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質問5 ヤツメカワウソ様

 

お久しぶりです。たくさんお祈りをした甲斐があって、色々な発見や成長がありました。また、マンガ作りの方もそれなりに進んでいます。
今回お聞きしたいのは『自己犠牲』というテーマについてです。いつだったか、虚空蔵55さんが『自己犠牲は美徳というわけではない』と書かれていたと思うんですが、自己犠牲の是非やその理由について、どっぺんさんの意見や、過去に虚空蔵55さんがおっしゃっていたコメントを知りたいです。
(ちなみに自分としては、自己犠牲は善でも悪でもなくて、そこにこだわったり、他者に強いるのが良くないのではないかと考えています。これで合っているでしょうか)

 

ヤツメカワウソさん ご質問どうもありがとうございます。たくさんお祈りをされて、いろいろな発見や成長をされたこととマンガ作りの進行のことをいつかお話しして下さい。
ご質問の「自己犠牲」と「美徳」という言葉が出てくる箇所は、hamiさんの2015/3/5 No.2313のご投稿で、その中でhamiさんの言葉として載っています。
「虚空蔵様、みわ様

いつもありがとうございます。
昨日、わりとはっきりとした夢を見ました。
ギリシア?かどこか、違う文明のようなところで、私は友人と(今の人生でも友人)学問を学んでいました。
ある時、その友人何かをして、裁判にかけられ、終身刑(施設に入る刑らしい)を言い渡され、人間の美徳などを日々一緒に学んできた私は、その友人の代わりに、自分が刑を受けることを申し出ます。
すると、その友人は、もごもごとバツが悪そうにお礼をいうと、消えるようにさっさとどこかへ行ってしまいました。私が身代わりになった事を内心喜んでいるのが分かりました。
私より年上で、日々、自己犠牲の精神などを語っていたので、びっくりしたのですが、それでも自分のやることは尊いことだと、前向きに考えようと努力して、自分ならまじめに勤めれば10年くらいで終わるのではないか、と考えたりして自分を保とうとしていました。
しかし、母親や家族の嘆く姿を見たときに、

「ああ、なんて事をしてしまったのだろう」と、悔み、自己犠牲を美徳とする教えを信じたことを後悔しました。

意味は分かりませんが、丘の上から、どこかの家庭で、子供と母が殴り合いの喧嘩をしているのが見えて、輪廻について考えていました。
そういう夢でした。
これは過去世の一つかなと思ったのですが、いかがでしょうか?

エホバに従って来て、土の中で死んでいった存在にもちょっと似ているなと思いました。

自分を犠牲にすることは尊いことだと、信じ込まされるのは何のためなのか、理解できたような気がします。

戦中の時の兵士の方も、最後の瞬間はそんな気持ちで、ハッとするのではないかと思います。

その友人の事は、とくに何とも思いませんけれど、何か利用されているような気がすることが多くて、少し距離を置いていたところでした。離れることで関係性も変わってくるのではないかと思います。
過去世ではないかもしれませんが、なにかの教示かも知れませんね。
取りとめもない話を書かせて頂きましたが、まだ少し大変な時期が続いているようですので、お二人ともお身体などご自愛下さい。
また、非公開情報など楽しみにおります。
2015・2・27
それに対するご回答は、
「hami様
これはあなたの過去世のことではありません。

(一部過去世からの継続もありますが)

今現在のあなたの状況そのものです。
守護霊様からのお言葉です
「友達を選びなさい」=「選んでもいいんだよ」
「あなたは求められることが自分の価値だと思っている」
「それも至上価値に近いほどになっている」
「それは辛いでしょう」
「あなたの自己犠牲とはそのことよ」
あなたは心の中では怒りを感じているはずです。

「利用されている」という思いがたまっています。

あなたの友人は、
「(あなたが)気が付かない限り利用してもいい」と思っています。
守護霊様が見せて下さった夢の啓示をよくよく考えてみてください
虚空蔵55」
この中にヤツメカワウソさんが求めておられることにつながるものがあるでしょうか。コメントをお願いします。

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コメント: 6
  • #1

    toto (金曜日, 01 2月 2019 00:06)

    参加させて戴きます。
    RIEさんの書き込みには「自己犠牲」が使われていますが、虚空蔵さんの反応はありません。
    しかしユキさんの質問には答えてあります。
    ただし、NO,3190のアキラさんの質疑応答が前提にあるようです。

    ユキ
    2016/11/4 No.3206
    虚空蔵様、みわ様、月読みの大神様。いつもありがとうございます。

    NO,3190に対する虚空蔵様の回答を読む度、涙が溢れます。

    これは虚空蔵様のご覚悟なのですね。
    そのキリスト教にも似た自己犠牲のようなご覚悟は
    なぜなのですか?
    人類愛?それともこの世界に降ろされた使命感から・・

    では追いつかないくらい深いご慈愛にふれ心が痛みます。

    このご覚悟にふれ、私のちっぽけな質問が恥ずかしいです。(でも知りたいという気持ちはあると正直に言います。)

    この宇宙全史を学んでいる者が心一つにお祈りをし、手を取り合えば虚空蔵様、みわ様のお力になれると信じています。

    2016・11・2
    ユキ様

    「そのキリスト教にも似た自己犠牲のようなご覚悟は」

    ●あなたの思いとは裏腹になりますが、これは宇宙全史的には誉め言葉になりません

    イエスは宇宙全史にありましたように確かに人類愛にあふれた方でした

    しかしキリスト教はまた別ものでした(逆に人類の汚物にまみれた薄汚い偽善の塊です)

    私には以前からここに書いていますように、人類愛など微塵もありません。

    バカやって死んでいく、消えていきたい者はさっさといってしまえば良いと常日頃思っています

    ただ「助けてほしい」「何とかしたい」「本当のことを知りたい」そういう方たちには出来る限りのことをしたいとは思っています
    そこのところで私は五井先生とつながっているのだと思います
    (もちろん五井先生のお覚悟と比べることは到底できませんが)

    まだまだどこかの学会の洗脳が抜け切れていないようですね

  • #2

    ヤツメカワウソ (金曜日, 01 2月 2019 09:49)

    『利用されることへの怒り』というのがキーワードであるように感じました。誰かのために自分を犠牲にするということは、その誰かに利用されている、ということなのでしょうか。ここから何かが閃きそうなのですが、閃きません。もどかしい感じです。あと、『家族の嘆く姿』というのも重要そうですね。

    キリスト教については詳しくないのですが、以前このような感想を聞いたことがあります。曰く、『聖人の伝説・説話集を読むと、血なまぐさい拷問や聖人が殉教する展開ばかりが続く。また、平和な時代に生まれた司教が、自分が殉教できないことを嘆くというシーンさえあり、ここまで来ると困惑してしまう』

    と、ここまで書いてから自分の質問を読み返したのですが、自己犠牲の是非と理由でしたね。まだ考えがまとまっていないのですが、答えにつながりそうな感じです。もう少し考えてみます。

    みなさんも、何かコメントがありましたらどうぞ。

  • #3

    ヤツメカワウソ (金曜日, 01 2月 2019 12:53)

    今日はちょうど海さんのヒーリングを受けていたのですが、その中で「自分より相手の方が大切になったら自己犠牲ではないか」という話がありました。

    そういえば、hamiさんは『求められていることが自分の価値だと思っている』と言われていますね。自分の価値=自分の大切さとも置き換えられます。彼は自分を大切にしていなかったのかもしれません。だけど、hamiさんのご家族は彼を大切に思っていたから、彼が友人の犠牲になったことを嘆いた。ということでしょうか。

    これらの情報をまとめると……
    “自己犠牲は自分を大切にしていない行為”なので良くない、と言えそうですね。
    シンプルな答えですが、これをもとに色々な考察ができそうです。ありがとうございました。

  • #4

    どっぺん (金曜日, 01 2月 2019 13:22)

    みなさま コメントどうもありがとうございます。ヤツメカワウソさん 参考になるかもしれませんので以下の文章を読んでみてください。


    金星人51
    2009/5/5 No.787

    非公開です。

    2009・4・8


    虚空蔵様

    お久しぶりです。さて宇宙全史はお陰様で
    1月直ぐに手に入りました。

    ありがとうございます。

    さて、最近の質問内容ですが、過去世についての質問が多く、読ませて頂き自分にも
    ある事だろうなーと人事では無い気が致します。勿論、ここで気付いて自分自身覚醒して行かなければ繰り返しになる事は、拝見していて良く感じております。

    先ず、因縁性について教えて頂きたいのですが、最近ニュースでも全く知らない者同士が被害者、加害者となり周りから見ると
    どうしてあの人が?と被害者側から見ると
    同情したくなるような場面もあり、加害者は日頃怪しい人だとか?変わり者だとかあの人ならやりかねない等そう言う人物も居れば、大人しいあの人がやるなんて信じられないと現世から見ると悲惨な事件も多いですが、袖振る仲も多少の縁とやはり関係はあるようですね。

    昨年母が、交通事故で亡くなりましたが、
    加害者とは全く面識無い人でした。

    そして、今は色々手続き中につき解決していないのですが、教えて頂けますか?

    ①母と相手の因縁性はどういう物だったのか?

    ②母は霊界の世界で今回の事故をどう思っているのか?

    ③相手は現段階で(現世)本当に申し訳ないことをしたと真から思っているのか?

    ④五井先生が相手の為にも祈りなさいと
    いって下さった前からお祈りはしておりましたが、相手の天命が完(まっとう)されるようにと言う意味でそのようにアドバイスく下さったのでしょうか?

    ⑤遺族はこれから、残された処理や手続きを普通にこなし、手続きが終わったら、
    相手とは接触せず、祈りの中に納めてもいいでしょうか?


    以上ですが、宜しくお願いします。
    もし、上の方が、その時ではないなら
    お応え頂かなくても結構です。


    追伸、
    五井先生が、今の時代に合った世界平和の
    祈りがここで明らかになると仰っていましたが、これからは、世界平和のお祈りだけで良いと五井先生は言っておられますか?印や特別な神示を五井先生は出して
    おられるのでしょうか?

    虚空蔵様何時もありがとうございます。

    世界人類が平和でありますように

    2009・4・8


    非公開です。

    2009・4・9
    金星人51様

    ①の質問の回答です

    とりあえずの因縁は、お母様の前世から始まります。
    今から380年前にお母様と加害者の方が邂逅しています。
    場所はヨーロッパの東部、フランスとドイツの国境付近の農村地帯です。
    お母様は信仰深い民間人で、そこにある教会のボランティアとして住み込みで働いておられました。

    その教会では、孤児や浮浪児を集めて育てていたのですが、今の加害者(その時は男でした)はそこにいたのです。
    結構な悪ガキでして、とにかくお母さんは手こずっておられました。
    それでも彼女は彼のいいところを見つけて何とかしようとしていますが、彼には届かず、12才の時にとうとう教会を出て行ってしまいました。
    そして彼が15才の時に再び教会に舞い戻っています。
    それは出て行ってから悪ガキ仲間とつるんでろくでもないことばかりしていましたが「お前あの教会にいたのなら、あそこから何か持って来いよ」と仲間にいわれ、度胸試しではないのですが、いいところを見せようとして、何かを盗み出すために戻ったのです。
    しかしその教会も貧しく、そんなに金目のものなどあるわけがないのですが、彼はボロボロに錆びた燭台だけを持ち出しています。
    それからは二度と戻っていませんので、彼との邂逅はそこで終わっています。

    この時彼女はひどく絶望し、自分に信仰心が足りないからだと思い込んでしまっています。

    それが今生におけるカルマの因となっています。
    お母様の今生における天命は、

    「すべてを許すこと」

    です。
    しかし死んでしまったのでは、許すも許さないもないのでは・・・。

    「死んだ後でも許しは発動するのだよ」

    「それは残された人から」

    息子さんは許しているとはおっしゃっていますが、どう見ても許してはおられませんが・・・。

    「しかしそれ(許し)をお母さんが必要としていることをここで知るならば」

    お母様は亡くなって加害者を恨んでおられるのでしょうか。

    「恨んではいない」

    「しかし解き放たれてもいない」

    「完全ではない・・・積極的に許すというところまではいっていないが、いうならば・もういいや・という形」

    実はこうした会話の前に、お母様とは別な内容のお話しがありました。
    それはどうしてもお母様が話されることを躊躇されたことでした。
    お母様が教会のボランティアになった理由です。
    それは深い罪悪感から来ていました。
    ある意味キリスト教における原罪とでもいうべき観念を持ってしまっています。
    それが何かお話ししていただきたかったのですが、ものすごくご自身恥じる感じで頑なに拒んでおられました。
    しかし「息子さんも一度は真実から目をそむけようとされましたが、こうして再び直視しようとしておられるのですから」と申しあげましたら、ポツリポツリとお話し下さいました。

    教会に来る前に、彼女には親に勧められて結婚した夫がおりました。
    この親がいうならば馬鹿で、鍛冶屋なら食いっぱぐれがないだろうという理由だけで、大事な娘を嫁がせています。
    そこで彼女は何人も子供を堕胎しているのです。

    なぜ堕胎されたのでしょうか。

    「自分ではどうしようもなかった」
    「旦那が理解のない人」
    「子供は要らない」

    暴力的な亭主で、子供なんてしち面倒くさい、自分が全てという、でも当時としてはそれが普通の有様でもあったのですが。
    跡継ぎはどうしたのかというと、弟子はちゃんととっているのです。
    どうやら自分のいうことを聞く者は許容範囲で、分けの分からない、何の得にもならない子供は要らないということのようでした。
    結局4人の子供を堕ろし、旦那と喧嘩をして「出て行け」といわれ、絶望して行く所がなくて、そこであの教会に住み込みのボランティアとして入っています。

    この時彼女には「許されるために神への奉仕が必要」という強い強迫観念がありました(これは親の教育によるものです)。
    その強迫観念が執拗にあの悪ガキを許すことを求めました。
    彼女はそれを今生まで引きずって来てしまっているのです。

    今現在彼女は、私たちに全てを話したことで楽になっておられます。
    そしてその後は上の方がおっしゃるには、

    「許しが待つ」

    という言い方をされました。
    お母様からです。

    母「自分はもういいから、残された者たちが恨んだり苦しむのがいや」

    母「私は安らかだから忘れなさい」

    息子さんはやはりまだ許されてはいないようですが。

    母「今こそ祈りが役に立つでしょう」

    裁判はどうすればいいのでしょうか。

    「裁判は裁判として区切りだからキチンとやりなさい」

    「この人(加害者)のためにもなるから」

    この加害者の今生における天命は何でしょうか。

    「慈悲・愛を探す」

    なぜ慈悲を求めているのでしょうか。

    「幼い未熟な魂だからね」

    いつどこから来ているのでしょうか。

    「喧嘩と闘争に明け暮れた星、恐竜人間に似た者たち」
    「プレアデス系列から何段階かで来た爬虫類系の者たち」
    (「宇宙全史」第一巻に収録してあります)

    「与えることではなく、奪い取ることでしかアプローチできない未熟さ」
    「しかも(愛や慈悲を)他(外)に求めるから手に入らない」
    「慈悲は元からあるということを知らねば」
    「外に求めるものではないということに気づかねばならない」

    しかし現実は「事故だったんだからしようがないじゃん」「さっさと面倒くさいことを終わりにしたい」そう加害者は思っています。
    五井先生「許されることでどこまで気づくことができるか」

    こうした情報は、前にあなたが質問してこられた時に、すでにある程度収録はしてありました。
    しかしお問い合わせがなくなりましたので、そのままにしてありましたが、その時のお母様の心境は「もういいや」でした。
    それは過去世でも裏切られても許し続け、今生でも殺されてまでも許すということにある意味「あきらめ」「疲れてしまった」ということでもありました。
    しかし今回の再録では、お母様は「自分を許す」というキリスト教の信仰にはない階梯を踏むことで、とても安らかな境涯に至ることが出来ておられます。
    その束縛からの解放は大きな進化でした。

    最後に私から一言。

    「相手のために祈る祈りは、ご自身への祈りでもあるのです」

    これがあなたの④の質問の回答です。

    ご健闘をお祈りします


    虚空蔵55

  • #5

    ヤツメカワウソ (金曜日, 01 2月 2019 23:52)

    ありがとうございます。じっくり読み込んで参考にします。

  • #6

    どっぺん (土曜日, 02 2月 2019 08:49)

    自己犠牲とは、まず自分がある罪を犯したという思いがあって、それを償わなければいけないということが強迫観念になり、それを解消するために、罰として自分を捧げることで、自分が謝らなければいけない存在に許してもらいたいという行動の場合が一つあると思います。病的な場合には、自傷行為のくり返しになることがあり、手首を切るとすごく楽になる人がたくさんいます。
    もう一つ見られるのは、自己犠牲という行為が何か価値のある美徳であるとか、その人の自己評価が上がったり、他人にそう見てもらいたいと考えて、チャンスを見て、行う場合です。
    宗教的動機もあり得ると思いますが。