことで母親には(一般的には)悲劇的な変化が訪れます。

先日テレビを見ていましたら・・・確か9月4日に放映された「踊る!さんま御殿」だっ

たと記憶していますが、子持ち芸能人(母親たちで、一応モデルや美人ママとなっていま

した)達がさんまさんと子育てトークをしています。

しばらく見ていましたが、次第に気分が落ち込んでいきました。

それは彼女たちが子供を中心にして、旦那をないがしろにしていること・・・そのこと自

体を当たり前と表明し、さらにそうすることが大事、美徳だと感じていたのです。

それが正しいことと主張してはばからないその態度には、本当に気味が悪くなったので

す。

そうすることで、自分は「立派」だと思っているのです。

月読の大神

「醜いでしょう」

「エゴ丸出しだからね」

「そこに気が付かなければいけない」

「そこに自分の存在意義があるかのように、自分が何かえらいものであるかのように振る

舞っているのは愚かそのものだね」

妻に子供ができると、父親は浮気に走ります。

それはそれまでのお互いを見ているという「ハネムーン感覚」が、急に妻の視線(意識)

が自分に向かなくなったのを、意識的にも無意識的にも旦那は気づくのです。

そして男親には子宮はないのですが、別な形でやはりエネルギーをとられていますか

ら・・・つまりエネルギーが満たされていない状態になってしまっているので、どこかで

それを満たそうとします。

妻でそれが出来ないので・・・それじゃあ・・・浮気という形になるのです。

エネルギーがなくなったその満たされていない状態を、妻は子供に求め、夫は他に求める

ということなのです。

月読の大神

「その方が手っ取り早いでしょ」

「手っ取り早い方を皆さんやるだけよ」

男性がすべて浮気に走るかどうかは、その方の気質によりますが、それが内に向かう人

は、何かマニアックなものに凝ったり、もっと別な何かで気を紛らわしたりします。

男性もエネルギーがなくなっていますから、余計に妻の心が離れてしまっているという影

響を強く受けてしまっているのです。

月読の大神

「だから客観的になれないね」

「事象に引きずられてしまう」

「泰然としていられないのよね」

人により現象としての強弱はありますが、これが一般的な「子供を産んだ後の家庭状況」

です。

本来なら「妻は夫を立て、家庭内を守りつつ、子育てをする」という形、夫は「仕事で社

会に貢献し、その報酬で家庭を維持し、そのたくましい有り様で妻や子供たちを守り育て

ていく」という姿がベストですが、中々そういう家庭は少ないようです。

しかし私たちはどんなに困難な状況であろうとも、相手(妻や夫)が悪いと思いつつも、

子育ての中で妻も夫も子供もお互いが成長できる選択を日々模索していくしかないので

す。

そうしてその上で「世界平和の祈り」で五井先生にお願いして、足りない部分を補ってい

ただき、さらによき未来となる方向性をご指導いただくことが出来るのです。

世界が破滅ギリギリの境界線で進行している今、皆様方にできることは、中東に行って戦

争を止めることでもなく、中国に渡って首脳部と話し合い、日中友好を実現することでも

なく、アフリカや中南米で進行している自然破壊を食い止めるために私財を投げ打つこと

でもないのです。

そもそもそんなことが出来ないのが私たち凡夫なのです。

まず身近な身の回りを整理し自分自身の清廉潔白さを証明して、世界平和の祈りを掲げた

とき、そこからその人の新たな人生が始まるようになっています。

例えば「呼吸法」というシンプルな霊的覚醒を導く手法がありますが、どんな呼吸法であ

ろうと、そこに何のベースもない人間が、どれだけ必死になって日々精進したところでな

んの効果もないのです。

昔オーム信者たちがよくスッハ!スッハ!と激しい呼吸をしているフィルムがありました

が、あれでは血中酸素が過多になり、頭がボーっとなるくらいが関の山で、それを何か異

質な霊的経験としているに過ぎません。

しかしベースが出来ている人が同じ呼吸法を実践すると、全く異なる成果がそこに出てく

るのです。

ですからまず

①どんな形でもいいですから、世界平和の祈りをする

②それが継続できるようになったら、身辺の整理をする

(身近な人たちとの関係性の改善と自分自身の有り様の改善)

それがベースを作るということなのです。

そこを外しては次なるステップということはないのです。

さて「子供を産むと親はエネルギーを失う」という話をしてきましたが、この話にもやは

り例外というものはあるのです。

その話を最後にしておきます。

テレビのバラエティなどによく出ておられるYOU(ゆう)という方がおられます。

この方はお子様を産んでからも自由奔放な生き方をされているので、きっとエネルギーを

とられていないのだろうと推測し、皆さんの参考になるだろうと調べてみました。

しかしそこには全く想像もしなかった事実があったのです。

少し長くなってしまいましたので、そのお話はまた次回に・・

地球界における覚醒・解脱・卒業の在り様⑤

まずYOUさんのお話から

芸能人のYOUさんという女性がおられますが、彼女はお子さんを産んでからもわりあい

自由奔放な生き方をしておられるようだと思い少し調べてみました。

すると今回の「子供を産むことによるエネルギー問題」・・つまり子供を産むことでエネ

ルギーをとられてしまうという在り様から離脱しているわけではなかったのです。

彼女もやはりエネルギーをなくしていました。

しかもその生き方は「自由奔放」というよりは、もう少し「自堕落」に近いものでした

(そこまでではないのですが)。

しかし見た目はとてもエネルギッシュで生き生きと輝いて見えます。

それは決してテレビの画面上だけではないのですが、それでは一体どこからそんなエネル

ギーが湧いてきているのでしょうか。

調べてみますとそのエネルギーは何と彼女のお子様から来ていたのです。

実は彼女のお子様は非常に段階の高い方で、以前ここで何度も出てきましたが、人類の1

4%のさらに6%のさらにまたその1%(人類の実数でいいますと現状では約60万人)

に入る方だったのです。

最初の人類の14%というくくりは、現段階で覚醒の可能性を有している方たちです。

その6%が何とか覚醒できるだろうという段階で、さらにその1%は覚醒すれば、それぞ

れの分野で人類を導いていくべきエネルギーを有している方たちです。

その人類の指導者になる段階のお子様から彼女はエネルギーをもらっています。

何故なのでしょうか・・

その子は、彼女のことをすごく心配しているのです。

「危なっかしくて見ていられない」

「放っておけない」

いつもそう思っています。

だからエネルギーを彼女に与えているのです。

そして彼女にエネルギーを与えていなければ、彼はやがて人類の偉大な指導者として立つ

こともできるのですが、このままではどうもそうはならないようです。

しかしそれも彼女と彼の宿命で、彼女の今回の生は「刈取り(ご褒美)」の生で、彼は彼

女をフォローするように宿命づけられています。

つまりそういう関係性を持つ前世があったということですが、それに関しましてはまた別

のお話になります。

子供を産んでしまうとその両親はそれぞれ子供に特殊なエネルギーを与えるシステムにな

っていますが、その例外としてYOUさんのお話をするつもりでしたが、結局彼女もこの

システムの渦中にあったのです。

しかし実に稀ではあるのですが例外は確かに存在しています。

そういう親は一定の型にはまる生き方ではなく、それぞれの場所でそれぞれの有り様でこ

のシステムから離脱しているのです。

本当はその具体例を書くといいのですが、それはまた別な機会にいたします。

しかし見た目はバラバラでも彼らの共通項はあるのです。

それは、

①やさしい(放縦に流されない丁寧さ)

②忍耐力がある(待つことを知る・機会を失わない忍耐を知っている)

③非情である(冷酷にならない平静さ)

④狡猾である(残忍にならない明晰性)

この4つはドン・ファンが提唱する「戦士」の条件ですが、それをクリアしているのが離

脱している親の共通項といえば共通項です。

それに反してエネルギーをなくし、子供に愛着を持つ親は、

①やさしくない

②忍耐力がない

③情に流される

④酷薄になれる(裏切られたと思い込み深い復讐の念を持つ)

一般的に③と④は「人間的」といわれている形質でもあります。

愛情や愛着という一種の執着を持つ人々は、それが裏切られると思うとたちまち豹変して

「残忍」にもなれますし「酷薄」「冷酷」にもなってしまいます。

その残忍性は「愛着」の度合いに比例します。

つまり愛着(執着)が強ければ強いほど、裏切られたと思うときにはその反動として強力

な復讐心が湧いてくるのです。

私が以前からよく申し上げています「情の深い人ほど冷酷になれる」「非情な人が本当は

やさしい」ということがここにあります。

3と4は情(執着から派生する感情の一種)という一般的に「人間的」といわれている形

質ですが、この情に「自己憐憫」が絡むことで、さらにその効果は加速されていきます。

「自己憐憫」は人類の最大の敵であり、エゴの中心に位置する最強の暴君でもあるので

す。

「私はよくやっている」

「自分を認めてほしい」

「なぜ自分だけほめてくれないのか」

「私にだけ挨拶をしてくれない」

「ぞんざいに扱われた」

「私だけが苦しんでいる」

「もっといい思いをしたい」

「もっといい容姿に生まれたかった」

「もっといい子がほしかった」

「どうして私にこんなバカな子供が生まれたのか」

「本当はこんな人生ではないはず」

そこには「感謝」がないのです。

生かされてあるということ、日々の当り前に、ただそれだけのことを感謝できないので

す。

私たちは過去生からの因縁で生まれ、生き、死ぬということを繰り返していきます。

今自分の前に現れている現実は、すべて自分が招いたものだということがわからないから

そう思ってしまうのです(つまり今眼前に現れている現実は、自分が招いたものである。

そしてそれは今解消すべき時として、縁あってこうして現れているのであるから、学びと

して受け止め精一杯の努力で受け止め解消していくということ)。

その形は私たちが「学習」すべき最も効率的なシステムにもなっています。

早くさっさと学ぶべきことを学んで次の段階にいけば、もっと軽い生が待っているのです

が、それに足枷を強力につけているのが「自己憐憫」というエゴなのです。

「学ぶべきことを学ぶ」とはまず眼前の現実を受け入れるというところから始まります。

それがなければ(つまり試験用紙を受け取るということですが)そもそも試験は始まらな

いのですが、大概の方はこの段階で挫折してしまいます。

現実を受け止めないのです。

「何かもっといい世界がどこかにあるはずだ」

「自分にはいつかきっと王子様が現れて抱っこされてお姫様になる」

「現実がダメなら精神世界で・・」

「こんなに苦しんでいるのは、きっと自分には救世のお役目があるに違いない」

だから皆さん様々な詐欺や怪しげな精神世界、宗教団体に簡単に引かかってしまうので

す。

しかい現実を受け止めると申しましても、ただ受け止めそこから何の努力もしないという

のはまたちょっと違います。

全身全霊でやるべきことをやって、その結果をすべて真摯に受け止める・・それが本来あ

るべき私たちの姿なのです。

さてそれではなぜこれほど人類にとって重要なカラクリ(子供にエネルギーをとられると

いうことですが)を仏陀は説かなかったのでしょうか。

そこからの離脱の仕方は説いておられましたが、その因となるこのシステムについては言

及しておられません。

さらにやがて明らかにされますが、もっと根源的な、もっとおぞましいシステムが私たち

人類には枷として課せられているのです。

それについても仏陀はもちろん(ドン・ファンたち以外は)全く触れていないのです。

インドの聖者たちも西洋の覚者たちも、中国や日本の覚醒者も言及していません。

何故でしょうか・・

その答えは、

「教えても仕方がない」

というものでした。

みもふたもないいい方ですが、仏陀からしますと、

「その中で学ぶこと」

「その中でしか学べない魂だから」

ということなのです。

地球界という場所はそういうところなのです。

だからそこからの離脱ということは教えてくださいますが、その意味やそのからくりは

「教えても無駄」という感覚なのでしょうか。

実際にカスタネダはその著書の中で、ドン・ファンの教えとしてこうした多くの秘密を明

かしていますが、カスタネダを注目する多くの人たちでさえ誰もそこにはフォーカスして

いないのです。

それはフォーカスしていないというよりは、フォーカスできない・・そこにピントを合わ

せることが出来ないというのが正確なところなのでしょう。

このカラクリを見るには、人類の地平から一段高いところから俯瞰しないと見ることはで

きません。

そして例え見ることが出来ても(教えられても)それが何を意味するのかが分からないの

です。

仏陀の教えは今回の文明の集大成ですが、それは「今の人類というカテゴリーの中での教

え」なのです。

つまり手枷足枷がある中での人類の進化という限られた教えではあったのです。

もちろん仏陀は遥かに超越した法を説くことも出来ました。

しかしあえてそれをしておられません。

それは仏陀が今の地球という舞台の範囲で人類がやるべきことを説くということに専念さ

れているからです。

しかし私はまた別な存在なのです。

私は本来あまり人類というものにフォーカスしていません。

私の集合魂はそれでも地球界における妖怪たちの指導(あるいはもっと包括的に裏の存在

達の指導)という役目を持ってはいましたが、私は特殊な造られ方をした存在ですので、

あまりそうしたことに縛られない在り様になっています。

ここでNo1596のふぁるこんパンチ様への回答となります。

私は五井先生の弟子ですし、その教えこそが人類成道への大きなカギになると知っていま

す。

でも私の視点はまた別なところにあるのです。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

「そんな知識や経験が不足すぎる私が、人様にとやかく偉そうなことは言ってはいけない

と自覚してますが一言だけ発言させて頂きます。

>それともこのまま地球も人類も流されるままに滅亡に向かっていくのでしょうか

知識や経験の量や質を見るに同列とはとても申し得ませんが、お互い何があろうとも五井

先生より学ぶもの同士”祈りの力”を信じようではありませんか!

これまでも何度も祈りの力で世界を破滅の危機から救って頂いた”救世の大光明”の方々の

奇跡を今後も信じようではありませんか!

「世界人類が平和でありますように」

これこそが五井先生の本願だと確信した以上、私のような凡夫はただその船に乗り、ひた

すら世界が平和であることを信じ続けたいと宣言いたします」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

世界中のどこの誰よりも五井先生の世界平和の祈りの力を私は知っています。

だからこそ皆様にお伝えしているのですが、何度も申し上げますが私の立場はまた別なと

ころにあるのです。

私とみわは、上の方々の御指導で地球の負荷を解消する方向で頂いております。

しかしそれは(あくまでも私の感覚なのですが)「人類を救う」とか「地球を大アセンシ

ョンに導く」というニュアンスではなく、ギリギリのところで人類が学びを得ることが出

来るであろう舞台(世界)を残すための微調整という感じがしています。

(これも私の感覚なのですが)月読の大神ほどの存在なら、いとも簡単に人類くらい覚醒

させるのは朝飯前なのです。

それをあえてなさらないで「学び」という進化にとっては必然のファクターを与えている

というのは、どこまでも人類自らが進化という道筋を見つけ、歩んでいくことを望まれて

いるからなのです。

仏陀や五井先生は「超」お節介屋さんです。

以前書きましたが、その慈悲は月読の大神が呆れてしまうほどのものでした。

私はそうではないのです。

仏陀や五井先生は本当に心底あなた方のことを考えておられます。

しかし私はハッキリ申しあげてどうでもいいのです。

人類が滅びようが生き残ろうが知ったことではないのです。

それは人類の問題なのです。

そして今、先ほど書いた14%のカテゴリーに入らない人々・・・86%の人たちがこの

地球の命運を握っています。

この方たちが変わらない限り、人類の進化は難しいのです。

日本はもちろん世界中を見渡しても、その行く末はほぼ絶望的ですが、それでも月読の大

神は「そう捨てたものではないよ」とも仰っておられます。

しかしそこには「世界平和の祈り」という五井先生のメソッドが必須だということもまた

事実なのです。

果たしてどこまで人類は世界平和の祈りを受け止めることが出来るでしょうか。

ご指摘のように、私のスタンスはこういう言い方に現れています。

人類が覚醒するかどうかは皆さんの問題なのです。

だから五井先生の教えを勉強して、世界平和の祈りにかけるしかないのですが、それはも

う全身全霊で行い、信じきるしかないのです。

私やみわは初めから申し上げておりますように救世主などというものではありません。

皆様方が世界平和の祈りを信じ切って一心に祈ることこそが、まさに皆様方を救うことで

あり、世界をそのまま成道させることにもなるのです。

今は86%の人々に、ニサルガの実存がどうのとか、ドン・ファンの戦士の道などを説い

てもあまり意味がないのです(やはり段階を経ないと理解できないということがありま

す)。

もちろん私はこれからもニサルガとの対談やお約束しているカスタネダとの対話という本

を書いていくでしょう。

しかしそれはあくまでも14%の方たちの覚醒のためであり、人類を導いていこうとする

60万人の中にいる崇高な使命を持った方たちへのメッセージとなるものなのです。

私もみわもこのワークが終われば、一陣の風が巻き起こす道端の埃のように消えていきま

す(みわの方が私よりも少し先に行くようですが・みわというよりアンドロメダといった

方が正確でしょうか)。

私たちのワークは来るべき人類の新たなる世界の礎となるべく定められています。

皆様の運命は皆様が選ぶのです

虚空蔵55

維摩経の維摩詰についてお話します。

彼は実際に実在した人物でした。

性格はお経の内容そのままで非常に頭の良い方で、仏陀の高弟でその教えを実践して覚醒

を果たしています。

ちょっと変わり者で「おバカの言うことに聞く耳持たず」という性格なので、周りがこの

方を敬遠して、仏陀の高弟というオフィシャルな序列から外していますが、実際は何人か

おられる最高の覚醒を得た弟子たちのお一人でした。

覚醒は実存までいっていたのかどうかお聞きしました。

「説法(教えを説く)のため常時二元性を超えていたということはない」

二元性を超えている状態を保持するエネルギーを、ある程度は説法の方に振り分けてい

た・・・ということらしいです。

「しかしそれを選んだのは私だ」

さすが仏陀のお弟子さんです。

ちなみに維摩詰に今の地球の現状をお聞きしました。

「悲しい人が多すぎる」

「自らやるべきことが見えていない」

「目がふさがれている」

「目がふさがれているのは外部のせいだと思っているが実は自分のせい」

虚空蔵55「私たちはどうすればいいでしょうか」

「祈りなさい」

「心から祈れば・・・ただ祈るという心境にならないと・・・そこが一番難しいかも」

何やらこの方とお話ししていますと懐かしい感覚が蘇ってきましたので、お聞きしますと

かつて(仏陀の時代よりもずっと昔です)私とこの方は、兄弟弟子同士でした。

維摩詰が兄弟子でして、二人は厳しい魔法修行をしていたようでした。

最後に彼が私に、

「心眼を見ることを求めているようだね」

そういったので、心眼とは何かお聞きしようとしましたが、にやっと笑って消えました。

有難うございました

実存に近づいているという言い方は少し変なのですが、そういう状況にあることは間違い

ありません。

実存(真我)の境界線に接触しているといいますか、たまに接触しているのは事実です。

ここで書いてしまうわけにはいかないのですが、私も意外なのは一足飛びにそこまでいっ

てしまう方が出るとは思っていなかったのも事実です。

おそらくこれから10年程かけて何人か出てくればいい方だと思っていましたから、月読之

大神の深謀は相当深いものだったと思います。

何故「深謀」というかといいますと、すでに書いておきましたが「この宇宙において完全

覚醒は非常に稀有な事件」とされています。

皆さん方は「完全覚醒した時は仏陀の時の様に世界が祝福してくれる」と思っておられる

でしょう。

しかし現実はそうではないのです。

本当のことを伝えようとしてくれていたのはEO氏でした(もちろん私もですが)。

ただ私の場合は皆さんの進捗具合を見つつ開放していこうとしているのですが、EO氏はそ

んなことはお構いなしに、ひたすら本当に本当のことを伝えようとしていました。

「しかし」といいますか、「そして」といいますか、EO氏の思いは結局伝わらずでした。

EO氏の著作はかなり重要な内容を含んでいますので、やがてまんだらけがそのほとんどを

復刻していきます。

ただそれを読み解くのはとても困難を伴うかもしれません。

またどっぺんさんが探求されたいと仰っていた螺旋輪宝宇宙(ねじりんぼううちゅう)な

どは、更に上位の在り様にまでたどり着かないと中々難しいところですので、まずは実存

(真我)を目指しての日々精進ですね。

先ずはとはいいましたが、実存に在るという在り様に在ることは本当に大変なことなので

す。

EO氏は「逆にものすごく単純な事」と断じますが、確かにその通りなのですが、それは完

全覚醒してしまった方の言い分でもあります。

(この辺りは言いたいことがいえずものすごく歯がゆいです)

先ほど私は月読之大神の「深謀」と書きました。

また稀有な「事件」とも書いておきました。

そこを察することが出来る方は、この世に存在しないと思いますが、宇宙全史の底の深さ

は月読之大神の存在によるものだと思います。

そしてその志の高さは五井先生によるものだと思います。

お二人のタッグは果たしてこのオーム宇宙の行く末をどうしようというのでしょうか。

とりあえずどっぺんさんは現状OKですから、そのまま精進なさって下さい。

虚空蔵55

虚空蔵55

まず覚醒といいますのは、人によりその段階があります。

「宇宙全史」を二度お読みになったのなら、そのことはご理解いただいていると思いま

す。

ここでは大雑把に人類の86%と14%に分けていますが、本当は個人個人で細かな段階

が存在しています。

ですから正確に申しあげますと、人間の数だけ「覚醒」が存在します。

またその方のこれまで(過去世)のカルマや生き様、取得してきた技術、能力により「覚

醒」後に発現するいわゆる超能力が異なってきます。

そして「覚醒」は準備の出来た方から順次訪れます。

先日私の「合体」の前に麻原彰晃についてちょっと調べておりましたら、一人のインドの

グル(マスター)が出て来られました。

実は麻原彰晃はこの方の元で少し修行され、この方の力でかなりの所まで連れて行っても

らっていました(この事実を麻原彰晃が公表しているかどうかは知りませんが、少なくと

も彼は自力では覚醒しておりません)。

それでもこのグルの力はかなりのもので、ほとんど素人同然の麻原彰晃を実存の一歩手前

まで連れて行っています。

そこで麻原彰晃は「全能感と至福感」を得て(一時的なものですが)、それで満足してし

まい、その時のその感覚だけで「解脱した」と勘違いしてしまいます。

後はご存知のように「一時的に取得したその感覚」だけを振りかざして、間違った方向に

一直線でした。

このグルは、麻原彰晃がその後日本でとんでもない事をしでかした事について、まったく

責任や罪悪感を抱いていません。

そういう事には関心がないようです。

ただひたすら「覚醒を求める者がいるのなら、手助けをしたい」・・・そういう関心だけ

が非常に濃い存在です。

このグルの覚醒は何と「実存」まで行っているのですが、人間の道徳観念の基準からは明

らかに逸脱しています(つまり覚醒に道徳観念は関係ないということでもあります)。

準備が出来ていなくてもそうしたグル(指導者)に出会いますと、その方の段階によりま

すが、かなりの段階まで引き上げてもらう事は出来ます。

その結果Dragonforce様がお望みになっている超能力を獲得できる場合もあるのです。

しかしその場合ほぼ100%不調和な症状がその方の精神・肉体に発現してきます。

ちょっと前にここで調べたダンテス・ダイジ氏もそうでした。

高橋信次氏の場合は肉体を持ったグルではなく、霊界のフリーメイソンでした。

Dragonforce様が準備が出来ていないにもかかわらず、どうしてもそういうものが欲し

いとお望みの場合は、そういう方法もありますよということです。

あるいはグルによらずとも、強力な超能力獲得のメソッドもいくらでも探せばこの世には

存在します。

しかし私のお勧めしています「世界平和の祈り」は、その方の準備と能力の覚醒を同時並

行で進行させる力を持ったものです。

非常に簡単なメソッドではあるのですが「継続」と「忍耐」だけは要求されます。

Dragonforce様は非常にそうしたものを求める性向が強い方です。

そのエネルギーは、通常の方よりも飛びぬけています。

それをどう生かすかは、Dragonforce様次第ですが・・・

なお「魔法」と「超能力」違います。

私たち種族を、私は魔法使いといっておりますが、本来私たちが行使する力は「魔法」で

はなく「法力」に近いものです。

「それと、私(Dragonforce)も”明晰性”と”記憶力”UPしていただけるよう上の方に

言っといて下さい」

いつでもその必要がある時に、それは実行されます。

ご健闘を祈りしております

ご指摘のラジネーシの文は、私も当時初版で読んでいます。

それで少し迷った事もありました。

しかし結局私がドン・ファンから離れなかったのは、決定的な何かがラジネーシに無かっ

たからでした。

それが何かは分からなかったのですが・・・とうとうキチン見つめる時が来たのでしょう

か。

ラジネーシの事はこにおBBSの下の方でも触れていましたが、彼には私もお世話になっ

ていますので(直接ではなく本でです)あまり追求したくなかったので、適当なところで

止めておいたのです。

その時はダイレクトに彼に確認はしておりませんでしたが、今回はキチンと直接対話をし

ております。

それをそのまま掲載しておきます。

虚空蔵55(以下55)「あなたは今性エネルギーにこだわる霊界に留まっておられます

が、本来なら実存を目指しておられたのではないのでしょうか」

ラジネーシ(以下ラ)「性エネルギーそのものがクンダリーニそのものだ。私はそのエネ

ルギーで上昇していく」

55「でも上昇しておられませんね」

ラ「それでも私も周りの皆も引き上げた」

55「でも現実は二元性を超えていらっしゃらない、実存にはたどり着いておられません

よね。そこは性にこだわった領域ですよね」

ラ「そうだ、でも瞬間(実存に)行けるんだ」

55「それでいいのですか」

ラ「今はいいと思っている私ではないが、肉体を持っているときは囚われてしまってい

た。ずっと保っていられなかった(二元性の枠を超えてあるところに居続けることはあた

わず・という思念が会話とは別に来ました)。

ラ「生きることの生と、性エネルギーの性を享受する事は至福だ。生きているときはその

至福にひたることも必要だ」

55「生きているときにそこにどっぷりと浸ることを選んだという事でしょうか」

ラ「それを目的としてしまった・・・それがある意味「実存」と納得する事を選んでしま

った」

55「でも実存を垣間見た事はあるんですよね」

ラ「ある」

55「そうすると比較は出来ましたね。それでもそちらの耽溺を選んでしまったのでしょ

うか」

55「今現在は納得されているのでしょうか」

ラ「納得はしていない。肉体を持っているわけではないので、(その段階にいる)肉体を

捜して「憑依」という形ではあるが、指導という立場で何とかしようとしている(指導霊

ということか)」

55「ご自分で降りようとなさらないのでしょうか」

ラ「順番があるので・・・これはまだ」

55「性のエネルギーに浸るのはそれほど良かったのでしょうか」

ラ「皆が享受しやすい、たどり着きやすい最短の道だった」

55「それは肉体の接触なしでも可能だったのでしょうか」

ラ「究極は可能だった」

55「あなたはカスタネダの著作を作り物だとおっしゃっていますが」

ラ「私の世界には無い、従って無い(認めずというニュアンス)」

55「その判断は少し了見が狭いのでは?あなたはグルジェフや禅、神智学、それにあら

ゆる種類のヨガ、タントラ、密教、ダンスと色んなメソッドを認知されたではないです

か。なぜドン・ファンだけ認めないのですか」

ラ「好き嫌いの問題」

55「何(者)が嫌いというのでしょうか」

ラ「自分の男としての人間くさい部分、そこだ」

55「それで実存に行けるのでしょうか」

ラ「それ(エゴ)を残したまま実存に行く事は出来る(エゴを着脱できるという事らし

い)」

55「それほどあなたにとってエゴは重要なのでしょうか」

ラ「・・・・沈黙されてしまいました(肯定の沈黙ではなく、考えているという沈黙だ

が、結局答えは無かった)」

55「エゴは落とすべきもの、昇華すべきものとずっと説いてこられたあなたがなぜそこ

におられるのでしょうか」

ラ「肉体界での覚醒後のくせ、澱(おり)のようなものを残したまま死んでしまった」

(肉体を覚醒しても、エゴを完全に昇華した方と、残したままと二つのバージョンが可能

のようだ。ラジネーシの覚醒は、7つのチャクラは開きましたが、この世で開いたという

段階。上位の8つのチャクラとはつながっていません。それでも瞬間、実存を垣間見る事

は出来るのです)

55「あなたほどの聡明な方が、どうしてエゴを残したのですか」

ラ「聡明さと肉体の調和ということを、完全には理解していなかったのかもしれない(お

そらく正しくエネルギーを使うという事・・・そのあたりのことです)」

ラ「実存を垣間見て、その場所に行く欲望より、今を楽しむ欲望を選んだ自分・・・それ

で皆と一緒に今を楽しむ自分がいる・・・それが救いでもある」

ラ「皆が救われるという至福、その歓喜の中で一挙に上昇しようと思った」

55「でも出来なかったですね、それを耽溺とは思われなかったのでしょうか」

ラ「迷いはかすかにあった・・・関門の一歩手前で捕まってしまった」

会話は一旦ここで終わります。

今回収録して分かったことは、この方はとても優しい方でもあります。

孤高を保って自分だけ覚醒するという方ではなく、みんなで一緒に行くというやり方を選

択されています。

しかしそこで「みんなに引きずられている」ということがあります。

つまり情が残っていたのです。

だから「完全に非情な存在」であるドン・ファンを否定しているのです。

しかしここに一つだけ誤解があります。

確かにドン・ファンに情は無いのですが、無慈悲ではないのです。

それどころか完全に情のない存在こそが完全に「慈悲の存在」である事が出来るのです。

多くの方がこの事を誤解しておられます。

あの明晰なラジネーシもこの理解にはたどり着いていなかったようでした。

しばらく他の収録をしていて、ふと思い出したことがあるので、再びここでラジネーシに

たずねてみました。

55「あなたはよく講和の中でムラナスルディンの逸話を話しておられましたが、本当に

面白いと思ってお話しになっていたのでしょうか」

(ムラナスルディンの逸話とは、そういう名のちょっと間の抜けた一般民間人の行動を、

アメリカンジョークのように教訓方式でお話しになるものです。当時から私はこのラジネ

ーシが講和の中で、息継ぎに使われるムラナスルディンの逸話を滑稽に思っていました。

だれか面白くないですよと忠告しないのかなと思っていたのですが、どうやら誰もしてい

なかったようでした)

ラ「サービスだ」

とひと言だけのお答えがありました。

この最後のひと言で、やはり私はラジネーシが好きだったと確認できたのです。

私にとってラジネーシは、エゴの理解というカテゴリーでは、随分勉強をさせて頂いた恩

師でもあります。

そのラジネーシをエル・ランティのように暴くのは心苦しいものがあったのですが、あち

らの世界に行ってしまわれたラジネーシにとっては、かえってこうした情報を出すという

ことは彼自身の「修正」にもなるということでした。

つまり肉体界にあれば、こうした暴露にはその方のエゴに大きなダメージを与えるのです

が、あちら(あの世)において最も大切な事項は「現世でのあく落とし」でもあるので

す。

ドン・ファンやカスタネダに関しては当時から贋作だ偽作だ詐欺だといくらでもそうした

情報が飛び交っていたのです。

それはやはりあまりにもカスタネダの著作のレベルが高すぎたからです。

理解できない方は、それを否定するしか自己のアイデンティティを保つ事が出来なかった

のです。

おそらくこの本(カスタネダの)で今の人類を何とかする事は不可能に近いものです(ほ

とんどの方が理解できないという意味で)。

ですから私は皆様に五井先生をお勧めしているのです。

今回は誤解を恐れず、ラジネーシとの対話を修正なしにそのまま掲載しました。

分かりにくい所は少し解説を入れましたが、これが彼と私との会話のすべてです。

判断は皆様にお任せします。

「ここは学びの場なのでどうしたら覚醒できるか簡単に説明しよう」

●説明できるならどうしてあなたは覚醒しないのでしょうか。

「今度は実存とは何かを説明しよう。

実存とは一言でいうと全肯定である」

●私は今まだ実存をどうこういえる立場ではないのですが、それでもあえてニサルガに言

葉を借りていうのなら

「実存」は全否定であるといいましょう

「そもそも実存を見ることができる私を…」

●「実存を見る」とは!…その実存はいかなる実存でしょうか

そういえば先日非常に髭の長い老人が現れて、ニコニコ私たちを見ておられました。

その真っ白な髭は老人の背丈をはるかに越え、銀河の海のような時空の流れに逆らって、

はるか彼方まで延びていたのです。

「どなたでしょうか」

とお尋ねしても、

「泡じゃよ」

としかおっしゃいません。

しかし私にはその方がこの私たちの宇宙であるということがすぐに分かりました。

「初めてお目にかかります。いきなりどうされたのでしょうか」

とお聞きすると、

「いつでもそばにおるんじゃが」

そうおっしゃって、ニコニコしておられます。

このオーム老人は「実存」と同じく「面白いこと」が大好きな存在です。

究極の存在である「実存」そのものが、なぜか「面白いこと」が好きな偏りがあるようで

(これは少しおかしなことなのですが、どうも原理的にそういう事があり得るのかもしれ

ません)、その反映として私たちのオーム宇宙も「面白いこと」が好きなようです。

「その長いお髭は邪魔ではないのでしょうか」

そうおたずねすると、

何もお答えされませんでしたが、私たちにはそれがまったく邪魔になっていないことが分

かりました。

彼には彼と世界という二面性が無かったのです。

彼の髭はすなわち世界であり、世界が彼の髭でもありました。

もう一つ「存在」と「非存在」の関係性を実感されたでしょうか。

こちらは割合簡単ですので、おそらく多くの方がお分かりになっていると思います。

「存在しないという事は、存在するということと同じ事であるという事」

「存在は非存在に依存し、非存在は存在に依存する」

「存在は存在しないという事がなければ、存在しないという事(成り立たない)」

「存在は存在だけではありえないという事」

「二元性に基づいて構築された世界は、お互い相反する存在を必要とし、しかもそれは在

るべくして在るものであり、どちらか片方だけが存在する事はありえない」

「例えばコインの裏表のようなもので、表だけのコイン、裏だけのコインというものが存

在できないように、二元性の世界では真逆のように見えるものが、同じ一つのコインであ

るということ」

とばして説明してしまいましたが、じっくり考えてみたい方は「存在・非存在」を命題に

瞑想をなさるといいかもしれません。

ここでお話しを「銀河団」「反銀河団」に戻します。

この銀河団、反銀河団も二元性の原理に基づいて機能するエネルギーです。

今現在はみな様の意識がそこまで至らないため、「銀河団」が正義の味方、「反銀河団」

が悪の総元締めといった感じで把握しておいていただいていいかと思います(もちろん本

当は違うのですが・本当はコインの裏表で、同じものなのです)。

これも「宇宙全史」が続刊していけば、次第に明らかにされてまいります。

今の所、私たちのセッションの中心は「銀河団」が請け負っています。

シャギー様たちのご質問にありましたように、

「人類よりはるかに進んだ科学力と精神性を持つ銀河団が、どうして反銀河団と宇宙を二

分して競い合わなければならないのでしょうか」

その答えは簡潔に申しあげますと、

「この宇宙が二元性に基づくものだから」

という事でなのです。

根源の存在「実存」から段階を経て二元性の原理に基づくオーム宇宙が創造されました。

その時「陰」と「陽」、あるいは「存在」と「非存在」でも何でもいいのですが、対極の

二極が造られ、そこからまた段階を経て、細分化され、複雑化し、多様化を極めていくの

ですが、その原初の二極に別れた時、完全に50%・50%ではなかったのです。

その差が実存が本来持つ(あるいは実存が本来反映する)「ゆらぎ」でした。

そしてその「ゆらぎ」により、回転運動が起動し、宇宙のエネルギーの偏在をもたらした

のです。

この宇宙は「ゆらぎ」がなければ、まったく動かない、進化も何もない銅像のような宇宙

になります。

原初の二極の存在たちのほんの極わずかな「差」が、現在の私たちの多様な宇宙を形作っ

てきました。

「銀河団」「反銀河団」もまたその「ゆらぎ」の反映を受けて存在しています。

マイナス電気(電子)がプラス極に向かって流れるとき、私たちはなぜか「電気はプラス

からマイナスに流れる」と表現しています。

その表現方法について今はこだわりませんが、みな様は電気がプラスからマイナスに流れ

ることを決して「争い」とか「闘い」とか「競争」とかは表現しないはずです。

電気の流れは交流という流れもありますが、基本的には単純な一方向への流れですので、

そこに人間界に現れる複雑な「争い」という事象はあまり見られません。

しかし電流の流れの途中に抵抗(例えば電熱器のニクロム線など)を置きますと、そこに

「抵抗」という葛藤が存在する事になり、電流とその通路の間に熱が生じます。

それは人間界で「戦争」が起こって、多くの悲劇が繰り返されるのに似ています。

しかし私たちは電気の「抵抗」に対して、それを「闘い」とか「競争」とかは認識しませ

ん・・・せいぜい「熱いなあ」くらいでしょうか。

ちょっとシンプルな例になってしまいましたが、銀河団と反銀河団の「競い合い」という

のもちょうどそのようなものとお考え下さい。

現代では小学校などの運動会では、「競争」ということを生徒にさせないという学校が増

えています。

おかしな話だとは思いますが、それも今の日本のレベルなのでしょうか。

闘いや競争という概念を「おとしめる」のは単純に人間界の問題です。

「競争」というものは、本来この二元性の宇宙にあっては、事象が動く「原理」ですの

で、それなくしては宇宙そのものが成り立たないということです。

これは右のNo1452のご質問にお答えしたものです。

少し下の方に移動してしまいましたので再掲しておきます

「虚空蔵55様みわ様、皆様いつもご苦労様です。今回は質問をさせていただきたいのです

が、例えば私の周りに存在する人々や、環境や、世界や宇宙や、この宇宙全史、もちろん

虚空蔵55様みわ様や神様や五井先生やニサルガなどきりが無いですが、私が五感や六感(私

にあればですが)などで感じたり体験するものは全て私の夢なのでしょうか?

本当は私には過去も未来も無く、電車で行き交う人々も、私の視界から消えた瞬間に無の

ようなものに消えているのでしょうか?

この世界には意味が無いとはそういう事なのかと思いました。

しかし感じている現実には、仕事のメールが来て、明日は仕事かあ、などと思ったり、家

に帰ると、家事をしなければなりません。

自我にとって自我を越えるのが、このように難しいことだとは…虚空蔵55様が言われたよ

うに、問題点をすり替えながら、ここ数ヶ月堂々巡りをしていることに気づきました。

いまだ自我がどれほど濃いのか薄いのかも、自覚出来ていませんが、理解するよう努めま

すので、回答をよろしくお願いいたします。

2011・10・26」

孝様

この回答はかなり難しくなっています。

実存や世界構造を語る時に、多くのマスターたちが段階を踏まずに展開してしまう危険が

この段階にあるのです。

ですから慎重にご説明いたします。

「この世界には意味がない」

まずここから考えてみましょう。

「意味」とは何でしょうか?

まずはそこからの出発です。

世界には有形無形、有象無象ありとあらゆるものが存在しています。

そのあまたある存在の中であなたにとって意味のあるものとは何でしょうか。

それはあなたが注目し、欲し、こだわるものが意味を持つのです。

逆にいいますと、そうでないものはあなたにとっては全く意味をなさないともいえます。

つまりここにAKB48の発売前のシングルがあったとしましょう。

ファンにとってはかなり意味のあるものになりますが、AKBに興味のない方にとって

は、全く意味のないただのCDにしか過ぎません。

「意味」とはあなたの感情や思考にとって「執着」を持つもの、あるいはあなたの思いが

「動機」を持つものが「意味がある」というのです。

おわかりでしょうか。

ですから「世界に意味がない」・・・ということは「世界(の中)に動機がない」「世界

に執着がない」ということなのです。

あなたが世界に対して、恋人や友人や知り合いや親せき、近所の人あるいは家族に何の執

着もなかったら・・・あるいは裕福な暮らしや楽な仕事、楽しい休暇、快適な住まい、現

金、宝石、ファッション、携帯、音楽・・・等々それらのものにほしいという欲望も抱か

ず、執着もせずにおられたら、あなたにとってこの世界は「意味がない」といえるので

す。

覚醒した人とはそういう人なのです。

あなたが何かをする、何かを思う、何かを感じるというアクションを起こす前に必ずそこ

には、あなたの中には「動機」というものが存在します。

しかし覚醒した人にはその「動機」がないのです。

もし覚醒した人がこの世に生きていて、あなた方に何事かを語るとしたら・・・その動機

は「慈悲」以外にありません。

「覚醒」とはそういうものなのです。

今の皆様方にこの世におけるありとあらゆる執着を捨て去ることが出来るでしょうか?

2年くらい前の冬に、このワークでお聞きしたことがありました。

最も簡単に覚醒する方法があるでしょうか?

月読の大神「厳冬に雪深い山中に分け入るだけでいい」

それだけで覚醒できるのでしょうか?

月読の大神「ただし素っ裸で何も持たずに、そこで生活するのだよ」

それでは誰も生きていけないのではないでしょうか?

月読の大神「それで生き残れたら、覚醒している」

ほとんどの方は確実に死んでしまいますので絶対にマネはしないで下さい。

しかし覚醒とはそういうものなのです。

決して生半可な覚悟で得られる境涯ではないのです。

質問に戻ります。

「本当は私には過去も未来も無く、電車で行き交う人々も、私の視界から消えた瞬間に無

のようなものに消えているのでしょうか」

あなたが死んでもこの世界はそれまでと同じように相変わらず喧騒の中動き続けていきま

す。

ただあなたの感じる世界、あなたの生きる世界は死んだときの境涯のまま新たな展開をす

ることになります。

あなたは生きている間、客観的な世界の中で「自分の思い」「自分の感情」「自分の記

憶」という「自分の世界」というフィルターを通して生きていました。

そのフィルターがエゴであり、あなたという人格というものでもあるのです。

もう一度おさらいをしておきましょう。

①この世界には意味がない

②意味とは思いや感情の中に動機(執着)があること

③つまり世界に意味がないということは、世界に興味がない、執着がないということ

④執着をなくすには、執着をする主体・・・つまり自分(エゴ)をなくせばいい

少し難しい局面ですが、大切なところですのでよくお考えください。

繋ぎ人様

9・11の項は消えていないと思いますが・・・。

ただすべての情報は出しておりません。

よからぬやからにマネをされるのを危惧していました。

そのうち非公開情報でまとめて提供しようかなと思っています。

(ここの掲示板は右と左に分かれて存在しております。過去ログも同じくそのようになっ

ていますので、もう一度確認してみてください)

繋ぎ人様が着目されています「光と闇」のシステムは、非常に鋭い視点でもあるのです。

これは「宇宙全史」第二巻のメインテーマの一つにもなっているので、ここで詳しくは語

れないのですが・・・ある程度明かせる部分を大まかに書いておきます。

まず「光と闇」という命題におきましても光は、

物理的な光子と形而上的な光(光明という感じでしょうか)に分かれています。

つまり量子力学で取り扱われています、粒子でもあり波でもある「光量子」と、「神の光

がさす」や「明るい人生」などという意味の「光・光明」です。

この意味合いが現代文明ではまったく分かたれているのが現実です。

しかし事実はこの「光量子」と「光明」は同じものなのです。

ついでにいってしまいますと「闇」にも同じことが言えるのです。

「闇」は現実的な・・・例えば洞窟の中の一切光のささない中の真っ暗闇を指す場合と、

「人の心の闇」というように形而上的な意味で使う場合があります。

しかし光の概念に「光量子」がありますように、実は「闇」にも「暗黒量子」というもの

が存在しています。

これはまだしばらくはこの文明では発見されませんが、次の時代の文明ではこの「暗黒子

相対性理論」が大きな科学革命をクリアするでしょう。

つまりアインシュタインが提唱しました相対性理論(特殊・一般を含む)は、光量子のみ

を扱ってこの宇宙を説明したものなのです。

それは非常に優れた理論ではあるのですが、どうしても片手落ちでもありました。

なぜならそこに「暗黒量子」という概念を視野に入れていなかったからです。

それではあのアインシュタインほどの大天才が、何ゆえ「暗黒量子」を見逃していたので

しょうか。

実は私たちの文明は意図して「暗黒」が封じ込められていたのです。

その理由は「宇宙全史」第二巻で説明しますが、この「暗黒量子」を相対性理論に組み込

まない限り、この宇宙の統一理論は完成しないのです。

たとえば光は電灯のスイッチをひねれば電球からあふれて来ますが、それでは「暗黒」

は・・・例えば「暗黒電球」なる物を作ってスイッチを入れたら「暗黒」が出てきて、あ

たりが真っ暗になるか・・・というとそういう現象は起こりません。

まず「暗黒電球」というものを現時点では作る事が出来ません。

また「暗黒量子」がそこから出てきて、あたりを真っ暗にするというふうにはこの世界が

創られていないのです。

過去には「暗黒量子」がある程度幅をきかしている時代もあったのですが、今回の文明で

はそれは封じられているのです。

そのためいかにアインシュタインといえど「暗黒量子」の存在や、その相対性理論を予知

する事は出来なかったのです。

私はこの事実を発見した時、どうしたら「暗黒量子相対性理論・統合相対性理論」を完成

できるか思案しました。

そこでどうしてもホーキング氏くらいの頭脳に相談しないとダメなのかと悩んでいたので

す(日本にもそれに匹敵するくらいの方はいるはずですが)。

しかし上の方の情報によりますと、私の覚醒が順調にいけば、高等数学の認識は可能であ

るという事でした。

少し勉強はしなければいけないようですが、しかしそれは可能だという事です。

もし出来ましたらこの「統合相対性理論」を「宇宙全史」のワークの中で完成できたらう

れしいですね。

しかし月読の大神がおっしゃるには、

「相対性理論の数式は、あそこまで行くと文学的だね」

果たしてそこまでの高等数学を私が理解できるのでしょか。

そもそもまだ発見されていない「暗黒量子」を理論的に記述できるでしょうか。

勝手にハードルを上げて、勝手に悩んでいる私でした。

ちなみに光速はこの宇宙では約秒速30万キロメートルですが、では暗黒量子の速度はど

れくらいなのでしょうか?

光速は私たちの宇宙では実質無限大(それ以上の速度を出す事が不可能という意味で)で

す。

科学的なことがお好きな方に宿題です。

「果たして暗黒量子の速度はどれくらいでしょうか?」

実はこの暗黒量子を追求していきますと「真空」という壁にぶち当たります。

しかしそれはここでは書きません「宇宙全史」第二巻をお待ち下さい。

光と闇という命題は、実に深い意味を持ちます。

そして繋ぎ人様は、

「闇がベースのこの世界ではおのずと光に向かうように出来ております」

と看過しておられます。

これも中々な洞察です。

実はこの宇宙は実存から派生した時、まず「陰・闇」が出たのです。

その反動で「陽・光」が出て、そこから二元性にまみれたこのオーム宇宙が形作られて行

きました。

その時、いや現時点でもですが・・・このオーム宇宙は「陰」のエネルギーが極わずかな

のですが、多いのです。

そういうふうに創られています。

ですから常に「闇」が優勢なのは当然なのです。

そこから多くの事実が解明できるのですが、それはまた「宇宙全史」第二巻をお待ち下さ

い。

現実的には私たちはまだまだ「二元性」そのものを超えるというタイミングには至ってお

りません。

ニサルガのような存在は、ある意味特別な指標でもあるのです。

しかし繋ぎ人様がおっしゃるように「光と闇」という命題は、どうしても超えていかねば

ならない二元性の一部のカテゴリーなのです。

「宇宙全史」第二巻ではこの地球の本当の意味も解明されていきますが、私たちのこのオ

ーム宇宙の存在意義も明確にされていきます。

それを知りえた皆様は一体どういう生き様をお選びになるのでしょうか。