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質問7 ヤツメカワウソ様

こんにちは。今回お聞きしたいことは『人間には、本当に主体性があるのか?』ということです。

最近、サルトルについて調べているのですが、サルトルによれば『実存は本質に先立つ』そして『人間の本質はみずからつくるもの(主体性がある)』らしいです。

例えば、ペーパーナイフのような道具は紙を切るために作られたもので、『生産が本質に先立つ』といえます。人間が神の作った道具であるなら、人間にも同じことがいえます。

しかし、サルトルは無神論者なので、神が人間を作ったとは考えません。そのため、人間はまず先に実存し、不意に生まれ、あとから定義されるものだとしています。人間は最初は何者でもないが、自分の本質を自分で見つけることができる。それが主体性であるということでした。

この理論は素晴らしいのですが、どうしても気がかりなことがあるのです。それは、人間に関しても『生産が本質に先立つ』といえるのではないか?と思ったからです。人間(子ども)は男女の交わりから生まれますが、このとき、道具としての本質を親から与えられていた場合(決めつけられた場合)です。

そのような場合、その人間については主体性が成り立たないのではないかと思いました。つまり、自分が何者なのかを親からすでに定義されているので、自分の本質を自分で見つける余地というか、権利がないのではと……。あるいは、骨肉でできたロボットと言ってもいいでしょう。ロボットは道具として作られたものなので、「生産が本質に先立つ」「主体性を持たない」と言えます。

 

果たして、すべての人間に主体性があるというのは本当なのでしょうか?

ヤツメカワウソさん

いつもご質問をいただいてありがとうございます。

サルトルは我々の世代までは非常によく読まれており、私も人文書院のサルトル全集を持っていましたので、大変懐かしい名前をヤツメカワウソさんからお聞きして、思い出しました。嬉しいです。

実存主義と総称されますが、サルトルのそれは彼独特の哲学で、御指摘の通り、「実存が本質に先立つ」ものです。彼の思想の一つの背景にフッサールの現象学があり、これは私も30代の頃、精神病理学の分野で割と専門にしており、その筋の大家がドイツのマールブルクにおられたので、留学して師事したことがあります。ブランケンブルク教授という方で、みすず書房から「自明性の喪失」といいう著書の翻訳が出ています。

現在瞑想を行っているときも、自分の体験を現象学的なパラダイムでよく考えているなと気づくことがあり、それが一つの足枷にならないよう気をつけなければと思うと同時に、それにより立ち位置が分かるようなこともあると感じています。最近ハイデッガーを読み返していましたが、この人はかなり悟りに近いアプローチを含んだ哲学を展開しようとしていたのではないかと思います。

閑話休題。

ご質問の、人間の本質はみずからつくるもの(主体性がある)ということについてですが、この「みずから」という言葉で指しているものをどう考えるかで答えが変わると思います。以下の御教示をお読み下さい。

 

No.1150

「ところで漠然とした疑問ですが、子供はエゴはどうなっているのでしょうか?

私はすでに出来上がっってしまたのでなんともしがたいですが、何か子育てのヒントなどありましたらまた知りたいと思いました。

 

2010・6・23

石子様

 

子供は生まれた時から環境(社会)に適応するためにエゴを育成していきます。

主にその担い手は母親であったり家族・親戚・近所の人たちですが、ある一定の時期に来ますと、育ってきたエゴがひとつの段階をクリアします。

 

それが「自我の目覚め」といわれている少年期から青年期への移行期です(早い人は幼児期にもそういうことがありますが)。

この時人は「自分は一体何者か」「何のために生きているのか」「私はどうしてここにいるのか」などといういわばちょっと哲学的な思考回路を持つようになります(持たない人もいますが)。

それはある意味「自分というものをある程度客観的に見ることができるようになった」「社会と自分というハッキリとした分離感覚がそなわった」と申し上げてもいいかと思います。

そこまでどのようにしてエゴが育成されたかがその人のそれからの人生の運命を決定づけます。

ですから幼少時のエゴの育成は非常に大事なものなのです。

 

しかしここが人間の不可思議なところなのですが、人は生きていく(社会に適応する)ためにエゴを形成し、やがて(段階をあげて生きていくために)エゴを落とさなければならないのです。

それが「赤ん坊のようにエゴのない無垢な姿」と「エゴのない聖人」との差なのです。

共にエゴがないというところは同じなのですが、一度エゴを獲得し、それを手放し得た経験を持つものと、いまだその経験を持たないものとの差なのです。

そしてその「差」こそが「学び」でもあるのです。

 

さて石子様はお子様をお持ちのようですが、子育てにおいて最も大切なことは、

 

①親はこどものエゴを心して育成しなけらばならない。

 

②エゴを育成するためには、子供には「愛されている」という感覚が必要。

(自分はここで生きていていいんだという土俵がないとエゴは育成されません)

 

③親は「愛する」ということと「しつけ」の両立を心しなくてはならない。

 (その子が人間としての基本的な生き方を学べるような教育・それがしつけですが、それが出来るかどうか・・・それは根本に「愛」がないと出来ないことなのですが。可愛い、可愛いという「情」だけで育ててしまうと、ゆがんだ幼いエゴが形成されてしまいます。

 

すでに書きましたように人はやがてある境涯に至ると、エゴという(これまである程度の役には立っていたのですが)厄介な殻を脱ぎ捨て覚醒という新しい次元に上昇します。

それはまるでせみが抜け殻を木の幹に残し、脱皮して人知れず森の中に飛び立つようなものです。

そしてその抜け殻はせみが土中で何年も生きてきた時に彼を保護してくれていたものでもありました。

しかし夏の真っ青な空と白い雲、そして彼を呼ぶ仲間のせみ時雨が彼を新しい境涯にいざなうのです。

 

子育ては大変ですがお祈りと共にあるとき、そこには多くの神霊の加護が見えます。

子供をちゃんとした大人に育て上げることほどの聖業が他にあるでしょうか」

 

No.1904

「今の人類のほとんど(86%の人たち)の持つ欠陥のほぼ100%は「感謝がない」ということにあります。

 

そのエゴの傲慢さは、

 

「本当に神がいるのなら私を救ってみろ」

 

「神ならば世界中の不幸を何とかしてみろ」

 

というものです。

その思いに、その思いの奥底に、「自分の責任を放棄している」よって「自己の主体性を放棄してしまっている」という思い込みが潜在しています。

そのためその人の人生はその人の思い通りには行かず、すべてが周りの都合で動かされてしまいます。

それゆえ余計に、加速度的に、しかも取り返しがつかなく自分の運命が周囲によって翻弄されるようになっています。

 

それが人類86%の人たちの有り様なのです。

 

 

誰でも「勘違い」「間違い」「思い込み」「無関心」という迷妄は持つことがあるのです。

しかしそれに気づいたとき、あるいは気付かされたとき、その時に「怒り」や「拒否」ではなく「感謝」の気持ちを持つことが出来たなら、あなたはそれでその時クリアできたのです。

(もちろん魂の奥底でのクリアですので、これからそれをどうやって実際の生活に反映させていくかは、現実世界のあなたの問題です)

 

頑張ってください

 

そして世界平和の祈りが、あなたの力になりますように」

 

No.932

「一般的に「感謝」とは、ある一定の対象に対して自らの気持ちを表明するものだ

と考えられていますが、それは現象界、肉体界サイドから見たごく表面的なこと

でして、本当は「自分に神々(あるいは上位の存在)の加護を受け取る許可を出

すこと」なのです。

つまり私たちはいつも神様に感謝の祈りをしているように思っていますが、実際

は神々からの応援が来ることを、自分に対して「許可」すること、表明すること

をしているのです。

 

もう少し分かりやすくいいますと「感謝することで神々の力を得ることができる」

・・・しかしそれは神々の問題ではなく(神々は決して感謝がないと力を与えな

いよとはおっしゃっていません・逆にいつでもどこでもそのお力を注いで頂いて

いるのですが)、私たちがその神々の加護を受け取ることができるかどうかとい

うことなのです。

それを受け取るには、自分自身に「許可」を出す(あるいは与える)ことが必要

なのです。

 

私たちは何事も「自分が」「自分で」「自分だから」と、エゴ中心で成し遂げよ

うとしています。

それが生まれた時からの教え込まれた習い性となってしまっているのです。

だから生きるという基準を深い意識のもとで、そのエゴの基準に従っているため

に私たちはわざわざ「感謝」というキーワードを使って許可を出さないといけな

い羽目に陥ってしまっているのです。

 

エゴの強い方はよくお分かりだと思いますが、それが強ければ強いほど「感謝」

という行為がお出来になりません。

それがある意味覚醒への「ストッパー」でもあり「ハードル」でもあり「ブロッ

ク」にもなっているのです。

つまり「エゴの強い方は覚醒しにくい」という現実的な理由がここにあるのです。」

 

No.2051私の投稿

「どっぺん様

 

●①39p「潜在意識やそのもっと深いところでは、人からエネルギーをとるという形を好むという傾向」自体が既に問題のある在り方で、そういう形の搾取行動を取ることは、それぞれの様々な出自と過去世に規定されたものであり、我々自身の責任であることは分るつもりです。

そのエネルギーのやりとりについてですが、何か、昇華といいますか、ポジティブなあり方というものがあり得るでしょうか。例えば、他の人をがっかりさせたり、不安にさせるのではなく、気持を立直し、前向きになるように働きかけることなどは、双方のエネルギーを増やすことになると考えていいでしょうか。

 

○究極の立場からしますと、そういうエネルギーのやり取りは存在しません。

例えばドン・ファンの完全なる戦士の生き方ですと、そこにあるのは「公平な観照者」という有り様しかありません。

これは難しいので、私もだんだん触れなくなくなっているのですが‥本当に覚醒した人は「傍観者」という立場からしか世界を見ません。

しかし五井先生は一歩踏み込んで「公平な観照者」としての立場に踏むとどまっておられます。

ドン・ファンはこの世界を離れるまでは、やはり「公平な観照者」としてありました‥が、離脱してからはほぼその有り様からも自由になっています。

 

難しいでしょう?…何がいいたいのかといいますと、結界がある限り、人にエゴがある限り、あなたの望むようなエネルギーのやり取りは不可能といえます。

 

 

●②40p、Fさんのお母さんのところで、「気にさせた人のところにそのモチベーションが行ってしまうという仕組み」とありますが、これは、地上の人間全員にあてはまる普遍的な法則のようなものなのでしょうか。もしそうであれば、それは結界が張られる前から存在しているものであるのか、それとも、結界に伴い、向うの戦略で持込まれたトラップのようなものであるのか教えて下さい。

もし、もともとの法則であるのなら、人間同士の関係でのエネルギーのそういったやりとりにどういうポジティブな意味があるのかに関してもご教示いただければありがたいです。進化とか発展ということを目指す上で役に立つのでしょうか。

 

○これも上記のお答えと同じです。

そういうシステムは元々人の感情や思考に伴うものですが、そこにエゴが存在しますと、エネルギーの流れが一方的になるという性質を持っています。

またそこに意図的な結界があると、より強力にその流れを操作できるという事です。

 

 

●③41p 「基本的に心の配分が偏っているといいますか、何に染まっているかということがその傾向性を決定的にしていきます。例えばこの世の価値観とか、ルールとか、規則とか、こうあるべきという思い込みに染まっている人たち」「それが激しい人たち、それ以外は認めないという人たちがこういう傾向が強い」と教えていただいていますが、それは、思い込みから自由になる、アナーキーでなく、他を束縛せず、自分も束縛しないような自由を確立していくことが大切ということでしょうか。それは人生の中で、祈りを通して気づいていくことが可能なのでしょうか。

 

○その通りです。

エゴを直視することが出来る方は、それだけで何もしなくていいのですが、どうもこの「エゴを理解する」ということが中々難しい方たちには、「祈り」しかそこからの脱出法はありません…しかしこれがまた大矛盾なのですが、「エゴの強い方」「エゴが何だかわからない方」「自分がエゴだと理解できない方」に限って、「祈り」の効力が信じられないという現象になっています(本当は矛盾でもなんでもないのですが‥)。

 

 

●④気づきを得るために、エネルギーを搾取する、されるという他の例を、さらに御教示いただきますようお願い申上げます。

特に、「子供の頃に刷り込まれたネガティブな言葉は、潜在意識に刷り込まれ、その後大きくなって表面意識では忘れてしまっていても、その人の人生を決定的にしている」「子供の頃にお母さんや肉親に刷り込まれた言葉は、その子が素直な子であればある程深く潜在意識に染み入り、その影響力は大きくなっても自動的に継続していきます。それもたった一度のインプットが 自動的に刷り込まれ、解除がない限りその子が死ぬまでそのまま」ということですが、否定され、自分がそうだと思い込んでいることに深く気づいて、それを抜け出られる例を教えていただければ幸甚です。

私自身、戦時中に思春期前を過した両親、アルコール依存の父親とそれに怒りまくる母親の夫婦喧嘩の連続の日々を幼少時に体験し、様々に神経症的な性格、特徴を呈し、人の親切さが嬉しいくせに不信感を持ち、家内などが素直で人に優しい側面があるのを見て、抵抗感を感じて、屈折するような輩でありますので、自信がないので褒められるとすぐに木に登り、何か注意されたりするとすぐにがっくり来たりしているていたらくで、何がインプットされているのか整理がつかない思いでいっぱいです。

散漫な文章で申訳ありません。よろしくお願い申上げます。

 

○あなたの場合は「自分の存在を、安心してそこで生きていけるという位置に置きたかった」ということがあります。

つまり「愛されたかった」ということです。

具体的にいいますと、へこませるとか悲しませるとか怒らせるとかという事は、エネルギーを吸い取りやすくする装置なのです。

その装置であなたのご両親は、あなたからエネルギーをとるというループを造っています。

基本的にいじめるというのは、そこにエネルギーがあるから、とるものがあるからそうするわけです。

 

ここで気づけばそのエネルギーは戻ってくるのですが、それでは具体的にどう気づけばいいのでしょうか?

この命題は翡翠さんにも当てはまるのですが(本当は非公開情報の彼女のご両親の件(くだり)で書こうと思っていましたが)…う~ん、やはりまとめてそちらで書くことにします。

 

もうしばらくお待ちください

 

 

虚空蔵55」

 

「愛されたかった」というエゴの解消は、まだまだ難しいですね。

 

具体的な回答でなくて申し訳ありませんが、まずこれをお読みになった上でもう一度御意見をお願い致します。

2016.6.24追記

ヤツメカワウソさん

「感謝と責任については一定の学びを得たものの、「感謝のなさを克服する」というレベルには到達できていなかった。
「勘違い」や「間違い」「思い込み」「無関心」などの迷妄に気づかされたとき、怒りや拒否ではなく感謝の心を持てるよう、精進していきたい。
「自分が誰かの役に立つこと」。「オレが書き込みをすることによって、どっぺんさんの学びにもなってるのかな」。すると、「お役に立てるんならありがたいことだな…」という思いが自然と湧いてきました
差別思想?みたいなものとか、「死を忘れようとしている」というのが問題なのかも。
物事の価値にこだわり、特別なものは好むが、価値の無い物を嫌う。さらに、価値が無いものに感謝をしない性格。
そして、当たり前のものがいつ無くなってもおかしくないこと……言い換えれば、「物事の滅び」「死」ということになります。自分はそれを理解していないために、当たり前にあるものへの感謝ができていないのかもしれません。
また、「求められることが自分の価値」という価値観がまだ残っているのだと思います。「価値のある物」がありがたくて、「自分が誰かの役に立つこと」もありがたいわけですよね。自己犠牲へのこだわりは無くとも、「自分が誰かの役に立つこと=価値のあること」と考えているのかもしれません。
自分は今、感謝のなさを克服しようとしているのですが、少し分からないことがあるのです。
どのくらい、どのように感謝をすればいいのか。
価値のないことや受け取りたくない物事には感謝しなくてもいいのか。
「感謝がある」とは、いかなる場合であっても感謝ができるということなのでしょうか?
あるいは、価値があると気づいた時点で感謝をするとか、当たり前だと思われていることこそ尊いのだと気づくとか、そういう行動が重要なのでしょうか?」
感謝の念が湧いてくるときには、自分がそれによって助けられた、成長した、あるいは豊かになったと感じる体験があると思います。」とこれまで述べていただいています。



感謝に関する御教示を探してみましたのでまず以下の質疑応答をお読み下さい。


いくと
2009/10/18 No.932

虚空蔵55様、みわ様、いつもご苦労様です。
せっかく回答を頂いたのに軽く流してしまったので、改めて書き込まさせていただきます。
虚空蔵55様、守護霊様、ご回答ありがとうございました。
質問した時よりは「自分でやることを決めて実行する」という(まあ言われてみれば当然のことなのですが)出来るようになって来たと思っております。
主体性の大事さを実感しております。と同時にもっと自分のことをしらなくては、という思いも出て参りました。今はまだカルマや前世、天命などは知る時期ではないみたいですが、その時が来るまでやるべきことをやりながら待っています。
この度は(って毎度のことなのですが)ありがとうございました。

2009・20・15


すみません、書き込み忘れがありました。
守護霊樣方をはじめ、私を助けよう応援しようとして下さった周りの友人や先生、関わって下さった皆様本当にありがとうございました。今までまともな関係を築けなかったので、今度はちゃんとしたお付き合いが出来ればと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
 ・
 ・
 ・
すいません、途中から文がおかしくなっちゃいました。所信表明みたいな。書き込みたいことは以上です、失礼しました。

2009・10・15
いくと様

かつて書いた覚えがありますが、大切なことなのでもう一度書いておきます。
通常の社会でももちろんですが、精神世界や宗教界で、基本的にまず教わること
に「感謝」ということがあります。
この関門をまずクリアできないと、そこから先がないのです(極端な例外はあり
ますがほぼ皆無です)。

一般的に「感謝」とは、ある一定の対象に対して自らの気持ちを表明するものだ
と考えられていますが、それは現象界、肉体界サイドから見たごく表面的なこと
でして、本当は「自分に神々(あるいは上位の存在)の加護を受け取る許可を出
すこと」なのです。
つまり私たちはいつも神様に感謝の祈りをしているように思っていますが、実際
は神々からの応援が来ることを、自分に対して「許可」すること、表明すること
をしているのです。

もう少し分かりやすくいいますと「感謝することで神々の力を得ることができる」
・・・しかしそれは神々の問題ではなく(神々は決して感謝がないと力を与えな
いよとはおっしゃっていません・逆にいつでもどこでもそのお力を注いで頂いて
いるのですが)、私たちがその神々の加護を受け取ることができるかどうかとい
うことなのです。
それを受け取るには、自分自身に「許可」を出す(あるいは与える)ことが必要
なのです。

私たちは何事も「自分が」「自分で」「自分だから」と、エゴ中心で成し遂げよ
うとしています。
それが生まれた時からの教え込まれた習い性となってしまっているのです。
だから生きるという基準を深い意識のもとで、そのエゴの基準に従っているため
に私たちはわざわざ「感謝」というキーワードを使って許可を出さないといけな
い羽目に陥ってしまっているのです。

エゴの強い方はよくお分かりだと思いますが、それが強ければ強いほど「感謝」
という行為がお出来になりません。
それがある意味覚醒への「ストッパー」でもあり「ハードル」でもあり「ブロッ
ク」にもなっているのです。
つまり「エゴの強い方は覚醒しにくい」という現実的な理由がここにあるのです。

本来はあまりこうした秘密を書いてしまってはいけないのですが・・・「宇宙全
史」のワークは一見厳しいようで本当は甘々なのですよ。

有難うございました


虚空蔵55


satsuki

2009/2/11 No.530
虚空蔵55様、こんにちは。
私たちの守護霊、守護神についてお聴きしたく書き込みをさせていただきました。
五井先生の御本を読んで、守護の神霊について知ることができました。しかし、消えてゆく姿と世界平和の祈り、そして守護霊、守護神の御教えの中でどうしても守護霊さん守護神さんについてのことがしっくりこないのです。守護霊さん守護神さんありがとうございますと想う、守護の神霊が私たちを守りに守りきっている。守護霊守護神は私たちとぴったりくっついて一挙手一投足見守っている。そう信じ込まなければなりませんねと五井先生もおっしゃっています。
いろいろ考えたり、五井先生の御本を調べたりお話のテープを聴いているうちに、私たちの本心と守護霊守護神の関係に関心が向きました。
五井先生のおっしゃるように守護の神霊に私たちの想いを常に向け感謝しているということは、自分たちの本心に感謝し、想いを向けているということなんだろう。守護霊の導くままに、守護神の導くままに動く、生きることが本心への道である。
でも守護霊守護神と私たちは一つであるのだということは、本心に素直に生きるということからしても、良心に従って生きるということからしても、守護神守護霊が私たちの大先祖であると信じると、ちょっと違和感を感じるのです。
守護霊守護神経由で自分たちの本心さんと繋がる道を歩ませていただくというイメージをそこに抱いてしまい、直霊の分かれとしての私たちの存在と守護霊守護神という守護の神霊との隔たりを感じてしまうのです。
そこで五井先生のテープを聴きなおしました。
その中に五井先生が、守護霊守護神というけれども、実は自分自身なんだ。自分自身の本心の深いところから守護神が出て、そこから守護霊が分かれて、次に分霊というふうに現れているんだ、ということをお話になられている講話がありました。そうするといつも守護霊守護神と一緒なんだということも納得できるかなと思いました。
この、実は守護神守護霊とは自分なんだということの真相といいますか、より明確なことを虚空蔵55様にお聴きしたく存じております。
長々と書いてしまい申し訳ございません。まことに恐縮なのですが、よろしくお願い申し上げます。

satsuki様

やはりこのご質問も詳しくは「宇宙全史」の続刊で解明されていくと思います。

私たちの存在(肉体・魂・本体等)は、地上界から眺めますとかなりややこしい事になっています。
それをご説明するには、ここでは中々難しいものがあります。
今は素直に多くの存在が、必ずどんな方でも(その方の段階に応じて)守っていてくださるという事だけを信じて、自らの日々の学びをご精進下さい。

守護の方々に感謝の気持ちを持つのと持たないのとでは、その効果が歴然と違います。
別に彼らは感謝が欲しいわけではないのですが「感謝の気持ち」によってつながるということが大事なのです(あるいは感謝の気持ちを持つという事で、その加護を自分が受け入れる許可を出しているのです。この許可がないと誰も手出しが出来ないという事があります・例え助けたくてもです)。

ご健闘をお祈りいたします


虚空蔵55

satsuki

2015/6/23 No.2437

虚空蔵55様、みわ様こんばんは。 五井先生は「感謝行」と御本に書かれていました。 それを思うと、自分の浅はかさ。 感謝が完
璧にできていれば生まれ変わる必要はないですものね。 日日の感謝行。 自分はできている、やっている、自分は他よりすごい・・・。またしても、いつも間にかそんな想いが。 感謝できないとき、悪態をつくとき、日常にうんざりしてしまうとき。曇り眼で自然を見ているとき。辛いです。 感謝できて当たり前、ではない自分なんですね。自分は感謝ができて当たり前、こんなに感謝しているじゃないか、できているじゃないかとと勘違いしているんですね。感謝すら満足にできない自分なんですね。 だから日日の感謝行なんですね。 いつか本当の感謝が湧いてきますように。 本当の平和の祈りが湧いてきますように。 今日ぼーっと考えていました。 今までただ単に祈り言葉を心に写しなぞっていただけ、自分の思いたい様に思っていただけ。 そう考えるともう何が何やら。 祈りの行も一人では思わぬ落とし穴があると。 祈っていさえいればいいじゃないか、と何かから目をそらしていました。 自分の心見つめるのがもう面倒くさくても、ズボラしていたらいけないということでしょうか。でもなんか、自分の心見つめていたら堂々巡りで鬱々した自分になるのが怖いという想いがあります。 ああ、それも消えてゆく姿なのか。どこまでもどこまでも・・・。 何だか本当に自分は面倒くさく不器用なんです。 そう思います。 世界人類が平和でありますように 2015・6・23

satsuma様
 やっとまともな答えにたどり着きましたね。 しかしまだまだこれからです。 まだまだ…です 虚空蔵55




貴子

2010/5/13 No.1073
虚空蔵55様 みわ様
こんにちわ。ご回答を拝読させていただけますことありがたく思っております。感謝についてのご回答感動いたしました。感謝が大事なことは高名な方々どなた もがおっしゃっておられまして分かっている思っていました。しかし、ただただつつがなく生活できていることに、ただただ存在していることに感謝し、のお言 葉がいままでになく深く心に響きました。気づかせていただきありがとうございます。一言お礼申し上げたく書かせていただきました。それからパワーストンな どのアイテムを頼りに思う心がありました。これからは感謝こそ己の最強の万能アイテムと心得て精進いたしたく思います。おりがとうございます。また、貴重 なお時間いただきありがとうございました。失礼いたします。

2010・5・12
貴子様

人はどんな状況になろうとも(それが困難なときでも、逆に大いなる存在からの恩寵がもたらされたときでも、あるいはおっしゃるように何事もなくただ生きて あるときでも)等しく感謝が出来れば、その方は一つの段階をクリアした事になります。

書き忘れていたのですがかづ235様への回答で守護霊様からの伝言のときに、

「守護霊様に暴言を吐いたことをお許しくださいと書いてある・・・」

「それはね、あなたが心の中でいえばいい話」

「それは違うんだよ」

(それは違うの前におそらく「ここに書くということは体裁を整えるというエゴ・自らに対するそういうデモンストレーションに過ぎない」という意味合いが入 ると思われますので補足しておきます)

という内容のことを書いておきました。
しかし本当は、守護霊様が本当におっしゃりたかったのは、

「あなたが誰に相談することでも表明することでもなく、ただ心の中で私(守護霊様)に伝えればそれは必ず伝わっているということなんだよ(そしてあなたが 受け取れる状態にあるときは、必ず私の加護が届いているんだよ)」

ということでもありました。
五井先生が皆様に一番伝えたかったこと(それは多くの聖賢たちも同じなのですが)は「人間一人一人には必ず守護霊・守護神というものがついていて、常に見 守り加護していてくれている」ということでした。
それに気づいているかどうか・・・それは人の一生を振り返ったときにどれだけ大きな差になっているか、計り知れない格差が生じているのです。

人類は様々な理由によりほとんど転換不可能なほどの無明に陥ることを余儀なくさせられています(あるいは自らそれを選択しています)。
しかしそれでも上の方々は「感謝」というものに気づいたものには、受け取れる一縷の「クモの糸」を用意されているのです。

私たちは「感謝」を忘れ、「感謝」を知らないと思い込んで生きています。
そこにこのゲームのワンステップをクリアできるアイテムが隠されていたのです(本当は隠されてなんかいないのですが、私たちが見えないだけなのです)。

貴子さんは確か「ある意味この地球界における優等生」でしたよね。
ゆっくりでも着実に、一歩ずつ進化されていく姿に、あなたの守護霊様、集合魂がどれだけ喜んでいることでしょうか。

有難うございました


虚空蔵55
しんすけ

2013/11/8 No.1876
この世に出てきている魂は、そのほとんどがご自分たちの仲間に、いわゆる「不成仏霊」という同胞を抱えていますが、「封印」されている魂というものは、あまり普通の方の中にはありません。
ただどうしても成仏できない魂というのはごまんといますので、それを成仏させるいい手法があります。
彼らの特徴は・・様々ですが・・そのベースには「感謝がない」ということが大きくあるのです。
そこであなたが日常何事にも「感謝」を捧げられたら、あなたのアプローチが、そうした魂に届きますから、それがきっかけとなり、彼らの解放への道も開けてくるのです。
しかしここでも最も強力なのは「世界平和の祈り」です。
それがどれだけ強力に響くのかは、実際に見れる方ではないとわからないでしょうが、理屈や常識を超えて唱え続けることで、その成果を実際に体験できます。
あまり頑張らずに、今はなるべくリラックスできるような環境に身をおいて下さい。


以上の感謝に関する御教示をお読みいただいて、どのように思われますか。

私の感謝に対する考えについてですが、hamiさんが御指摘の通り、この世間における職業、家族、表向きの人となり、経済状況などに感謝をするべきだと思いますが、私が一番感謝しているのは、今世生を受けて、この「宇宙全史」というワークに縁を得られたことです。他の何にもかえがたく、死ぬときにそれを一番感謝して死ぬだろうと思います。
そしてそれは、月読之大神、五井先生、遊撃手虚空蔵55様、EO、私の守護霊への感謝であり、それが一番で、それに匹敵するものはありません。ですから他のことに対しては感謝知らずであるかもしれません。

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コメント: 19
  • #1

    ヤツメカワウソ (土曜日, 13 4月 2019 14:15)

    ありがとうございます。

    うーん……難しいですね。一つ言えるのは、海さんのヒーリングで大体解決したつもりでしたが、まだ問題があるということですね。

    とりあえず、感謝と主体性について考えてみます。このテーマについては上手く理解できていないのですが、『自分中心』と『主体性を持つ』はまったく違う概念みたいですね。また、与えられたものに感謝をせず、与えられて当然だと考えるのはある意味他人任せなので、主体性を欠いている……のかな?うーん、やっぱりよく分かっていないです。

    ところで、感謝について、自分はネガティブなイメージを持っています。どうしても給食が食えないときに『作ってくれた人に感謝をして、食べなさい!』と教師から言われたり、生んでもらったことを感謝しろと家族に言われたり……

    そういう感謝の強制をされたので、教師や親、またはそれに近い相手に対して、『恩着せがましい』と感じたり、『無理やり与えられたものを受け取りたくない』と思ってしまうんですよね。

    ところで、このブログに書かなかったかもしれないので一応書いておきますと、自分は父親から虐待を受けたことがあり、親子関係や支配行為について強い執着を持っています(良くない傾向ですが)。つまり、『無理やり与えられたもの』といえば、特に暴力や不安、精神疾患などのことです。

    もう少しじっくり考えて、また書き込みます。

  • #2

    ヤツメカワウソ (土曜日, 13 4月 2019 19:01)

    もしかして、親が育てたエゴ(つくった本質)はあくまで思い込みだから、自分自身ではない、ということでしょうか?なるほど、それなら分かるかも。

    主体性とエゴの違いや、感謝と主体性の関係についても考えてみます。主体性というと『自分が』『自分で』『自分だから』というキーワードを連想しますが、実際には全然違うみたいですね。

  • #3

    ヤツメカワウソ (金曜日, 10 5月 2019 12:26)

    お久しぶりです。『自分の主体性や責任を実感できていないのは、哲学の研究というより精神的な問題ではないか?』と考え、海さんのヒーリングを受けてきました。だいぶスッキリしたと思います。

    現在では『親がつくるのはエゴ(≒思い込み)であり、本質ではない』という考えに落ち着いています。また、『原因と責任は別なのではないか』という考えにも至りました。

    社会や親が原因で苦しい境遇に陥っている……そう思うと自分の責任が無いように思えますが、原因がどうであれ、それを受けてどうするかは自分の責任なのだと考えています。

    おかげさまで良い学びができました。ありがとうございます。

  • #4

    どっぺん (金曜日, 10 5月 2019 13:58)

    ヤツメカワウソさん
    コメントどうもありがとうございます。
    海さんのヒーリングに出会えてよかったですね。
    ヤツメカワウソさんの持たれる問題意識は哲学的だと思います。こうやって御自身の問題に解決を図るのは大変勉強になりました。将来の作品がとても楽しみです。待っています。

  • #5

    ヤツメカワウソ (水曜日, 05 6月 2019 19:44)

    その後の経過です。ヒーリングでは、「集合魂のエゴが膠着し、その影響でいくつかの症状が出ている」という点が問題になっていました。その問題はすでに解消され、改善しつつあります。

    ただ、現世を生きる自分自身の問題としては、まだ真の解決には至っていないことに気づきました。つまり、感謝と責任については一定の学びを得たものの、「感謝のなさを克服する」というレベルには到達できていなかったんです。

    虚空蔵55さんがおっしゃるように、「勘違い」や「間違い」「思い込み」「無関心」などの迷妄に気づかされたとき、怒りや拒否ではなく感謝の心を持てるよう、精進していきたいと思います。

  • #6

    どっぺん (金曜日, 07 6月 2019 16:10)

    ヤツメカワウソさん
    御投稿いつもありがとうございます。
    海さんのヒーリングはすごいパラダイムで展開されるんですね。大変興味深いです。
    「感謝のなさを克服する」ということに目を向けられるのはとても大切なことと思いますが、ヤツメカワウソさんにとって感謝を抱かれる物事をいうのはどういった対象や出来事になるのか、ひとつ教えていただいてよければお願いします。

  • #7

    ヤツメカワウソ (水曜日, 19 6月 2019 00:39)

    こんばんは。気づくのが遅れてすみません。
    自分が感謝を抱くことと言えば……なんだろう。挨拶としての「ありがとう」は毎日のように言っていますが、内面的に、どこまで感謝できているのかが疑問です。うわべだけならいくらでも取り繕えるので、普段の感謝がうわべの感謝なのか、素直な感謝なのか、区別がつかなくなってきました。

    「本気で感謝の念を抱いたもの」は少ない気がしますが、一つだけ、はっきり思い出せるものがあります。

    けものフレンズというアニメの最終話がそれでした。そのアニメを見終わった時、自分は救われたような気持ちになりました。そして、ネット上で視聴者たちが「たつき監督ありがとう」「サーバルちゃんありがとう」「サバンナの木ありがとう」などと書き込んでいるのを見ると、製作者や自然界への感謝が自然と湧いてくるようでした。

    その日から三日くらいは感謝の気持ちが続いて、精神的にも暖かく、落ち着いた気分でした。あれはありがたい体験でした。

  • #8

    ヤツメカワウソ (水曜日, 19 6月 2019 01:11)

    蛇足ですが、一応自己分析もしようと思います。自分としては、けもフレの最終話に対して『特別な体験だった』と感じています。逆にいうと、他のほとんどの体験については「あって当然のもの」とか「大したことじゃない」「特別な価値がない」という思いがあるわけです。また、「有って“当然”」と「有り“難い”」は対義語のような気がしました。

  • #9

    ヤツメカワウソ (水曜日, 19 6月 2019 11:26)

    普段の出来事で、感謝を抱くことを思い出しました。「自分が誰かの役に立つこと」ですね。昨日の夜、ふと「オレが書き込みをすることによって、どっぺんさんの学びにもなってるのかな」と思いました。すると、「お役に立てるんならありがたいことだな…」といつ思いが自然と湧いてきました。そういう感じです。

  • #10

    どっぺん (水曜日, 19 6月 2019 11:53)

    ヤツメカワウソさん
    ご返信どうもありがとうございました。けものフレンズの最終話を見てみたくなりました。感謝につながる感動がそこにあるのでしょうね。
    それと私の学びに大変役に立っています。汗を流しながら考えています。どうもありがとうございます。

  • #11

    ヤツメカワウソ (水曜日, 19 6月 2019 14:38)

    こちらこそ、ありがとうございます。お役に立てて嬉しいです。

  • #12

    ヤツメカワウソ (水曜日, 19 6月 2019 17:56)

    ちょっと考えてみたのですが、差別思想?みたいなものとか、「死を忘れようとしている」というのが問題なのかもしれません。

    物事の価値にこだわり、特別なものは好むが、価値の無い物を嫌う。さらに、価値が無いものに感謝をしない性格。

    そして、当たり前のものがいつ無くなってもおかしくないこと……言い換えれば、「物事の滅び」「死」ということになります。自分はそれを理解していないために、当たり前にあるものへの感謝ができていないのかもしれません。

    また、「求められることが自分の価値」という価値観がまだ残っているのだと思います。「価値のある物」がありがたくて、「自分が誰かの役に立つこと」もありがたいわけですよね。自己犠牲へのこだわりは無くとも、「自分が誰かの役に立つこと=価値のあること」と考えているのかもしれません。

  • #13

    ヤツメカワウソ (月曜日, 24 6月 2019 16:04)

    質問7に関連して、追加で質問をします。自分は今、感謝のなさを克服しようとしているのですが、少し分からないことがあるのです。

どのくらい、どのように感謝をすればいいのか。価値のないことや受け取りたくない物事には感謝しなくてもいいのか。「感謝がある」とは、いかなる場合であっても感謝ができるということなのでしょうか?

あるいは、価値があると気づいた時点で感謝をするとか、当たり前だと思われていることこそ尊いのだと気づくとか、そういう行動が重要なのでしょうか?」

  • #14

    どっぺん (月曜日, 24 6月 2019 18:44)

    上をご覧下さい。

  • #15

    ヤツメカワウソ (水曜日, 26 6月 2019 18:00)

    上手く呑み込めていないのですが、感謝によって守護霊とつながることや、神々の加護を受け取ることが重要みたいですね。そして、どんな状況でも等しく感謝ができれば、一つの段階をクリアしたことになると。

    考えてみれば、自分にとって価値が無さそうに思えることや、当たり前のように思えることであっても、実は神々の恩寵かもしれないわけですよね。つまり、そういった物事も含めて、あらゆる物事に感謝すること。それが感謝の範囲というか、感謝の仕方なのだと感じました。

    また、感謝の無さを克服する上では、消えていく姿、世界平和の祈りが有効みたいですね。生活が楽になって祈るのを忘れていましたが、このテーマをクリアするため、再び祈ってみようと思います。どうもありがとうございました。

  • #16

    どっぺん (木曜日, 27 6月 2019 15:12)

    ヤツメカワウソさん
    どうもコメントありがとうございました。ヤツメカワウソさんのご質問はご自身の成長に全部つながっておられるのですね。とてもうらやましいです。
    全く関係ないのですが、「海獣の子供 (五十嵐大介)」という漫画を最近一巻だけ読んですごく気に入りました。この出会いに感謝しました。続きを買おうかなと思っています。

  • #17

    しんすけ (月曜日, 08 7月 2019 23:34)

    感謝ですね、どんだけ感謝したら、いいのかとかと、課題にすると、一日中世界平和をとなえたから満足とか、 取引の祈りになるんです、100回世界平和のお祈りをしたから、今の苦境をのりこえるとか、たしかに前進すると、おもいますが、それも今は大切だとおもいます、私の体験談ですが、毎日地獄で、ぬけだしたくて、世界平和の祈りをしてました、それなりに改善して前にすすむですが、やはり、取引のいのりで、元にもどって、しまいました、 今最近できるように、なったのが 世界人類が平和でありますようにととなえても、ただ発言してるだけか?、こころの奥底から、そう願っているのか、深くkんがえます、 1日のなかで、一度どでもいいので、心の奥から、世界が平和であってほしい、人類が平和で、みんな平和で暮らせるようにと、思える深い祈りができればー回でも、意味があります、世界平和の祈りを心からうると、後から感謝がわいてきて。受け取れる順番のようなきがします、 参考になればー アザースー世界人類が平和でありますように

  • #18

    しんすけ (月曜日, 08 7月 2019 23:54)

    すいません、私の感覚ですが、世界平和の祈りをします。心の奥からイメージですが目の前に小さな地球があり、世界の人々60億人みんな幸せになってほしい、と強くイメージしながらお祈りしますと、その自分が出した自分のエネルギーがー五井先生と合体されて、増幅して、すぐ、自分にかえってくるんです、 帰ってくるエネルギーが感謝のエネルギーで、有難い気持ちちなるんです、感謝を受け取れるような、祈り方がいいと、おすすめします、 取引の祈りもしないですし、ただ、地球様と、人類に平和になってほしい、あんたのエネルギーが、あなたにー感謝のエネルギーがまわってくる、 ようなきがします。

  • #19

    しんすけ (月曜日, 08 7月 2019 23:57)

    あんた、訂正、あなた様ですー ごめんなさい