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質問12 satsuki様

 

どっぺん様
今日は、一つ質問させて頂きたいことがあります。
お忙しいところ誠に恐縮なのですが、よろしければよろしくお願いいたします。
私は、瞑想をすることにとても不安感といいますか、恐怖感があります。
ですから、どっぺん様が宇宙全史のBBSに瞑想のことについてお書きになられているのを読みながら、興味はあるけど、五井先生の御本にも瞑想をしなさい等の特別な記述などがないし、また、自分には素質もないし、自分が瞑想に首を突っ込んで余計に苦しんでしまったら怖い、 瞑想どころか心身迷走してしまうとの恐怖の想いもありました。
普段は一人で五井先生の統一テープを流しながら、10分間の祈りを朝2、3回、夜寝る前に2、3回させて頂いています。その他は仕事中に五井先生ありがとうございます、五井先生、五井先生と唱えたり、世界平和の祈りを祈りながら仕事をしたりしています。
昔の白光の斎藤先生や村田先生のように、祈ったら瞑想状態になったり、神霊の世界を守護霊様と飛び回ったりといった体験はないですが、心身をもう少し落ち着かせたい、お祈りを深めていきたいとの想いがあり、どっぺん様に日々のお祈りのアドバイスを頂きたく思っております。
家でお祈りをしていると、やはり仕事の悩みが頭いっぱいになり苦しくなったり、どうしても胸が苦しくなって祈りに集中できないなどがあり中々素直に祈りを続けられていません。あまりに苦しいときは祈りも短めにしています。
それでも祈った後の方がスッキリはします。
お忙しいところ誠に恐縮なのですが、日々のお祈りのためのアドバイスを頂けませんでしょうか。
また、何かお祈りにいかせる瞑想の方法などを教えていただけませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。
satsuki
                                                                                       satsuma様
いつも質問をいただいて、どうもありがとうございます。
ここはまず下記のタイタンさんの質疑応答をお読み下さい。
                                           「タイタン
2009/4/11 No.713
(前略)
質問1.
ここで初めて五井先生の事を知り、本を2冊読みました。世界平和の祈りも、時間があれば唱えさせていただいています。
祈りと願いとはどう違うのでしょうか?
「我良し」のエゴの願いは論外ですが、「世界が平和になりますように」と願うのと祈りの言葉を唱えるのとはどう違うのでしょうか?
「引き寄せの方法」などの本には大抵、「・・・になりますように」というのは、そうでない状態をかえって引き寄せるので「・・・になりました」と、結果が得られたように言わなければならないと書かれてあります。
世界平和の祈りを唱えているときも、平和でない状態をかえってもたらしているのではないかと不安になります。
質問2.
私の、今生で解消すべきカルマと、果たすべき使命(なんとなくこれかな?と思うものはありますが)と、進むべき道を、もし、守護霊様・守護神様のお許しがあればお教えください。
2009・2・26
虚空蔵55様・みわ様、いつも有難うございます。
皆様のご質問と、それへのお答えで、学ばせていただいております。
先日は、余り長々と書いてもご迷惑かと思い、言葉足らずで投稿してしまいました。
あれから、祈るという事、世界平和の祈りについて私なりに考えてみました。
今回も、言葉の概念も曖昧でちゃんと定義して用いていませんし、私は「誰が言った」とか「誰が書いた」、「誰が作った」等のことを覚えるのが苦手で(というよりも、誰というところにあまり興味がないので覚えないのだと思います)、虚空蔵様も答え難いかと思います。申し訳ありません。答えていただける範囲で結構です。長いようでしたら、省いて下さい。
近くの本屋では五井の著書が手に入りにくいので、インターネットで抜粋等を読んでいますが、世界平和の祈りをすることで私の業が消えるなんて、それって、ズルじゃないのって思ってしまいました。自分のカルマは自分で解消しなければ意味がないんじゃないの?って。
でも、ひたすら世界平和の祈りを繰り返しているときは、雑想念が消えています。誰だったか、10分間何も考えずに無心でいられたらすべてがうまくいくというようなことを言っていたと思います。その、すべてを五井先生に委ねてひたすら祈る事で、雑想念を消し、空っぽになり、あるがままの自分を受け入れる事で業が消えていくという事なのでしょうか?
そして、その状態が消えていく姿ということなのでしょうか?
それなら、自分の業を五井先生に解消していただくのではなく、自分で解消するので納得できます。世界平和の祈りは、空っぽになるための「手段」ということでしょうか?
しかし、宇宙全史で虚空蔵55様は、祈りは「欲望」であると書かれていました。「欲望」の根底には「恐怖」があると思います。前回質問しました「・・・でありますように」という祈りについてですが、やはり根底に恐怖があると思うのです。
その恐怖のエネルギーをご馳走と考えている物に与えて喜ばせているではないかと、考えてしまいます。
どう理解すればよいでしょうか?
よろしければ、お答えください。
2009・3・31
虚空蔵55様、いつも有難うございます。
先日質問させていただいたのですが、もう一つもしよろしければお答え下さい。
20年以上、原因不明の偏頭痛で悩んでいます。月に数回程度ですが、それでも薬を飲めば胃の具合が悪くなり口内炎が出来てしまいます。薬を飲まずに何とかならないかと我慢をしますが、ずっと寝ている訳にもいかず、仕事に支障をきたしますし、ひどくなって吐いてしまいます。
これも、前世からのカルマの影響なのでしょうか?
もし、直る方法があればお教え下さい。
よろしくお願いいたします。
2009.4.5
タイタン様
メールが3通重なっております。
後ほど纏めて左でお答えします。
その時に五井先生からの、大切なお知らせも掲載いたしますので、皆様もぜひご覧下さい。
虚空蔵55
「2009/4/11 No.124
これは右のNo.713に対するお答えです
(中略)
さて世界平和の祈りに関してです。
問題は祈りにあるのではなく、エゴの段階にあります。
欲望にはレベルがあり、
欲望(低いエゴ・肉体の欲求)
願い(中間)
祈り(魂の願い・感謝が伴う)
大きく分けてこの三段階の欲求があるのですが(もちろんいずれも欲望です、それを発信するエゴの段階(レベル)によりどのカテゴリーに属するのかが決まってきます。
ここはキチンと区別しないといけないようです。
「世界人類が平和でありますように」という祈りの文言(もんごん)では、「・・・ありますように」となっていますが、タイタン様がおっしゃるように「・・・なりました」や「・・・であるのだ」という表現は、実は逆にエゴを増大させてしまうのです。
ややこしいのですね・・・実際(本来)は、断定的(過去形)で祈った方がいいのですが、エゴの段階が低い形ですと、エゴを増長させ、放漫にさせてしまいます。
つまり断定的な祈りは、五井先生ほどの方が祈られるのには適しているのですが、我々凡人には無理があるのです(あるいは五井先生が存命の時の世界では、まだよかったと申し上げておきます)。
低いエゴにとってその形の祈りは、逆に「こうはならない」というものを引き寄せる力が強いのです。
謙虚という面では「なりますように」「ありますように」というところから少しずつエゴを外していくという形で、エゴを育てていくという段階が必要なのです。
しかしその通常の「・・・ありますように」という祈りさえも今の地上の現状には適さなくなってしまっているのです。
五井先生ご存命の時と今では、大分世界の波動が変わってしまったとおっしゃいます。
人々のエゴがあまりにも暴走し始めてしまっているのです。
そのため現状の世界平和のお祈りはそのままで、そこに付け足す祈りごとが皆様には必要だということがわかりました。
この世に生きていくために必須の欲望、原理的な欲望・・・例えばみんなが幸せになりたいと願っているのは当たり前のこと、空気が必要なように必須の欲望です。
それはエゴの最も根源的な部分でもあり、エゴはエゴなんですが必要不可欠なものなのです。
本来欲望ではないのだが、一応欲望の範疇に入ります。
そしてそれを否定するというのではないのです。
肯定しつつ「でも自分もみんなと同じくらいそれを当たり前のように思っていいんだよね」という所から始めないと「自分だけよければそれでいい」という所でエゴは増大していきます。
最終的に祈りは「・・・平和だ」「・・・幸せだ」という形になるのですが、それ実際に世界がそうなってしまっている(その方にとってですが)からなのです。
その段階にいっていない方が、理屈だけ振りかざしてそれを唱えるのは、覚醒もしていないのに自分は覚醒していると主張しているどこかの教祖様のような欺瞞を抱えたまま、エゴを増大させ、最終的にどうにもならない境涯に落ちていきます。
まずはご自分の出来るところ、納得できるところから始めるのが幸いです。
それでは通常の世界平和のお祈りの前に唱える「柔らかいお祈り」を記しておきます。
これはみな様がたのために、五井先生が直接降ろされたものです。
「私は幸せでありますように」
「私の悩み・苦しみがなくなりますように」
「私に悟りの光が現れますように」
「生きとし生けるものが皆幸せでありますように」
この4行を唱えられて、それから通常の世界平和の祈りに入ってください。
どうしてもこれまでの世界平和の祈りに馴染めない方、あるいは毎日唱えているのにあまり効果がない方・・・おそらく劇的に変わると思います。
お試しあれ。
なおタイタン様の祈りに関しますご質問の他の案件に関しましては、また後で別の方のご質問と重なりますので、その時にお答えいたします。
ご健闘お祈りします」
「タイタン
2009/9/11 No.891
虚空蔵55様・みわ様
いつもありがとうございます。
五井先生
ありがとうございます。
「柔らかいお祈り」を唱えていると劇的に変わるとのお言葉でしたが、何日も立たずに本当に変化がありました。仕事についてですが、急に友人の会社へ行く事になり、これまでよりも状況は良くなってきたようです。驚いております。
天命につきましては、未だよくわかりません。考えます。
図書館へ行く時間が取れたので、五井先生の「霊的存在としての人間」を借りてきました。
まだ、最後まで読んでいないのですが、世界平和の祈りをすることで私たちのカルマが解消されるという事について、いろいろと考えてみました。
お忙しいところ申し訳ありませんが、出来ましたらお答え下さい。
まず、
カルマとは、宇宙全史にある人間が獲得すべき10の形質を獲得するために、その都度のテーマを持って地球に生まれ、獲得できなかったときに「やり残している」という印象を持つ事
そして、
1.今生は前世からの解消すべきカルマを持って生まれていている。
2.今ある状況は、そのカルマを解消するための状況。
3.カルマを解消するためには、まず、そのカルマが現れる必要がある。
4.自分がその事(解消すべきカルマが現れている事)に気付いていなければ、それは存在しないのと同じ事。
  気付かせるために、次はもっと大きなカルマとなって出てくる。
5.自分のいるこの世界は、自分が認識して初めて存在する事ができる。
6.自分のいる世界は、自分が認識している(信じている)通りの世界、つまり自分の想念が作り出した世界である。
7.その事を理解し、雑想念を持たずにその状況(消えていく姿)を受け入れればカルマは解消する。
8.不安・動揺の思い等の雑想念を持たずに受け入れるために、想念を集中して世界平和の祈りをする。
9.同時に、五井先生と神界とのお約束で、世界平和の祈りをすれば、救世の大光明集団の光明が祈りをした人の想念を神々の中に引き上げてくださる。
10.そして、神と一つになって生命の光を放射し、世界人類の平和に役立つ。
以上のように考えましたが、いかがでしょうか?
私は、どうなったら世界平和の祈りを唱える事が出来るのでしょうか?
お教え下さい。
よろしくお願いいたします。
2009.4.23
虚空蔵55様・みわ様
いつも学ばせていただき、ありがとうございます。
次にお答えいただける順番が私だという事で、お待ちしておりました。
お答えいただかないのにまた質問をしてしまい、大変恐縮ですが、今お待ちになっている皆様の
後になってしまうかと思いますが、それでも結構です。
もし、お答えいただけるようであればよろしくお願いいたします。
人間が獲得すべき10の形質を見てみますと、この中には愛がありません。
相手を思いやる心、慈しむ心、見守る心、許す心そういった、物質レベルではない愛がありません。
この3次元で人間としての基本的10の形質を獲得して、アセンションの大ハードルを超えて、
次はそこでまた、人間は愛の形質を獲得するために学ぶのでしょうか?
アセンションできただけで、愛を獲得できるとは思えません。
2009.9.8
タイタン様
①のメールのお問い合わせからお答えしていきます。
「1・今生は前世からの解消すべきカルマを持って生まれていている」
これはその通りですが、前世のみならずこの地球に来る前からの持ち越した魂そのものが持つ「傾向性」「クセ」のようなものも持って来ていますし、今回の人生で生まれてから今までに作ってしまったカルマというものも同時に抱えて生きています。
「2・今ある状況は、そのカルマを解消するための状況」
これもその通りですが、「今ある状況」そのものがカルマという因により創造されています。
しかし私たちの人生は、宿命(変えることが出来ない人生の設計図)と運命(可変な人生の設計図)により、大きな流れが形作られています。
その宿命と運命に沿って、カルマが縁に触れたとき(タイミング)により発現するのです。
(ここの記述は本来もっとややこしくなりますので、「宇宙全史」第二巻で詳しく語られる予定です)
「3・カルマを解消するためには、まず、そのカルマが現れる必要がある」
カルマは私たちの深層意識、潜在意識に深く刻み付けられています。
それが表層意識まで浮かび上がってこないことには、解消する術(すべ)がないのです(レベルの高い修行者などは瞑想により、自らの深層にまで降りていくことで顕現することなく未然に解消することもあります)。
「4・自分がその事(解消すべきカルマが現れている事)に気付いていなければ、それは存在しないのと同じ事。気付かせるために、次はもっと大きなカルマとなって出てくる」
普通の人たちにとっては確かにその通りです。
そして今生でクリアできなかったカルマは、おっしゃるようにより気づきやすい形(つまりきつい形)で、次の生で顕現することになります。
実際私たち(地球にいるもの)は、みんなそういう形でこの宇宙のゴミ箱である地球にたどり着いているのです。
しかしこの法則はある基準を満たした人たちには適応されません。
その人々とは「戦士」として生きる段階の人々です。
彼らは通常の生で「完全な生」を生きていますので、意識していようがいまいが、その生き方そのものがカルマを自ずから解消して行き、また新たなカルマを創造することもないのです(興味のある方はカルロス・カスタネダ著作の「ドン・ファンシリーズ」を参考にして下さい)。
「5.自分のいるこの世界は、自分が認識して初めて存在する事ができる」
これもその通りですが、実際にその構造を明らかにするにはかなりややこしい説明を必要とします。
(やはり「宇宙全史」第二巻以降での解説となります)
「6.自分のいる世界は、自分が認識している(信じている)通りの世界、つまり自分の想念が作り出した世界である」
非常にシンプルに記述するとそういうことがいえると思いますが、これも上の命題と同じで、いつか解説したいと思っています。
「7.その事を理解し、雑想念を持たずにその状況(消えていく姿)を受け入れればカルマは解消する」
その状況(カルマの発現)を受け入れ、それを「消えていく姿」と徹底的に看破(かんぱ)することで自然に解消していきます。
「8.不安・動揺の思い等の雑想念を持たずに受け入れるために、想念を集中して世界平和の祈りをする」
おそらく世界平和の祈りを行じる時に一番難しい所でもあり、最も肝心な所でもあります。
祈りに思いを集中させるということの難しさは、実際にやってみればお分かりになると思いますが、中々出来るものではありません。
沈思黙考する瞑想よりは遥かに易行道(いぎょうどう・簡単な道)ではあるのですが、それでも日常の悩みや苦しみ、悲しみや怒りなどを抱えて素直に世界平和を祈れるかというと難しいものがあります。
そこが修行と言えるのかもしれません。
「9.同時に、五井先生と神界とのお約束で、世界平和の祈りをすれば、救世の大光明集団の光明が祈りをした人の想念を神々の中に引き上げてくださる」
これもその通りですが、8の場合と同じくどれだけ世界平和の祈りに集中できたか、どこまで五井先生を信じ切ることができるかということがその効果に大きく関わってきます。
世界平和の祈りは自らの欲望を満たすためだけの祈りではなく、自分も含めた世界のために祈る、そして日々生かされていることに感謝するという崇高な立場に立つ祈りです。
日常では中々そうした境地にはとどまれない私たちが、ただ祈るだけで修行を極めた聖賢やマスターたちと同じ境涯に立つことができるのがこの世界平和の祈りでもあります。
皆様方の本来の幸せは、塵芥(ちりあくた)の雑想念や低い波動の欲望からは決して生じることがないのです。
人々の真の幸福や肉体の喜びは、その崇高な立場があって初めて実現するものなのです。
「10.そして、神と一つになって生命の光を放射し、世界人類の平和に役立つ」
五井先生のおっしゃるように、祈り一元の生活は自ずと「自らの幸福が世界の幸福」という覚醒者と同じ境涯に立つことができるのです。
「私は、どうなったら世界平和の祈りを唱える事が出来るのでしょうか?
お教え下さい」
もしあなたが世界平和の祈りを素直に唱えることがお出来にならないのなら、すでに唱えられている「柔らかいお祈り」を唱え続けていけばいいのです。
やがて自然に世界平和の祈りが唱えられるようになります。
そのための「柔らかい祈り」でもあるのですから。
②のメールのお答えです。
愛というのは人が獲得すべき形質ではありません。
そもそもすでに持っているものでもあり、持っているということに気づくものでもあるのです。
また愛は全ての全てですから、私たちの肉体も含めて、あらゆるものを構成し、形作り、世界を創造する根源のスエネルギーでもあるのです。
(その詳細は「宇宙全史」第二巻以降で語られます)
ですから今の人類が獲得すべき10の形質すらも、すべて愛から派生した形と段階を変えた「愛」の姿に過ぎません。
先ほど愛を「そもそもすでに持っている」ものと表現しましたが、しかし私たちはそのことに気づくために、10の形質を獲得するという段階を踏むことから始めなければならないのです。
覚醒を獲得した聖賢たちは「怒り」「憎しみ」「嫉妬」「悲しみ」といった負の形質に属する感情すらもすべて「愛」の形を変えたものだと見切ることで、その見識を整理してきたのです。
「アセンションできただけで、愛を獲得できるとは思えません」
何度も申し上げますが、愛は獲得すべきものではなく(あるいは獲得できるものではなく)、すでにあなたの中にあるそのものに気づくことなのです。
あなたの本質そのものが愛なのですが、あなたはその上に多くのゴミくずを長い転生の中でおおいかぶせてしまったのです。
アセンションできるということは、それぞれの段階で、それぞれの愛に一歩近づくことでもあるのです。
ご健闘をお祈りします
虚空蔵55 」
                                                                                        それでは、祈りに役立つ瞑想的アプローチが成り立つかどうか考えてみます。
瞑想は何も思わないことを目指す側面があり、その状態にたどりつくためにとる方法の一つとして祈りは有効です。
私は「柔らかいお祈り」「世界平和の祈り」「月読之大神の祈り」の後、諸神諸霊に感謝を捧げ、月読之大神と五井先生のタッグ光線を拝受するよう祈ります。
瞑想を始めた頃に見つめながら瞑想に入っていた仏陀の画像を思い浮かべ、V仮仏陀に集合点が届くよう願いつつ、瞑想を続けます。
無はただの無ではなく、深くなっていく特質があります。我々の境地を反映するところがあるのでしょうか。フラクタル次元との関連も何か解明されることがあるのかもしれません。
自分の状態そのものであることと祈りを行うことは両立しますので、冥想と祈りはある一つのことの別の呼び方になるのかもしれません。
時にワンネスがあらわれることがあります。その時は時空が止まった感じになります。
想念がが生じて、エゴにまつわる様相が優勢になることがありますが、静かに通り過ぎるのを待ちます。
ひたすら祈りを継続していると、真我が顕現してくる道に入っていくのではないかと感じます。私は千歩手前ということですが、そこが近づくということが成り立つために何が一番必要かと考えると、それは祈りしかありません。今はみわ様の御快癒を心から祈ります。(未完)

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コメント: 2
  • #1

    satsuki (水曜日, 22 1月 2020 11:49)

    どっぺん様、本当にありがとうございます。
    先日の質問を送らせて頂いた後、
    お祈りをしておりました。
    いつものように胸がキューッと苦しくなってきました。
    その時、過去に祈りの会の先生の先生の言葉が思い出されました。
    「自分で何とかしよう、何とかしよう、と絶対やっちゃ駄目ですよ・・・自分でやろう、自分でやろうとするから苦しくなっちゃうんです・・・」
    その言葉にやっと、あぁ、なるほど、では今日は怖がらず、何か知らないが、苦しさに抵抗する想いをも、五井先生にお渡しする感じでいこう。
    そう思い直して統一テープに聴き入りながら普段の3つのお祈りをさせて頂きました。
    そうしたところ、苦しさを包み込むような感じを持てて、確かに苦しさはあるが、巻き込まれていないような感じになりました。
    お祈りに焦点があってスーッとしておりました。
    こういう感じでいいのでしょうか?
    一時が万事で、日常も、自分で何とかしようともがいているんですね。
    もちろん人事を尽くす姿勢は大事なのですが、どうも「五井先生、守護霊様お願いします」という姿勢が弱くて、自分で、自分が、ってやってしまいます。
    みわ様の天命完うのお祈りをすると鼻と胸がスッと通る感じになりました。
    大事なことに気が付かない、分からない危ない自分であること、今回の虚空蔵55様の書き込みは本当に大事であると思いました。

  • #2

    satsuki (水曜日, 22 1月 2020 14:39)

    タイタン様の②の8.の虚空蔵55様のご返答に、やはりそこが修行かもしれませんとあります。まずここが私の今の立ち位置で、一歩一歩ですね。
    ありがとうございます。
    世界人類が平和でありますように