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質問9 Oh!様

どっぺん様へ。
お世話になっております。
質問させて頂きますがよろしいですか。

①只今、消え行く姿をお祈りに組み込んで

祈れるように練習している今日この頃です。
例えば、人間関係で苦しむ事が起きたならば、これは消えて行く姿なんだなあと、その起きた事象とさよならするイメージを思い描きながらお祈りをしていますが、こんな感じでよろしいでしょうか?
もうひとつ考えたのは、例えば車を運転していてバックミラーに映る光景が遠退く様子を見て、これを自分に現れる苦悩が次から次へと降りかかってくる有り様に置き換えてみて、その景色が遠退いて行く光景を消えて行く姿だという風にイメージをだぶらせた状態を保ちながら、苦悩する自分を俯瞰する、もしくは自分で自分を励ます、もしくは未来の自分に希望を託す、もしくは何も思いを馳せず感謝の心でさよならする。
こんな感じはどうでしょう?
②どっぺんさんからのメールは当方の受信ボックスにはこちらのとからのメールが入っていたのですが、こちらから問い合わせたい時はどちらのアドレスにメールを出したらどっぺんさん側では都合がよろしいでしょうか?
③ブログのサイトに質問を出させて頂く際になんですけども、ハンドルネームはどっぺんさんのサイトで使う場合のネームと宇宙全史BBSで使う場合のネームとで、それぞれ違うネームにしても問題はありませんか?もしかして問題ありますか?
④どっぺんさんは植村直己にはご興味はございますか?
つい最近、彼の現在の行方を調査した方の話によりますれば、
現在の状況を判定するのに写真とかドイツ振動医学のレヨメータを駆使して読み解くのですが、彼は没後35年(くらい?)経過しているらしいですが、今現在33回忌の段階(=虚空蔵菩薩の像の波動)まで登ってきてお過ごしの模様です。更にその中の5段階目(だったかな)まで進んでいるとか。 
BBSでちらっと掲載していた事のある、裸の大将山下清は同じく33回忌の4段階目だそうです。
あとは、もう一人、鈴木さんという知らない人で仏教を学んで教えてもいた偉い人らしいですが、この方は没後50数年経っていますが、まだ初七日の段階にいるそうです。原因を測定してみるとプレッシャーと不満足と完璧主義の囚われがある事がわかりました。つまりこれらのエゴを消化出来ないでいるので上の階層(二七日)に進めないんだとか。
多くのなくなった人を調査して解った事は文明が干渉していないジャングル等の秘境で暮らす部族は既に存命中からリンクしている階層が高く、そうでない人でも自然をこよなく愛する人の場合は死後の進展もスムーズに進んで行けるという事が言えそうだ、
というちょっと気になる話です。
宗教や精神世界やスピリチュアルや道徳を知識的にしっかり学ぶだけでは魂は磨かれないという結論を出しています。
宇宙全史で再三言われていますエゴをうすーくしていくのは重要課題ですね。
ありがとうございました。
OH!」

Oh!さん ご質問どうもありがとうございます。

                                                 

①「消え行く姿をお祈りに組み込んで祈れるように練習している」とのことですが、お書きになっているように俯瞰するというやり方は有効だと思います。次の虚空蔵55様の御教示が参考になると思いますのでお読み下さい。

 

2009/3/4 No.115
これは右のNO573に対するお答えです

satsuki様

一つ目のご質問です。
satsuki様は五井先生の「消えていく姿」と「自分で自分の行為に責任をとる」という一見矛盾する命題に困惑しておられるのでしょうか。
五井先生の教えにあります「この現象界に現れるすべてのものは、現れればやがて消えていくものである。その現れるという事実があって始めて消えていくことができるのである。だからその顕現をもって一連のカルマの終焉とみなすべきなのだ」という教えです。
もう少し分かりやすく申しあげますと私たちの人生における行動・・・運命はカルマによって運行されています。
カルマといいますのは個人個人で異なるものですが、過去世からの積み重ねや今生においてせっせとため込んだ「葛藤・やり残したもの」です。
それはいつか必ず解消しなければならないものですが、それがいつ顕現するかは世界全体とのタイミングにもよってきますので、中々はかり知れないところがあるのです(少なくとも肉体の人間には)。
だから皆様は街の占い師や週刊誌の占いコーナーに目が行くのです。

カルマが現象界に顕現する時、それは消えていくために顕現するのです。
ところが人々はそれが現れると、今度は又それに囚われてしまって、又新たなカルマを形成します。
たとえば非常に単純な例ですが、過去世で人殺しをした方がいたとしましょう。
そして今生でそのカルマの解消で逆に過去殺した人に今度は殺されます。
ところがその時殺した犯人を深く恨んでしまい、再びそこにカルマを作ってしまいます。
そしてまた来世で自らがその人を殺す・・・という悪循環を繰り返すのです。
とても単純化した例でしたが、カルマ(輪廻)とはこういうものなのです。

そこで五井先生が「現れれば消えていくものだから、その姿(現象)にとらわれず、消えていく姿というのを観照して、世界平和の祈りの中で浄化しましょう」と教えて下さっているのです。

この教えの優れた所は、人はカルマが顕現すると(たいがい悪い事ですから)、自分が悪いからこういう不幸な出来事がおきるんだ・・・と考えがちです。
特に精神世界に関わっている方の多くは、エネルギーが薄い方が多いですからそういう傾向が強いのです。
するとそこでまた「自分を責める」という葛藤を抱え込んでしまうのです。
それをシンプルに「消えていく姿」として観照(みなす)することで、解き放つことができるのですが・・・ここで問題が出てくるのです。

「消えていく姿を観照していれば自分は何の努力もしなくてもいいのか」という疑問が出てきます。
それは「自分のことは自分で責任をとる」という命題と相反するようにも見えます。
これは二番目のご質問になりますが、実は自らの人生で自らに顕現するすべてのことを「消えていく姿」で観照するということは、最高の「自分のことは自分で責任をとる」ということなのです。
おそらく普通の方にはでき得ないメソッドだと思います。
たとえばあなたが誰かにいじめられているとします。
それもしつこくしつこく、毎日のようにそれが続きます。
その時あなたは「これは消えていく姿なんだ。現れれば必ず消えていくものだから、自分はその現象(いじめ)に対して新たな葛藤(悔しいとか殺してやろうとかいう思い)を抱かず、ただひたすら世界平和の祈りの中で浄化していこう」などと思えるでしょうか。
正直中々そこまで徹底できる方は少ないと思います。
それよりはまだ「自分のことは自分で責任をとる」という方が出来る方は多いと思うのです。
Satsuki様はおそらく「消えていく姿」の方が楽だと思っておられたと思います。
だからこそ「消えていく姿」と「自己責任」の間に何やら微妙な違和感をもたれたのです。
しかし五井先生の「消えていく姿」の教えは、簡単なようですがある意味究極のメソッドでもあったのです。

(中略)
以前書きましたが「宇宙全史」は、何生もかけて覚醒を求め、今生でも多くの賢聖につき教えを乞い、しかしそれでもなお果たせない魂が行き着くところです。
それはどこまでも妥協を許さない、不屈の忍耐と不屈の意思を持った魂だけが本来たどり着ける境涯なのです。

「宇宙全史」を本当に理解するには、多くの方々には多くの努力が必要とされています。
思い込みや先入観をなるだけはずして色々勉強なさって下さい。
やがてご自分で「これは必要、これは無駄なもの」という判断がお出来になるでしょう。

ご健闘をお祈りします

虚空蔵55

                                              

②③ これはどちらでも結構です。

                                                  

No.3815でアレクサンドロスさんも植村直己に関するご体験を書かれていますが、私は植村直己を詳しく知っているとは全く言えません。これから教えて下さい。文章中にある「ドイツ振動医学のレヨメーター」というのを初めて知りました。先日よく分からないながら音叉を買って、海さんに質問して教えていただいたことがあるのですが、どう扱って良いのかよく分からないことを思い出しました。全く関係ないですが。

「宗教や精神世界やスピリチュアルや道徳を知識的にしっかり学ぶだけでは魂は磨かれない」のはおっしゃるとおりに思いますが、先日からEOの「廃墟のブッダたち」を所々読んでいて、大変参考になる言葉をたくさん見つけました。Oh!さんがもしお読みでしたら、この点に関して、また御意見下さい。(未完)