· 

質問11 satsuki様

 

こんにちは、satsukiこと○○と申します。
再びどっぺん様にお聴きしたいことがあり、メッセージを送らせて頂きました。
 
私は8年と半年の間介護職に携わらせて頂いています。
何度も辞めたいと思いながら続けてきました。
この仕事が好きとは言えません。
ですが、働くことの喜び、人とのかかわりは好きでした。
現在は一つのフロアのリーダー職にあります。
リーダーという役職に就くと同時に施設でも最も課題のあるフロアに転属になりました。ここまでやってきたんだ、やれるのならばリーダーを経験したいとの思いがありました。
次から次へと課題、トラブルが続き、人手不足も相まって残業時間がドンドン増えていきました。
あまり気づかなかったのですが、どうも一人で残業を抱えすぎていたようです。
それにしても現場が忙しすぎるというのが現状です。
スタッフの補充もありません。減っていく一方です。
私の中の「この仕事が好きになれない」という想いを消化することができず、今まで勤めてきました。
そのような思いがある反面、目の前のことに最善を尽くす、全力を尽くすという課題を成し遂げようとこらえてきました。
仕事は真面目にやってきました。心が乱れて介助が荒くなったり心で暴言を吐いてしまったり、小声で出てしまうことも、怒りが爆発しそうなこともありました。五井先生、五井先生と想いながら一勤務、一夜勤を越えてきました。
最近は平常心を失いがちなのかもしれません。
数年前から、もうこの辺で辞めよう、区切ろうと何度も思いましたが、「目の前のことを一生懸命やっていれば、必ず道は開ける」「ここで辞めたら逃げになる」という想いがあり、辞めようと想う度に「まだまだやれる」と奮起してやってきました。
一年半ほど前から今の部署、役職になり、人手不足が解消されぬまま時間外労働、トラブル対処など気力、体力の消耗を常に感じつつの労働に変わっていきました。
フロアを見渡すなく、元気が小指の先の爪の先程のような感じで何とか勤めている状態です。
お祈りを欠かさずさせて頂いていますが、仕事面での改善はなくて、この仕事に対する自分のビジョンもなく唯々消耗の毎日を送っています。
天河りえ先生の元でNE運命解析士の勉強をさせて頂いています。何とか現状を打開したいとの思いもあって始めました。中々仕事と同時進行はさらにきついです。ですが、この勉強の楽しさを感じられるのは事実です。
りえ先生は私たちに自立の道を示されています。
私にも、今の仕事に関して、次のようなアドバイスを下さいました。
連日私が救急車のサイレンを聴いたり、救急車に出くわすので、何のお知らせでしょうかとお聴きした時のメッセージです。
「○○君が
いつまでも、自分の時間を
無理してまで、奴隷のライスワークに
費やしているからでしょうね。
 
他の選択肢はないのですかね~
 
周りもみんな奴隷マインドの
集まりじゃないですか。
 
その環境やその仕事が
好きでたまらないのなら
そこで、頑張ればいいんです。
 
そうではないのなら
ネバならないの発想で
いつまで、そこにいるのでしょう。
 
少なくとも、自分の人生の学びの
テーマを、そこで決めて
いつまでに、そのテーマを学びきるのかと
期日を決めてない限り
 
永遠と流されて、生きている状態なので
そのような停滞気味という認識になるのです。
 
今、リーダーの位置ならば
すくなくとも、環境により良き
影響を与えていけるだけの
エネルギーがないと
 
労力を2倍3倍も請け負うだけの
なんでも屋さんに成り下がりますよ。
 
人は自分のヴィジョンや理想を
自ら決めて、今を生きない限り
何も見えないし、常に、先のことや
余計なことにばかりエネルギーが
取られるのです。
 
なぜ、そこにいるのか
いつまでそこにいるのか
何のためにそこにいるのか
何を学びきったら
そこは終了なのかを
 
よく考えることです。
 
それなくして、ただ流されるままに
いるのだとしたら、自分の肉体を
消耗させるだけです。
 
龠幸輪をやっているなら
いろいろ、気づきが起こり
行動が促されるはずですよ。
 
自ら、気づいたことに対して、
チャレンジや行動、切り替えることを
していかないと、ブレーキと
アクセルを両方踏んでいるようなもので
前に進まず、消耗します。
 
そういうサインでしょうね。」
 
このアドバイスを頂き、しばらくして、自分の心が「助けて!」といっているのだと気づかされました。
そうして、先日上司に「3月末で介護に区切りを付けようと思っています。」と告げました。まだそれについての面談、話し合いはありません。近々あると思います。
自分なりにできることはやった、疲れ切った状態ですが、これ以上、ここにい続けることはもうできないと感じたからです。
しかし、これが目の前のことに最善を尽くした、やれるだけやったということなのか?ヘトヘトになり、こういう決断に至ることが、答えなのか?
もっとやり抜けばいいのか?
 
自分に素直になるということでいうならば、「辞めたい」のひと言です。
 
その先の道が分かりません。自分なりに介護の仕事に取り組んできたけれど、パッとしない感じだなと思っています。
辞めた後の不安や恐怖があります。
介護の経験は経験として、新たなことにチャレンジしていくことが、守護の神霊の導きということなのならば大いにうれしいことです。
ですが、この仕事をやめることが、エゴの単なる目の前のことからの「逃げ」であったならば、と思うと
辞める決断が鈍ってしまいます。
何か為さねば、何か達成しなければと力みすぎているのでしょうか。
辞めることでゆっくり休み、休んだらまた歩き出せばよいという感じでいいのでしょうか。
決断、決めてやる。
流されてただ生きるということではなく、素直な自分の心に従って決めていく、それが今大事なのでしょうか。
りえ先生のアドバイスをもらいながら誠に失礼に当たると思っています。
もし許されるならば、
どっぺん様、お忙しいところ誠に恐縮なのですが、
よろしければ、アドバイスを頂けませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。
 
 
 
 
 
satsuki様
 
メール拝読致しました。大変な状態で、私が主治医であれば、一旦お休みをしていただいて、よく考えていただくようにすると思いました。〇〇さんは既によくご自身の考えるべき所を考えておられ、りえ先生らしい素晴らしいアドバイスもよく分かります。
 
私が気になる点が一つありまして、「8年と半年の間介護職に携わらせて頂いています。何度も辞めたいと思いながら続けてきました。この仕事が好きとは言えません。ですが、働くことの喜び、人とのかかわりは好きでした」というお言葉の「この仕事が好きと言えない」というこの仕事のどの部分がどう好きでないのか、教えていただけますか。よろしくお願いします。どっぺん
 
 
 
 
 
どっぺん様
 
お忙しいところ、
 
お返事を頂きましてありがとうございます。
 
自分を振り返って書いてみます。。
 
よろしくお願いいたします。
 
 
 
介護の仕事をどうも苦しみながら続けてきたという印象が強く、どうにも好きになれないなぁ、何故かなぁという想いと、
 
好きになりたくない、深くかかわりたくないという抵抗感を持っているのだと感じています。
 
そんな中でこれ以上責任をもって働く、のは無理だと感じています。
 
本当は嫌なのに関わっているという「自分を偽っている感」がこれ以上こらえられないところがあります。
 
でも、何がそんなに嫌なのか、その一点が分からない。何に引っかかって「いや!」と言っているのか
 
自分でも分からないところです。たとえ介護の仕事をやめたとしても他の仕事でもこの「関わりたくない、嫌だ!」
 
という想いはついて回るような気がします。つまりは責任を負うのが怖いのかもしれません。
 
 
 
職場の人間関係は良好な方だと自分では思っています。
 
仕事を協力して、助け合っていこうという仲間に恵まれていました。
 
その点で人と関わることが嫌だと感じたようなことはあまりありません。
 
 
 
体を動かして仕事をするのは気持ちの良いこととも感じています。
 
どちらかというと、体を動かす仕事が自分には合っていました。
 
しずかにパソコンワークに打ち込むとか、単純に体を動かすワークなどは得意です。
 
 
 
働いてお給料を頂けるということは自分にとって本当に喜びでした。
 
高校卒業後からアルバイトを転々として対人関係などに悩み、やっとこさ就けたのが介護の仕事でした。
 
毎月お給料がちゃんともらえるということは、自分にとって誇りでありましたし、自分が社会的に認められている安心感でもありました。
 
自分もお給料をもらえるんだという、不思議だけど有難いという感じがあります。
 
自分が働いて社会の一員として暮らせている、生活ができる。お金が使える。
 
働けてありがたい、といった感じです。
 
 
 
介護は体を動かす仕事ですが、対人的なストレスはかなり感じていました。
 
例えば、認知症の方、様々な個性の方への対応、「ああしてほしい、こうしてほしい、ああ言ったのに何でしてくれないの」といったお年寄りやその
 
家族の方々が伝えてくる依頼への対応、忙しすぎる現場で、スタッフどうしの確執、ぶつかり合い(自分は比較的どのようなタイプの方とも割と
 
そつなく勤務できていました)みんなの愚痴や泣き言はよく伺っていました。
 
 
 
お世話することへの根本的な嫌悪感、なんだか息苦しさを感じてしまう。集団生活の場である施設でのお年寄りの生活がメインとなり、一人ひとりの
 
お年寄りの生活を大事にできず、業務に追われ流れ作業、一方的な施設目線の介護と、だけど個別ケアをしていきなさいという会社の考えに対する葛藤、
 
施設の運営、体質が一向に変わらない事への絶望感。どんな状態の人でも受け入れてしまう施設の方針。それに見合う力量のスタッフが少ないなど、
 
職場に対する不満もあると思います。
 
結果的にいいか悪いか、なるようになっていく(うやむや感が強い)のですが・・・。
 
 
 
うまくまとめられないのですが、あまり書くと職場への不平不満になってきてしまいますね。
 
 
 
あまりうまく書けないのですが、いま書けるだけのことを書かせて頂きました。
 
お忙しいところ誠に申し訳ありません。
 
よろしくお願いいたします。
 
 
 
○○ 拝
 
 
 
 
 
 
 
satsuki様
 
 
 
仕事能力や対人関係の持ち方は問題ありません。
ですが、りえ先生の言われる「何を学びきったらそこは終了なのかをよく考えること」だと思います。
 
「介護の仕事をどうも苦しみながら続けてきたという印象が強く、どうにも好きになれないなぁ、何故かなぁという想いと、好きになりたくない、深くかかわりたくないという抵抗感を持っている」「本当は嫌なのに関わっている」「認知症の方、様々な個性の方への対応、「ああしてほしい、こうしてほしい、ああ言ったのに何でしてくれないの」といったお年寄りやその家族の方々が伝えてくる依頼への対応、忙しすぎる現場で、スタッフどうしの確執、ぶつかり合い(自分は比較的どのようなタイプの方とも割とそつなく勤務できていました)みんなの愚痴や泣き言」「お世話することへの根本的な嫌悪感」という気持ちが生じてくる背景が知りたいです。幼少期のこととご両親や他の重要人物との関係について振り返ってみていただけますか。どっぺん
 
 
 
 
 
どっぺん様
 
 
 
お返事を頂きまして、ありがとうございます。
 
今、書けるだけの文章を書いてみました。
 
ワードで文章を作成いたしました。
 
添付させて頂きます。
 
本当にありがとうございます。
 
上手くまとまっておりませんが、
 
何卒、よろしくお願いいたします。
 
 
 
 
 
(以下ワード)
 
どっぺん様
 
 
 
現在も両親と暮らしております。
 
一時期、1年半ほどは離れて暮らしておりました。
 
現在は40歳。独身です。好きな人はいますが・・・です。
 
大雑把になりますが、自分に残る印象、かすかな記憶です。
 
子供の頃の記憶が思い出せない、思い出しにくい、思い起こすのが苦手という感じがあります。
 
 
 
幼少期
 
父は警察官です。母は結婚をして交通指導員を退職、私が小学生の高学年頃にまた働き出しています。妹が一人います。彼女とは特に不仲ではなく、二人いると漫才コンビのようになります。楽しい妹です。
 
自分はやんちゃな子供だったと思います。
 
三歳くらいまでは非常にやんちゃ、ヒーロー、特撮が好きで、ウルトラマンごっこ、パーマンごっこ、常に友達の中心になって遊んでいたようです。
 
4歳、5歳以降となると母親が段々変わってきました。
 
母親はいつもピリピリしていたように思います。私の言葉遣いが荒いと、「今なんて言った!」「もう一度言ってみろ!」。私の態度が荒いと、「今何をした!」「もう一遍やってみろ!」。
 
必ず手が飛んできていました。
 
ああ、殴られるな、痛いけど、もう慣れた。諦めて顔を差し出していました。
 
だいたい小学校の5年生になるかならないかくらいまで、そうした経験が続いていたのではないかと思います。
 
毎晩のおねしょに悩まされました。
 
父とのかかわりはあまり覚えていません。たまにキャッチボールをして一緒に過ごしたり、
 
バイクに乗せてもらって走ったり、一緒に犬の散歩に出かけたり。
 
小学校3年生くらいになると私の性格に歪が生じてきます。
 
非情に冷徹になって道を忙しく動き回る蟻をバタバタと踏み殺していたり・・・。
 
親の財布に手を出してゲームソフトを買ったり、エアガンを買ったり、友達のおもちゃをとってしまったり、盗癖のようなものが抑えられなくなっていました。
 
当然親には直ぐにばれます。気まずい空気が家庭に流れます。
 
何度か親の財布に手を出して、一度父親にそんなことをすると悲しいと諭され、けじめとしてこの時は父親に殴られました。父に殴られたのはこの一回だけです。
 
こういったトピックス的な事象の他は、兄弟げんかもありました、まあまあ、平穏な家族、生活でした。
 
学校の勉強は何故かできなくて、
 
先生の話を聴いても聴いている時は分かるけど、さあ、やってみなといわれると計算ができない、宿題もやっていかない、テストもできない。いつも宿題忘れ、勉強のできない○○、
 
バカの○○と言われ、自分でもそう思っていました。
 
体育だけは得意。
 
良い子を装っていたのかな、と今は思います。親に歯向かう反抗するといったことはほとんどなかったと思います。
 
何回か、酔っぱらった母に挑発されて、腹が立って取っ組み合いになったけど、バーンっと
 
足を払われて、力的に全然かなわなかったという記憶があります。
 
一度だけ、腹が立って、言い合いになって家を飛び出したこともありました。
 
すぐに近所の叔母さんが声を掛けてくれて、原付バイクに私を乗っけて、家まで連れ帰してくれました(ああ、余計なことをするなと思ったと思います)。
 
親の押さえつける力は相当強かったです。
 
小学校3年の秋、友達にサッカークラブに入ってくれと懇願されて断りきれず、サッカークラブに入りました。毎週日曜日はサッカークラブに拘束されました。
 
鬼のようなコーチ。怒鳴り、激しい馬頭、容赦ない弾丸ボールをくらわせてくる。
 
朝から晩まで走らされる。あぁ、このコーチ母親に似てるわ・・・とどこかで思っていました。だから何となく平気・・・。と思っていました。怒鳴られたり、打たれたりは平気・・・。
 
そんなあきらめもあったかもしれません。
 
辞めたかったけど、決めたからにはやり抜けと、母親は辞めさせてくれなかった。
 
サッカーは嫌い。嫌いなまま6年生の終わりまでやりました。
 
クラブの中には嫌だけどやっている子もいて、そんな子と仲良く、何とか乗り切ったんですね。ゲームの話とかアニメの話とか、ゲームソフトの貸し借りをしながら、地獄の練習を乗り切りました。
 
だから自然と、波風立たぬように自分を抑えて生活するようになっていったようです。
 
小遣いすら自由に使えず、おもちゃなんか買おうものなら、母親の逆鱗に触れます。
 
正式に小遣いをもらい始めたのは小学6年生くらいではなかったかと思います。
 
600円を月にもらっていました。
 
好きなアニメのロボットのプラモデルをドキドキしながら買いました。もちろん親には内緒です。やったーっと思って家に帰り、でも親には正々堂々見せられません。
 
こそこそ隠してチョコチョコ作っていました。
 
そんなところを母に見つかり、「それはどうした!」「何で勝手に買うの!」「こっちに渡しなさい!」
 
相当抵抗したと思います。でもとられてしまいました。「クリスマスまで没収です。」
 
結局それがクリスマスプレゼントになりました。
 
とにかく、いい子でいなくてはいけなかった。
 
勉強が分からなかった。盗癖があって友達の物にも手を出して、友達関係がうまくいかなくなってきた、孤独になってきたというのが、小学校高学年くらいです。
 
あまりにも勉強ができないので親も不安になり、周りも塾に行く子どもが増え、自分も行くことになりました。多分、当時、任天堂のスーパーファミコンが出たくらいの時で、それを買うのと引き換えに塾に入った記憶があります。
 
やんちゃな面といい子にしなきゃいけない、母親の統制、素直な子どもの私としての発露がなかったかなと思います。歪、屈折、不燃、抑圧がぴったりだと思います。
 
中学に入ると勉強に我を投入していきます。馬鹿の○○を返上したかったのです。
 
勉強って何?ということが分からず、どうも周りの言っていることを聞くと、暗記、記憶
 
が良いとテストができる、ということが分かりました。
 
そういうこと?と一応自分を納得させてがり勉しました。
 
なるほどテストの点は良くなった成績も上がった。大事な何かと引き換えに頭良い○○君になっていきました。
 
姿勢も表情も硬直していたようで、ロボットみたいなやつとう声を聴いたこともあります。さすがに部活では、サッカーは選びませんでした。
 
が、親の影響(父も母も剣道経験者、やってみろいいぞとの進めで、そういうならと・・・)もあり、剣道部に入部。
 
これも相当きつかった。好きでないものをこらえ、こらえて3年間。
 
ここでもやはり、部活好きじゃないけどやめられないという友達がいて、そんな子と仲良く気が合って、ゲームの話なんかで部活とは別に精神的に支えられました。
 
情緒的なものが欠け、友人との関係も希薄、高校生活もその延長のような感じになっていました。
 
高校に入ったくらいから母親が大分軽くなってきて、比較的縛りが和らぎました。
 
自分は勉強にさえ集中していればよかった。母親の仕事も本格的になり、学校から帰ったら
 
家族の為に晩御飯を作ったり、休みの朝は朝ごはんを作ったりしていました。
 
勉強にはなぜ、どうしてそうなるのかという視点が出てきて、よく計算の意味とかを考えていました。部活動は、はじめはテニスを友達に誘われてやっていたけど、性に合わないので1年で辞めました。以降は帰宅部で通しました。
 
勉強が面白いなと思い始めるや否や、大学入試の話になり、ついていけなくなってきました。
 
受験勉強はもうしたくない。でも勉強は楽しい。
 
特に、化学や英語が好きでした。
 
結果的に受験はしました。成績は理系ではボロボロ。
 
でも、とりあえず大学行っとけという、頼りない担任の勧めで福祉系の大学を受験。
 
通学時間往復8時間の大学に半年通って、身も心もボロボロになって辞めました。
 
親に助けてって言えない、自分で何とかしないとの想いもあり、浪人もせず、そこからアルバイトを転々とし、人生とは、生きるとは何だと彷徨うようになりました。
 
20歳から28歳、29歳の間です。うつ傾向でかなりしんどかったです。
 
ちょうど28歳くらいで宇宙全史に出合い、五井先生に出合いました。世界平和の祈りってなんだろうな、祈り言葉は豆腐屋さんの柱に貼ってあったり、町中に見かけたりして、
 
なんか変な宗教じゃないか、くらいにしか思っていませんでした。宇宙全史を読んで、
 
図書館で五井先生の御本を開き、お写真を見た瞬間、「あっ、この人は!」と思ったのが
 
本当に不思議な感覚でした。
 
 
 
 
 
どっぺん様
 
 
 
先ほどのメールを送らせていただいた後、
 
りえ先生の「何を学びきったら、そこを終了なのか」を
 
もう一度考えてみました。
 
 
 
私は、この会社、この施設という場で、一連の介護の仕事を経験し、
 
体を使って人のお世話をする、介護という仕事を経験するなかで、
 
ある一定の経験値を得ることができました。
 
サブリーダーからリーダーへと上がり、難しいく、混乱気味だったフロアに転属、
 
確かに忙しく、大変ですが、フロアも調和してきて前任者の方々が担当されていた
 
頃よりも大分調和していると思います。
 
 
 
ここでの業務的な力量、技量はおそらく申し分はないと思います。
 
会社の仕組みや取り組みにとやかく言ってこの施設を変えていきたいというまでの
 
介護に対する意欲はありません。これからの介護を考えていきたいとか、高齢者福祉を
 
考えていきたいという想いもありません。
 
かといって現場に残っても、
 
この施設でのその業務の毎日に物足りなさを感じていたのは事実です。
 
何か違う経験、関わりを求めていたことも事実です。
 
介護のほかの可能性は?
 
それを考えることに恐怖がありました。
 
生活の為の仕事を辞めてしまうなんて、これからも生活しないといけないのに、
 
自分に何ができるのかと。
 
自分なんて・・・。
 
そんな想いがくすぶっているのも確かです。
 
 
 
介護としては、もうこの辺でよいという想いがあります。
 
現場での自分なりの最善は尽くしたよという想いがあります。
 
もちろん、生活の為の仕事は探さないといけないですが、
 
介護は、なんかもうお腹いっぱいなんだ、そんな感じなのです。
 
もうこの辺りでいいよ。
 
それが、やった、やり切ったということなんじゃないかと思えるようになりました。
 
自分が望むところまで到達したんだと。
 
 
 
人間としてまだまだ学ぶことはたくさんありますが、この場でそれを求めていくのは
 
また別なんじゃないかと。ちょっと頑なすぎるんじゃないかなと。もう仕事や場所を変えてもいい。
 
 
 
ちょっともう疲れてしまったという想いもあります。少し休みたい、そして、
 
 
 
自分の進みたい方向性を明確にし、場を変えて、職をを変えていくように、
 
促されていたのではないかと思いました。
 
新たな方向性に向かって行かねばならないのではないかと思うようになりました。
 
 
 
でもこれは、自分勝手な考えかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 
satsuki様
 
すでに洞察を得られた様で、この流れが守護霊の導きなのかと感じました。このメールは大変深い洞察を含んでおられると思います。お伝えすべきことに気づきましたら、またメール致します。素晴らしいですね。どっぺん
 
 
 
 
 
どっぺん様
 
 
 
ありがとうございます。
 
 
 
自分としては、こうかな?こういうことなのかな?という、
 
 
 
かすかな感じです。
 
 
 
お祈りと共に心を落ち着けて対応していきたいと思います。
 
 
 
ありがとうございます。
 
 
 
○○ 拝
 
 
 
 
 
このやり取りの後、メーリングリストの皆様に次のようにお願いしました。
 
「satsukiさんからブログにご質問をいただき、掲載する前に二人でやりとりをしていたのですが、大変興味深い内容ですので、是非皆様にご見解をいただきたいと思い、投稿致します。よろしくお願い申し上げます。」
 
それに対して以下の皆様からご意見をいただきました。
 
 
 
satsuki様
 
私のメーリングリストの皆様にアドバイスをお願い致しました。素晴らしい内容ですので、ぜひお読み下さい。
 
 
 
伊藤滋隆さんより
 
 
 
どっぺんさん、長いやり取り文でしたが一読いたしました。
 
 
 
また後で書くかも知れませんが、
 
これから移動するので、とりあえずいま思いついたことを書き出してみます。
 
 
 
satsukiさんは、介護の仕事を辞めるべきだと思います。
 
 
 
RIEさんの指摘は珍しく的確で異論ありません。
 
強いもの恐いもの変えられないものにただただ従う忍従は心を潰してしまいます。
 
奴隷根性を捨てて、自分の道を、自分で選んで、歩まないと未来も今もありません。
 
 
 
宇宙全史やBBSでの出典ページは明示できないのですが、
 
「そこに喜びながいなら、それはあなたの仕事ではありません」とどこかに書いてありました。
 
また、
 
「陰始に絡まない自由とは『自分の価値観を大事に大事にした生き方』となります」ともどこかに書いてありました。
 
「心ある道をゆく」も同じですね。
 
 
 
satsukiさんは、ずっと自分を圧しこらえて生きて来られたようですね。
 
辛かったでしょうね。
 
大学も辞められているようなので「なにかをやり通したい」「やり切りたい」という思いを持たれていたので
 
今日まで苦しくても介護の仕事を続けてこられたのだと思います。
 
私もうつの期間が長く、仕事が長く続けられず短い期間で辞めてしまったことが何度もあり
 
なにかをやるにしても「きちんとやり通したい」という思いがずっとありました。(高校も辞めてますし)
 
なのでそのあたりの気持ちは非常に共感できます。
 
 
 
あとこれは、私の個人的な見解なのですが、
 
「20年後世界人口は半分になる」に至るには、
 
古い時代の象徴である、老人たちが次々に死んでいくんだろうと考察しました。
 
新しい時代の担い手にはなりえない人たちからバタバタ死んでいくだろうと。
 
 
 
要介護老人の方々は、古い体質のエネルギーを濃く持っていると考えられ、
 
(老人でも聖路加大病院の日野原先生やアンパンマンのやなせたかし先生などは古くないエネルギーだったと思います)
 
宇宙全史に通じているような人には「生理的に合わない」性質のエネルギーだと思います。
 
そうなるともう介護の仕事を続けることは、無理スジを通すことになります。
 
自分が壊れます。
 
苦しくないわけがない。
 
 
 
介護の仕事は誰かが担わなければならないとも思いますが
 
「じいちゃんばあちゃんが大好き!」っていう性分の人でないと務まらない仕事だと思います。
 
雇用の受け皿として誰彼構わず介護現場で働かせようとするような社会の風潮を感じますが、
 
介護の仕事は、それが好きで得意であるという「才能職」であり、
 
資格や技能を積めば務まるような「技能職」ではありません。
 
この場合は、才能=適正、と言えます。
 
 
 
satsukiさんには、介護の才能も適正も、ない。と思います。
 
その辺は本人が一番わかっていることではないでしょうか。
 
それを押し殺して、蓋をしてみても、楽にはなれない。
 
 
 
推察するに、生い立ちにおいて、自分を出したり
 
自分を通したりしたことがないようなので
 
現在持ち合わせの「自分」が無いがゆえに、迷われているのだと思います。
 
 
 
自分と言うのは探しても見つからないものだと思っていますが
 
自分とは人生を通して形作るものだと思います。
 
経験値を束ねて船を作り、船出していく、みたいな感じでしょうか。
 
 
 
 
 
EO著の「小さなブッダの大きなお世話」にある記述なのですが、
 
「類人猿(イトウ注:地球人類のことです)の間では他の生物に見られない
 
屈折した概念が一般化している。それは「死」は無価値、あるいは悪Tとする
 
概念である。そのために、一度繁殖すると、実際には死ぬべき時期がきている
 
にもかかわらず、簡単には死ぬことができない。」
 
とあります。
 
足腰立たなくなったり、
 
咀嚼できなくなったり、
 
物事を判断できなくなったり、
 
動物としての生を自分で始末出来なくなったら「死ぬのが正しい」というニュアンスです。
 
私はこの章を読んで、整理がつかなかった思いが整って晴れ渡った気分になりました。
 
要介護老人に対する説明のつかない違和感と嫌悪感がずっとあったのですが、
 
それがスッキリ整理された気がしました。
 
 
 
私たちは、もっと「美しく死ぬ」方法を研究する必要があると思います。
 
 
 
やなせたかし先生は「老いて衰えた姿を人前でさらすな」と言っていました。
 
病気だろうが、弱っていようが、人前にあるときは
 
背筋をのばしてシャキッとしていなさい、と言っていました。
 
カッコいい人だなと思いました。
 
 
 
satsukiさん、もう高齢者介護は離れていいですから、
 
自分を形作る作業を始めてください。
 
 
 
まずは、心身共に休養が必要です。仕事辞めて休んでください。
 
(衰弱状態からの回復手段は、経験者としてアレコレ持っていますが、必要あればお知らせします)
 
 
 
それから、
 
衰弱してるのにNE運命解析の勉強をするのも、やめた方がいいです。
 
余計に衰弱します。
 
本気で占いの勉強が面白いならやればいいと思いますが
 
「講師」だった人の教材だから!という理由で自分を強いているだけなら、
 
ホント、やめた方がいいです。
 
NE運命解析はぜんぜんオリジナルじゃないですし、その勉強の先に道はないです。
 
(あんまり言うと営業妨害になりますのでこのへんで、^^;)
 
 
 
また何か思いついたら書込そみします。
 
 
 
 
 
satsukiさんへ
 
かづ23
 
 
 
 
 
私も今年の夏7月から寝たきりの母を介護しています。
 
 
 
我が家へ来てくださる、ヘルパーさんたちは、みなさん充実してるように感じます。
 
 
 
自分の家族や自分の考へなども屈託なくお話しされ、冗談も通じます。
 
 
 
satsukiさんのお勤めの会社が「ブラック企業」ではないかと感じます。
 
 
 
一旦、会社を退職され、次の就職活動をされることをお勧めします。
 
 
 
社会保険もあるでしょう。 失業保険(雇用保険)で、3か月か半年暮らせます。
 
 
 
今の会社(ブラック企業)を辞めて、次の仕事、次の人生を考えられたら良いのではないかと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
スーザン
 
どっぺんさん
 
 
 
satsukiさんとのメールを拝見させて頂きました。satsukiさんの人生がメール全体に散りばめられているようで、大いに学びになる文章でありました。
 
大変ありがとうございます。
 
 
 
まず、satsukiさんは、子供の頃からご両親との関係や、課外活動の先生との関係性から
 
多大なストレスをお受けになってきたものと拝察致しました。
 
 
 
質疑応答2でsatsukiさんの章がありましたが、そのような関係性も自らの集合魂のカルマから由来するものであった、
 
或いは、ご両親も(人間として当たり前に)様々な不備を抱えた存在だから、当時自分が生きるのに必死で、あのような対応が精一杯だった
 
等とご自分で(出来る範囲で)納得されて、あとは五井先生にお任せしてしまい、その上で今satsukiさんご自身がどのようにしたいのか、
 
と問われてみるのが良いのではと感じました。
 
 
 
メールの文章のみの内容では、幼少期から「嫌なこと」が目の前にあり、それに如何に対応していくか
 
という連続であったとものと思います(私も似たり寄ったりですが)。
 
 
 
今現在は介護のお仕事も十分にされて(8年半も!)、その中で成果も得られ、お金を稼ぐという体験もされて、
 
その他お仕事をしていく上で大切な多くのことを学ばれたと思います(これは単純にすごいことと思いました)。
 
 
 
なので、今度はsatsukiさんご自身が「好きなこと」、「やってみたいこと」に意識を向けて、
 
その中で(そういった環境の中で)ご自分の選択に責任を持つこと、一歩ずつやり遂げていく覚悟、
 
忍耐力等を学ばれていくのが良いのではと感じました。
 
 
 
宇宙全史の中では、「目の前のことから逃げないこと」というのは大切な心構えとして教えて頂いておりますが、
 
同時に「自分は何を望みどうしたいのか」ということも問われ続けております。
 
 
 
きっと、今のsatsukiさんの環境からは「目の前のことから逃げないこと」というメソッドが強く意識に浮かばれる
 
と思いますが、再度別の(広い角度から)宇宙全史の書籍を読まれてみると、得るところも多いような気も致します。
 
 
 
あと、これは私のレベルでは全く分かりませんが、質疑応答2のsatsukiさんの章にありました(p.166)
 
 
 
「不安で権威に従って、群れたがる性だね(集合魂自体が)」
 
 
 
というお言葉も何かsatsukiさんのヒントになるのかもしれないと感じました。
 
 
 
以上、大した考察は出来ませんでしたが、私なりの理解を書かせて頂きました。
 
 
 
 
 
黒脛巾です。
 
 
 
人のアドバイスを受け入れて、自己の内面を考察し
 
そこから自分の思いや本心に気づけるのは素晴らしいと思いました。
 
やり切ったと思えるなら何かしらのカルマは解消されたのだと思います。(宇宙全史1第7章カルマ参照)
 
satsukiさんとどっぺんさんのやり取りを公開してくださり
 
ありがとうございました。
 
 
 
 
 
toto
 
Satsukiさん、
 
あなたへの伝達は「回答・メッセージ;2008/9/11 No.87」にてすでに伝えられています。
 
 
 
****
 
「satsuki様は、五井先生の御教えをそのまま御本の通りに行じて行ってくだされば、想像もつかないような結末が待っていると思います」
 
****
 
 
 
今の職場に居ようが、別の職場に進もうが、それはSatsukiさんの決断で構わないと思いますよ。
 
 
 
しかし、忘れてならないことは、
 
 
 
何故、宇宙全史BBSが開始された当初から、宇宙全史のワークに組み込まれていたか(気付かされた)と言うことではないでしょうか。
 
この事が一番大事なことですから、何処に就職しようが迷うことなく、ひたすらに「五井先生の御教えをそのまま御本の通りに行じて行ってくだされば、想像もつかないような結末が待っている」事が決められているはずです。
 
 
 
 
 
2019年の12月になって、またアルデバラン星について新たな話題が出てきました。
 
2020年を迎えるこのタイミングで、
 
「この宇宙の始まりから終わりまでのシナリオ」にアルデバランの会議が関係しているのかもしれませんね。
 
 
 
この件に関しての見解が、何故か、Satsukiさんへの宇宙全史に関する質問「2011/9/1 No.1400」に書き込んで有りますので、「質疑応答2 p.122」と一緒に載せておきます。
 
 
 
「五井先生と宇宙全史」、これで決まりでしょ!
 
 
 
 
 
質疑応答2 p.122
 
 
 
アンドロメダのみわは、ある時ふと思い出します。
 
 
 
イエスと五井先生は同じ赤色巨星のアルデバラン出身です(宇宙全史第一巻参照)。
 
その彼らとみわは、アルデバランでこの宇宙の始まりから終わりまでのシナリオの会議をしていた事を思い出します。
 
 
 
今多くの存在がこの地球というオーム宇宙の集大成の場に集結しています。
 
私の正体をみな様がお知りになったらきっと驚くというよりも、おそらく驚愕される事と思います。
 
ですから今はまだ秘しておきますが、みな様方が想像されるよりも複雑な、巨大なシステムがこの私たちのワークを動かしています。
 
 
 
Satsuki様、できましたらsatsuki様は、五井先生の御教えをそのまま御本の通りに行じて行ってくだされば、想像もつかないような結末が待っていると思います。
 
五井昌久というエネルギーは、本当にとんでもなくとてつもないエネルギーなのです。
 
ただそれを知るには、知識でもなく、理屈でもなく、興味や打算でもなく、ただひたすらの「真心」なのです。
 
 
 
五井先生と長くお話しをした後で、彼がポツリとおっしゃいました。
 
 
 
「だからあなたは私を選んでくれたのでしょう」
 
 
 
私が彼を選んだということはないのです。
 
彼が私を救って下さったのです。
 
それでも私は五井先生がそのお言葉を下さった時、私は彼が亡くなってから一人ではなく、すっと彼の弟子だったんだと思いました。
 
私は五井先生を初めて知った時から、彼の側にいる価値は無い人間だと思っていました。
 
しかし今彼が亡くなってからも祈り続けてきた事が、こういう形で自分に帰ってきた時、私は彼の弟子で良かったんだと、彼に弟子だと認めてもらえていたんだと分かったのです。
 
 
 
本当に取るに足らないような私ですが、それでも五井先生は時(タイミング)とその方のバランスが取れた時、必ずその方を救い上げて下さる目の細かい網をお持ちなのです。
 
ですから安心してsatsuki様は「世界平和の祈り」をひたすら行じて下さっていいのです。
 
 
 
 
 
satsuki
 
2011/9/1 No.1400
 
虚空蔵55様、こんばんは。世界人類が平和でありますように。 先ほどNHKのコズミック・フロントという番組を見ました。オリオン座のベテルギウスの超新星爆発についての番組でした。超新星爆発が近い将来に起こるかもしれないということでしたが、この超新星爆発が意味するものは何だろうと疑問に思いました。シュミレーションでは超新星爆発が起こると、昼夜を問わず空に明るく輝くベテルギウスが観測されるようでした。ベテルギウスが超新星爆発を起こすことはいったい何を意味するのでしょうか。近い将来、それは起こるのでしょうか。
 
 
 
2011・8・30
 
 
 
satsuki様
 
 
 
早く質疑応答の3を出さなければいけないので追いつめられていますが、たまには息抜きでこういうご質問にお答えするのもいいものです。
 
 
 
最近の天文観測は進化して来ていますね。
 
ベテルギウスの恒星表面の画像が見れるとは驚きです。
 
確かにオリオン座のベテルギウスは、星自体の寿命としては最終段階に入って来ています。
 
問題はそれがいつどのような形でけじめをつけるのかということですが、あの大きさとベテルギウスという星自体の天命からしますと、超新星爆発という形になるようです(あくまでも私たちの目から見るとということですが)。
 
そしてそれがいつかということが問題になっているようですが、少なくともその爆発の姿を私たちが生きている間に見ることはありません。
 
この星は地球から640光年の距離にありますが、あえて言いますと今後640年たっても人類はその最後の姿を見ることは出来ないということがいえます。
 
つまり今現在ベテルギウスはその形こそ多少は違ってはいますが、まだ存在しているということです。
 
 
 
さてこのご質問を取り上げた意味がここにあるのです。
 
私は「今現在」といいましたが、実際私たちは今現在のベテルギウスの姿を見ることは原理的に不可能な世界に住んでいます。
 
それは「光が一年かかる距離」=「一光年」という単位で、640光年という距離にあるベテルギウスを見る時、その姿は640年前の星の姿だということです。
 
 
 
それでは今現在という現実はこの宇宙には存在しえないのでしょうか。
 
つまり宇宙のどこでも同時刻で認識できる存在はないのでしょうか。
 
私たちは確かに「光の速さ」という単位で縛られている世界に閉じ込められています(それを記述したものが相対性原理です)。
 
そして私たちはその縛りから抜け出る道を持つ存在でもあるのです。
 
それを考えてみて下さい。
 
 
 
640光年のかなたの星は、640光年という時間単位が距離の単位になっています。
 
この世界では明らかに時間と距離(空間)は同じものではないのですが・・・
 
 
 
大きな台風が来そうな今夜は、外出もせずにゆっくりと「時間」と「空間」、それに遙か宇宙のかなたにある最終局面を迎えた星の運命を、お好きな音楽でも聞きながら、お好きなお酒でも飲みながら静かに瞑想されてみてはいかがでしょうか。
 
 
 
おやすみなさい
 
 
 
虚空蔵55
 
 
 
 
 
藤井茂子です。
satsukiさんの投稿を掲載して頂き、有難うございます。大変勉強になります。
satsukiさんを内省へと向かわせる、どっぺんさんの質問力、素晴らしいです。
それを受けてのsatsukiさんの深い考察からの気付き。私も見習いたいと思います。
また、伊藤さん、かづ23さん、スーザンさん、黒脛巾さん、totoさんの、心ある温かいコメント。
この場に参加させて頂けている事に、感謝しかありません。有難うございます。
今回、全てをさらけ出された事で、satsukiさんは新たなステージへの一歩を踏み出されたのだと感じました。おめでとうございます。
自信を持って進まれる事を、お祈り致します。
satsukiさんをはじめ、皆様。本当に有難うございます。
 
 
 
砂美さんから届いたアドバイスです。
 
 
 
どっぺん 様
 
 
 
こんにちは。砂美です。
 
私自身、大変学びとなりました。
 
自分の考えを思い切って書こうと思います。
 
 
 
幼少期の体験や環境は、今世の思考の偏りを作り、それが今世の自分の世界を作っていくと考えています。
 
 
 
「何度も辞めたい」と思うほど悩むことや絶望は、深く考えるきっかけ。
 
「この仕事は好きとは言えない」は、体験することで分かったこと。より自分を深く知ることができた。
 
何かが「できる」ようになると、次の壁が現れるもの。
 
「求める」は、自分には不足していると考えているため、不足していることが現実化する。
 
なぜ「不足している」と分かる自分がいるのか?→それを知っている自分がいるということ。
 
 
 
「やめる」のタイミングは、エゴではないか?と確かに考えてしまいます。
 
もし、まだ学びが必要であれば、別の場所でも同じような体験が繰り返されると思います。
 
また、「やめる」が正解のため、より大変な体験を引き寄せているかもしれません。
 
 
 
私が一番satsukiさんに聞いてみたいのは、「『助けて』って言えないのはなぜですか?」です。
 
思考の偏りに気づくチャンスかと思いました。
 
 
 
 
 
以上です。
 
箇条書きのようになってしまいました。
 
このような機会を、ありがとうございました。
 
 
 
砂美
 
parukon.blueさんからです。
 
 
 
Satsukiさま
 
高齢者福祉業界のブラックさはまだまだ続きそうですねえ。
 
私は障害者福祉のほうなのですけど高齢者福祉の大変さは漏れ聞こえてきます。
 
本当にお疲れさまご苦労さまでした。
 
 
 
この先のことはご自分の中で答えが出ていらっしゃるようですね。
 
結果にこだわる必要はなく経験こそが必要だったのではないかとと感じました。
 
必ずこの世で生きて行くすべが・道が開けてゆくと思います。
 
ありがとうございました。
 
 
 
砂美さんからです。
 
 
 
 
 
やっとどこに送れば届くのか、理解ができました。
 
自分が送ったものは自分には届かないのか?と考え、多忙を理由に調べていませんでした。
 
今回、伊藤さんに質問し、やっと理解できました。
 
 
 
自分に届いたものを読み返し、少し書き忘れたことがありました。
 
起こってくる出来事は結果の世界ですので、それに対処していてはいつまでも終わりがないと考えています。
 
現れたことは五井先生の「消えていく姿」で受け取り、
 
原因を探った方がいいと考え、最後の質問を書きました。
 
 
 
砂美
 
 
 
そしてこの後,satsukiさんからです。
 
 
 
どっぺん様
 
 
 
思いがけないメールをありがとうございます。
 
皆様からアドバイスを頂きまして、ありがとうございます。
 
今はまだ一度読ませていただいただけなので、しっかりと
 
ゆっくりと読ませて頂きます。
 
 
 
メールはすべて掲載していただいて大丈夫です。
 
こんなにたくさんの皆様からの声を聴かせて頂けるなんで、
 
思ってもみませんでした。また、皆様の学びになるとは考えていませんでした。
 
より、新たな展開、一歩を踏み出すように心が落ち着いてきたように感じます。
 
 
 
伊藤様には、衰弱状態からの回復のコツをお聴きしたいと思っています。
 
今回のどっぺん様への質問の発端になったのは、毎日、毎日、今までにあり得ないほどの
 
頻度で救急車、消防車、パトカーに遭遇し、サイレン漬けの毎日になっていたことがあります。
 
 
 
砂美様のコメントにも「なぜ助けてって言えないのか?」と頂きましたように、それが自分からの「助けて」
 
という叫びであったことにようやく気づけた次第です。
 
やはり直接思い当たるのは、子どもの頃、感情的に屈折して、親や友達に迷惑をかけたこと
 
自分のやったことを(良いことではないこと、悪い事)を誰にも言わず、自分の内に秘密にして
 
押し隠してきたこと、抑圧してきたとが知られるのが怖かったからだと思います。
 
ギュッと口を閉じ、謝らなくては、明らかにしなくては、でもできない。といったものがあり、
 
素直に人とコミュニケーションが取れなくなってしまっていました。いつも自分を隠すモード・押し殺すモードを
 
さらに強めていったのだと思います。
 
 
 
ごめんなさい、申し訳ありませんでした。もう二度といたしません。そう叫んでいました。
 
それは、宇宙全史質疑応答2、p.152でご指摘頂いたように、「ポーズの祈り」でしかありませんでした。
 
助けを求められず、自分であがいてしまう、苦しんでしまう。
 
助けを求めることが恥ずかしい、みっともないとか、自分をさらけ出したくない、怖いから、怒られるから
 
自分をオープンにできない・・・、そこをちゃんと自覚して柔らかい自分になっていけるように
 
進んでいきます。
 
 
 
どっぺん様、皆様本当にありがとうございます。
 
 
 
世界人類が平和でありますように
 


コメントをお書きください

コメント: 12
  • #1

    TAKASHI (水曜日, 01 1月 2020 09:12)

    すいません 一言だけ
    明日死ぬとしたらあなたはどうしますか?

  • #2

    どっぺん (水曜日, 01 1月 2020 10:54)

    TAKASHI様
    以下のご教示を思い出しました。

    虚空蔵55
    2016/1/7 No.309
    これは右のNo2699への回答です
    RIE様
    「来年も宮古島のワークショップは企画しています。もし、万が一多、少なりとも、そのような影響が出てしまうものならば企画を考え直そうと思います。
    大丈夫なのでしょうか」
    ●全く関係ありません。方位や地場の問題は私の問題ですので、どうか遠慮なさらずに南の島で羽を伸ばしてください。
    私も個人的には好きな島なのですが、どうしてか(たぶん陰始の関係なのだと思います)ダメなようです。
    「でも、本当に自分自身も、ご縁ある方々にも進化覚醒の道を歩んで頂くには、虚空蔵55さまがおっしゃるように、それらではなく、それらさえも超えた「祈り」と「全托」なんですね」
    ●その通りです。
    ただ宇宙全史では「理屈で覚醒する」という道も残っているのです。
    そもそもこのワークの当初の目的はそこにありました。
    しかしそのメソッドを成就するにはある一定のベースがないとダメなんだということが、このワークを続けているうちに判明していったのです。
    私が最初から覚醒していたならばそんなことは初めからわかっていたでしょうが、私の覚醒は封印されたままこのワークを続けなければならないという宿命を背負っていました。
    先に書きましたが空海の求聞持法はその半分が正確に伝わっておらず、おそらく誰がチャレンジしても成就することはかなわないと思われます。
    その半分とは、求聞持法を成就させるためのベースとなる修法でした。
    宇宙全史も本当はここまで真剣にそのすべてを読みこなし、正確な質問をし、理解し、利用可能なアイテムを残さず使いこなしさえすれば、普通は覚醒に近い状態に入ることが出来ているのです。
    それが出来ていないということは、ここにあるメソッドの半分以上は使われていないということがあるのです。
    それを使いこなすにはある一定のベースのようなものがないと、目の前に宝の山があったとしてもどうにもならないということがあるのです。
    この宇宙全史のBBSでは、このところもっぱらそのベースの育成に力を入れて来ていますが、いつまでもそこに目を向けられない方たちが多いことも事実です。
    そういう状況の中では「祈り」と、正確な「全托」はとても大事なメソッドになっています(もちろんそれだけで覚醒さえも出来てしまうのですが)。
    もう一つ
    あなたの「がんばり」は無用のものではないのです。
    「がんばり」というよりも、「全力を尽くす」という姿勢はどのような状況においても要求されるものです。
    それは「祈り」と「全托」においても同じです。
    そしていつもここでいっておりますように、
    「全力を尽くす」とは、
    「明日死ぬとしたら、自分はいかなる選択をするか」
    その一瞬一瞬の「選択」があなたの「全力」の正確なベクトルとパワーを生み出します
    しかし単純な「がんばり」は、視野狭窄(きょうさく)と無駄なエネルギーの消耗につながってしまいます
    月読之大神や五井先生は、その方に応じた指導をして下さいます
    というわけで
    まだまだ
    がんばって下さい
    もう一つフォローしておきますと、「理屈だけで覚醒する」という命題は、変換しますと「探究による覚醒」と出来るのですが、その過程で「理屈を理解する」頭(肉体)が変換されていくようになっています。
    つまり肉体が「探究」の度合いによって変換されていくのです。
    ですからそこには「正確な探究」という方向性が常に要求されています。
    様々な複合作用で、探究はそのステップを上昇させることにより、覚醒への道を見出します。
    そのダイナミックな道程が私は大好きなのですが…」

    TAKASHI様
    ご質問の意図についてもう少しご説明いただけませんか。

  • #3

    TAKASHI (木曜日, 02 1月 2020 07:31)

    どっぺん様
    いきなり話の中に飛び込んで、いろいろ端折ったことを書いてしまいました。
    大変失礼しました。
    あれから色々と考えたことを書こうと思っていますが
    まだ考えがまとまっておりません。
    大変申し訳ありませんが後日ご報告させていただきます。
    ご連絡ありがとうございました。
    追伸
    わたしはMLにも入っておりませんでしたが、質問しても
    よろしかったのでしょうか?
    重ね重ね失礼しました。

  • #4

    どっぺん (木曜日, 02 1月 2020 07:37)

    TAKASHI様
    ご返信どうもありがとうございました。質問はどなたでもしていただいて結構です。どうもありがとうございます。

  • #5

    toto (木曜日, 02 1月 2020 16:49)

    totoです。

    「自分が明日死ぬとしたら、今どう生きるか」

    この言葉の意味することは、「今」という「時間」について問われているような気がします。
    私たちは、過去や未来についてどのように時間を認識してきたのでしょうか?

    宇宙全史の根幹としては、過去や未来が存在するのではなく、今しかないのです。
    そして、その「今」には時間が存在していません。

    書店では、“ホーキングの再来”と評される天才物理学者(カルロ・ロヴェッリ)の「物理学的に時間は存在しない」という本が出版されています。

    私たちはなぜ時間が存在するように感じるのでしょうか?

    私たちは、記憶として認識した「過去」を忘れないようにしているため、苦しかったことや楽しかったことを主として認識しています。

    それでは、記憶として認識した「過去」は何だったのでしょうか?
    また、今後訪れるあろう「未来」とは何なのでしょうか?

    その答えは、どちらとも「今」なのではないでしょうか。

    ここで、もう一度

    「自分が明日死ぬとしたら、今どう生きるか」

    この事を考えてみましょう。

    過去も未来もどちらとも「今」であるならば、20年後の世界に在る「宇宙船地球号」に乗っている自分がそこに在るだけになってしまいます。


    2012年の「maity」さんの宇宙全史に関する質問の中で、月読の大神様より次のような言葉が降りています。

    「そういう局面に立つことで自分の中を色々鑑みることが必要な人だからそれでいい」
    「あたふたする自分を掘り下げていきなさい」


    maity
    2012/6/21 No.1568
    虚空蔵55様
    みわ様
    月読の大神様
    皆様

    いつもありがとうございます。
    質問・・・ではないので掲載のご判断はお任せいたします。

    今日仕事帰りにとある女性が「生活保護を受けていてお金が無く困っています」「カップラーメンも買うお金も無く、1000円でも頂けませんか?」と声を掛けてきました。

    いきなりの事で混乱してしまい、つい私は咄嗟に「今、お金無いんです」と嘘を言いました。

    でも次の瞬間、色んな思いがこみ上げてきてどのような思いかはっきりしていないのですが財布を取り出し少しお金を渡しました。

    ですが少し時間が経った今でも良い事(?)をしたという思いが全くなく、ただ自分のエゴを満足させる為ではなかったのかと思えてきます。

    「もし自分がそっち側だったら」
    「お金を渡さない方が後悔する」
    「自分が良く見られたいから」
     
    お金を渡しただけでそんな思いが悶々と湧いてきます。

    生活保護に関する知識がないので判断ができなかった、という事もあると思います。

    世界平和の祈りのスタンスも似たものがあるのだろうと気を付けて祈ろうと改めて思いました。

    勢いで書きこんでしまいましたが
    自分の心と向かい合い、また生活ながら世界平和の祈りも継続していこうと思います。

    いつもありがとうございます。
    失礼いたしました。

    2012・6・8


    maity様

    こうした状況に対応するパターンは無数にあります(あなたのとった対応もその一つです)が、常に普段から覚悟が出来ていれば、いかなる状況に向き合う時が来てもそれは正しく向き合うことが出来るのです。

    それでは何が正しいのかといいますと、決まりきった答えがあるわけではなく、あなたが「後悔しない対応」というのが正しい対応なのです。

    そして「後悔しない」対応(生き様)というのは、「自分が明日死ぬとしたら、今どう生きるか」という覚悟なのです。
    例えばその女性に黙って1000円あげていたかもしれません。
    そしてその場合、その女性が嘘つきで、ただ楽して馬鹿な通行人からお金をせしめようとしていたのかもしれませんが、あなたはそんなことは全く意に介さずに1000円を渡すのです。
    なぜなら「明日自分は死ぬ」のなら、今ある手持ちの1000円くらい手放してもなんの負担にもならないからです。

    あるいはその女性の言っていることをまったく無視して通り過ぎるかもしれません。
    しかしそのあなたに「混乱」や「葛藤」は全くありません。
    もし「この女性が本当に困っていたら」とか「私が渡さなかったばかりに、ひどい状況に陥ってしまったら」という思いが湧いてこないのです。
    それはあなたは明日死ぬという覚悟から生まれます。
    そこには「明日死ぬのだから人のことなどどうでもいいや」という浅はかな考えではなく、普段のいつ死んでもいいという覚悟から生まれる明晰さが、その女性の嘘を瞬時に見抜くからです。

    お分かりでしょうか?

    覚悟が出来ていると自分の生き様(方向性)が決まっているので、何か事があったときに右往左往する事が無くなるのです。
    それを「腹が据わった」という言い方をしますが、この腹が据わった立場からですと、その女性が詐欺師であることは自ずとわかるのです。
    詐欺師は通行人の中で覚悟のないものを狙います。

    「人の目を気にする者」
    「うわべだけで生きているもの」
    「偽善者」
    「災害地に初日だけボランティアに行くような人」
    「赤い羽根を胸につけている人」

    見た目には胸に赤い羽根をつけていなくても、詐欺師から見ると一目瞭然です。
    何故なら彼らの方が覚悟を持って生きているからなのです。
    彼らは自分たちは悪いことをしていると知っています。
    しかし通行人は、自分たちがいい人なのか悪い人間なのか、それとも偽善者なのか何も知らないまま(知ろうとしないまま)生きています。

    さてそれではあなた自身はどうすべきだったのでしょうか?

    月読の大神「そういう局面に立つことで自分の中を色々鑑みることが必要な人だからそれでいい」

    「あたふたする自分を掘り下げていきなさい」

    ああすればよかった、どうすればよかったのかということではなく、あなた自身の行動を自分自身で見ていくだけということのようです。
    初めに申しあげましたように正解はいくらでもあるのです。
    しかしあなたにとっての正解は、あなた自身が見つけるしかないのです。

    最後にあなたの守護霊様にお聞きしました。

    守護霊様「エゴを見つめるいい機会だろうよ」

    「自分がどうしてほしいのか、自分が本当にどうしたかったのかというのを、やっぱり薄っぺらなところで考えているから、エゴを掘り下げるにはいいだろう」

    虚空蔵55

  • #6

    TAKASHI (土曜日, 04 1月 2020 07:08)

    どっぺん様
    先日の質問の意図についてご説明させていただきます。
    私が言いたかった事は、どっぺん様への質問というよりは、本当は
    satsuki様への問いかけでもあり、satsuki様への私のコメントでありました。
    satsuki様が介護の職を辞めるのか続けるのか迷っておられる状況に対して
    「明日(satsuki樣が)死ぬとしたら、satsuki様はどちらを選択されますか?」
    と言う意味でした。
    ところがこの書き込みをした後から、この問いかけは時と相手と場所を選ばなければ
    ならないと、言ったことを反省もしました。
    まず時については、どっぺん樣も言われていたように、satsuki様の今の心身共に
    疲弊した大変な状況ではまず休息が必要であり、その状態では返って明日死ぬかどうか
    を想定しての選択は正しく判断できず、心身共に悪い方向へ追い込んでしまう恐れが
    あること。
    また相手に関しては、その方の生い立ちや育ってきた環境などで、明日死ぬかどうか
    との質問の意図が理解されない可能性があること。
    場所に関しては時と似ていますが、その人がその言葉を受け入れることができる環境
    (人間関係も含む)があること。
    などが言えると思われました。
    それに関しては、どっぺん様をはじめ、伊藤滋隆樣、toto樣、カズ23様、スーザン樣
    黒脛巾様、藤井茂子様、砂美様、よりのご意見より学ばせていただきました。ありがとうございました。
    最初に「明日死ぬとしたら、あなたは何を選択しますか」
    と申しましたが、それはsatsuki様への問いかけであると同時に自分に対する問いかけでもあることに気づきました。
    虚空蔵55様は繰り返し、同じことを説いてくださっています。
    toto様よりは
    「明日死ぬとしたら、今をどう生きるか」
    と言うご意見を頂きました。
    私の答えは
    「明日死ぬとしたら、今を生きながらひたすらに世界平和の祈りを唱える」
    です。
    toto様、ご意見有難うございました。

    世界人類が平和でありますように
    日本が平和でありますように
    私たちの天命が全うされますように
    守護霊様、守護人様、五井先生有難うございます

  • #7

    satsuki (土曜日, 04 1月 2020 17:58)

    世界人類が平和でありますように

    TAKASHI様の仰る通りだと思います。

    今の私にできることは「祈る」ことのみです。

    ありがとうございます。

    世界人類が平和でありますように


  • #8

    toto (日曜日, 05 1月 2020 23:11)

    totoです。

    TAKASHI様
    有り難うございました。

    「明日死ぬとしたら、あなたは何を選択しますか」
    と申しましたが、それはsatsuki様への問いかけであると同時に自分に対する問いかけでもあることに気づきました。

    やはりそうだったのですね。
    satsuki様、TAKASHI様への問いかけだけではなく、ここのブログに関わっている人に対する問いかけでもあったのですね。

    私も、
    「明日死ぬとしたら」
    「今、生かされていることに感謝し、世界平和の祈りを唱える」
    です。

    三社参りをさせて戴きましたが、神社で称えたことは「世界平和の祈り」しか出来ませんでした。
    ただひたすら感謝です。

    今後ともよろしくお願いします。

  • #9

    伊藤滋隆 (火曜日, 14 1月 2020 15:10)

    MLばかり見ていて、こちらのブログの状況を見ていませんでした。
    こちらにsatsuki様とのやり取りが掲載されているのに昨日気づきました。
    (なぜか私はブログの更新を追いかけるのがニガテです)(全史BBSもそうです)

    satsuki様
    衰弱状態からの回復方法ですが、
    私の経験から思いつくところを書き出してみたいと思います。

    基本は、血行を良くすること、体温を高く保つこと、の2点です。

    血行を良くするためには、軽い運動が効果あります。
    「軽い」というのが大事です。

    ランニングや水泳をやるのは逆効果だと思います。
    (一定の体力がある人が体力増強を狙うためなら良いですが
     衰弱した者が彼らと同じことをすると潰れてしまいます。)

    軽い運動は、ストレッチ、初歩のヨガ、短時間のウォーキングが良いと思います。
    普段着のまま実行しましょう。着替える労力を消費しないようにしましょう。
    凝り固まった筋肉に血流と大気のエネルギーを送り込むための動作です。
    ウォーキングは、第二の心臓と呼ばれる脚を動かすことで、
    心臓の機能を助けることができます。
    初めから30分やるぞ!とか気負わずに、
    一日に3分でも1分でもいいので、実行してみてください。
    毎日やるように習慣づいてきても、
    せいぜい午前に15分、午後に15分、一日で30分。とか、
    その程度で留めておくと良いと思います。
    欲張ってやっても逆効果になるので、ほどほどに、ですね。。

    体温を高く保つ方法は、
    食べ物を選ぶこと、衣服を選ぶこと、入浴、があります。

    食べ物は、基本的に、「冷えたものは食べない」ようにしてください。
    冷たさを体温と同じまで上げるのにそれだけ熱量を消費してしまいます。
    アイス、ソーダ水、ジュース、冷ややっこ、生野菜サラダ、冷やし中華、ざるそば、フルーツなどが対象になります。
    フルーツでもりんごは薬効があるようなので、温かい紅茶とセットで食べたりするのは良いと思います。他のものもすぐに温かいお茶等を胃に入れて温めれば冷害を弱められます。

    これは、全史BBSで私の守護者である先祖地の地霊からもらった言葉ですが、
    「虚弱体質には、水と太陽と新鮮な空気。そして自然薯などの根菜類が良い」
    というのがあります。

    水は、ストレートの水道水を使っていたのを、クリンスイの浄水器を通した水に
    変えたところ、だいぶ調子がよくなりました。塩素が体を冷やしていたようです。
    ご自宅の飲料用の水道に浄水器が付いていなければ、購入して取り付けてみてください。クリンスイとかトレビーノとか中空糸膜フィルタータイプが良いと思います。

    冬場の今の季節は、日光浴をすると良いです。
    血行がよくなり、ビタミンDも合成され、
    目に見えないエネルギーも取り込める感じがします。
    静かな公園の南向きのベンチに座って
    20分もじっとしているとポカポカしてきますよ。
    なるべく午前中がいいです。
    せいぜい13時くらいまで。
    (暑い時期は朝夕の弱い光を浴びてください)


    自然薯は、まさに自然薯だと高価なので、
    大和芋、長芋、里芋、大根、ニンジン、レンコン、ごぼう、しょうが、などを
    意識して食べるようにしてみてください。
    根菜ではないですが、オクラもねばねば食品でけっこう滋養があるようです。
    トン汁、けんちん汁、筑前煮、麦とろご飯、大和芋のとろろの味噌汁、
    などが美味しく食べられます。

    (長芋、オクラ、納豆をまぜたねばねばミックスも良いのでは?と
     思って食べてみたことがありますが、どうも冷えます。おすすめしません。)

    パワーをつけるために「スタミナ炒め」「レバニラ炒め」
    「ニンニクきかせたステーキ」「ニンニク餃子」とか、ありますが、
    ニンニクとかニラとかは、体力ある人が体力増強するには良いですが
    虚弱者は胃腸も弱っているので、ニンニク類とかの強さに負けてしまって
    余計に疲れるようです。それらを食べても自分は下痢してました。
    やはり根菜を煮込んで食べるのが一番滋養がつくようです。
    油も控えめにしたほうが良いというのが私の感想です。
    揚げ物も胃腸に負担をかけるようです。

    飲み物は、基本は紅茶が良いようです。
    砂糖は体を冷やすのであまり摂らない方が良いようです。
    上白糖やグラニュー糖がいちばん冷やすようです。
    甘くしたければ、きび砂糖か黒糖、はちみつなどが良いようです。
    ショウガ紅茶、アップルティーはオススメです。
    ココアも保温効果があります。
    コーヒーは体を冷やすので良くないです。
    いずれもホットで飲みましょう。

    夏場の水分補給は、常温の麦茶か十六茶が良いと思います。
    夏になると塩入りの十六茶が販売されるのでよく利用しています。
    ミネラルも摂れます。
    お茶、烏龍茶は、冷えますし、利尿作用で水分出てしまいます。
    ミネラルウォーターは、可でもなく不可でもなくです。


    新鮮な空気、は、換気をよくすること。
    たまに山に行ってみる。などですね。
    緑の多い公園もいいですね。
    部屋に炭を置くのも良いと思います。

    お風呂に炭を入れるのも良いようです。
    塩素がとれて保温性が高まるようです。
    蛇口につける活性炭浄水器もあるのでそれを付けて
    蛇口から温水を出してお風呂を貯めてもいいですね。
    温泉に行くのもイイですね。

    とりあえず、そんなところでしょうか。
    でもまずは、仕事の整理、離脱、が優先事項。
    そのあとで、積極的な休養。(入院療養もありだと思います)
    そのうえで、生き方の仕切り直しをしていきましょう。

  • #10

    伊藤滋隆 (火曜日, 14 1月 2020 18:36)

    あと、衣類ですが、
    上半身より下半身を温める方が良いようです。
    頭寒足熱というやつですかね。
    タイツ、暖パン、裏地あったかパンツbyしまむら、とか
    いまは色々ありますよね。

  • #11

    satsuki (金曜日, 17 1月 2020 13:21)

    伊藤様
    とてもたくさんのアドバイスを頂きましてありがとうございます。
    最近、ようやく自分は衰弱、疲弊していたんだなと気づいてきた次第です。
    今までは何がなんでも頑張る、元気な自分でいなくてはいけない、と思い続け生きてきました。
    気力が戻らないまま、栄養ドリンクやサプリメントで回復したつもりになって動き続けておりました。先日の世間の3連休にあわせるように心が悲鳴を上げ、ほぼ活動停止を余儀なくされて、家で過ごしていました。
    頭は、あれをしなくては、是をしなくてはと焦るのですが、行動が伴いませんでした。
    なるべくじっとして、ボーッとして、直ぐ疲れてくるので後は寝ておりました。
    少しずつエネルギーが回復してきています。
    油断すると直ぐに自分の体のこと、メンタルのことを見なくなるので、自分を大切にすることを注意する事として、伊藤様に教えていただいたことをやっていこうと思います。
    本当にありがとうございます。

    世界人類が平和でありますように

  • #12

    伊藤滋隆 (金曜日, 17 1月 2020 22:02)

    satsuki様
    自分が疲弊していることに気づけたのは良かったですね。
    そこがスタートですね。
    心身の悲鳴を聞いてあげられるのは、自分しかいません。
    自らの良心に則して、心ある道を歩めますように。