平静さに関するテキスト

 

順不同 出典つけず あしからず)
しかし上位の段階にたどり着くと際立って重要なメソッドがあります。
すでにここではお伝えしていましたが、それは「平静さ」でした。
よろこぶな、酒を飲むなとはいわないのですが、その行為に「触れ」てはいけないということがあります。
「怒り」「悲しみ」「ねたみ」「感激」「楽しみ」あらゆる感情は生きている限り湧いて出てきます。
その湧いて出てきたものに触れてはいけないのです。
それが大学に入学する境涯の者が育まねばならない資質になります。
キチンとした方向付けとそれにふさわしい資質の確保というのは強く求められます。
いずれにせよ大学付近まで来ますと本当に難しいカリキュラムが山積みです。
焦らず腐らず
さらに浮足立つこともなく
やるべきことを粛々と
人はすべからく覚醒を望むなら二つの重要なファクターを獲得しなければなりません。
① 平静さ
② 完璧さ
この二つの要素がもたらす「自由」という感覚が唯一その人間を覚醒に導くエネルギーを与えてくれます。
これも「エゴ」の本の中で詳述されますが、平静さは「無私」、「無思」の心です。
完璧さは日常生活における自身の「ほころび」を一つずつ見つけ出し修復していく事です。
その気も遠くなるような地道な作業の果てに、ごく稀に選ばれた人間だけが「完全覚醒」という偉業に到達できるのです。
まだよくお分かりでないようですが、力があるということはエネルギーがあるということなのです。
エネルギーがあれば、運もお金も名誉も地位も、そして精神世界におけるステイタスさえも意のままです。
目が覚めましたでしょうか。
「全てはエネルギーだ」という意味がそこにあります。
そしてエネルギーを獲得するには、エゴを薄くしていく以外に手がないことも事実なのです。
(その具体的な方法は「エゴ」の本をお待ち下さい。
恐怖に負けない」とは、無理に強がることではありません。
平静を保ち「自分だけは助かる」などという傲慢さも持たず、常に備えをし、出来得る万全を尽くして、自らの良心に従って生きることです。
私たちにはそこに五井先生の祈りや月読之大神の恩寵があるのです。
ここで真摯に学んでこられた方たちには、多少の不安はあるでしょうが、それほど恐れるものはあまりないはずです。
地上界において、その愛の本来の姿を顕現させようとしますと確かに難しいのですが、腹 (丹田)を養うことで容易になって来ます。
丹田を作っていきますと、次第に受容キャパが増していき、性格的には「寛容」という状態が養われ、また物事に動じなくなる「平静さ」も同時に根づいていくようになります。
それはまさに本当の愛を地上界に降ろすときに必要な条件で、他人との相違に基づく確執や差別意識(例えば人種差別とか)などの狭小意識を解き放ち、社会通念による思い込み、一般的な常識とされる根拠のない決まり事などに囚われない平静さがあって初めて本来の愛をこの世界にもたらすことが出来るのです。
また自己憐憫(れんびん)やその裏返しの同情という偽善にも気づくようになり、「俯瞰 して自らを省みる」ということが次第に可能となっていきます。
よく寝て、適度に太陽を浴び、お腹や腰を冷やさず、心を落ち着けて平静を保っていれば、大概のことはしのげるのです。
どうか宇宙全史に関わっておられる方は、平静さ(実は非情さなのですが)と、祈りを常に忘れずに、心して(覚悟して)対応していただきたいと願います。
①やさしい(放縦に流されない丁寧さ)
②忍耐力がある(待つことを知る・機会を失わない忍耐を知っている)
③非情である(冷酷にならない平静さ)
④狡猾である(残忍にならない明晰性)
この4つはドン・ファンが提唱する「戦士」の条件ですが、それをクリアしているのが離脱している親の共通項といえば共通項です。
それに反してエネルギーをなくし、子供に愛着を持つ親は、
①やさしくない
②忍耐力がない
③情に流される
④酷薄になれる(裏切られたと思い込み深い復讐の念を持つ)
一般的に③と④は「人間的」といわれている形質でもあります。
愛情や愛着という一種の執着を持つ人々は、それが裏切られると思うとたちまち豹変して「残忍」にもなれますし「酷薄」「冷酷」にもなってしまいます。
その残忍性は「愛着」の度合いに比例します。
つまり愛着(執着)が強ければ強いほど、裏切られたと思うときにはその反動として強力な復讐心が湧いてくるのです。
私が以前からよく申し上げています「情の深い人ほど冷酷になれる」「非情な人が本当はやさしい」ということがここにあります。
3と4は情(執着から派生する感情の一種)という一般的に「人間的」といわれている形質ですが、この情に「自己憐憫」が絡むことで、さらにその効果は加速されていきます。
(とにかくチャクラが開いていくような境涯にたどり着きますと、求められるものは二つです。
①エゴを薄くしていく
②腹を作る
このどちらかを確実に取得しないと、大体転落していきます(両方でもいいのですが)。
その①と②の両方に絡んでくる形質が「平静さ」です。
既に宇宙全史では繰り返し説いて来ていたはずです。)
「可能な時が来ましたら、是非、どのように肉体改造がされるのかお教えください」
●人それぞれです。
受け取る方のキャパと段階によります。
そのうち明らかにしていきます。
ここで学んでおられる方たちの守護霊、守護神様たちは今必死です。
確かにご自分のペースで焦らずたゆまず、冷静にエゴを見つめ、良心(主にこれが守護霊、守護神の声です)に従った判断で生きていけばよいのですが、上の方たちは本当なら、なりふり構わず皆さん方に「祈れ!」とお伝えしたいのです。
上から見ていますと、10年20年は一瞬です。
皆さん方が、この先どのパラレルワールド(平行世界)を選択するかは、祈りにかかっています。
エゴの選択に任せるか、良心の選択に任せるかは、私たちにゆだねられているのです。
あなたはあなたが引っ張っていくべき人たちの事を、その魂が求めている事を見る事が出来ます。 冷静になっていればちゃんと見ることが出来ますから自信を持って導いていってあげて下さい。 そこでもやはり平静さ(冷静・非情さ)が大事になっています。 またただ引っ張っていくことに焦点を当てすぎると今度は支配してしまう事に注意しなければなりません。 「支配してしまう」→「その子の自立心といいますか、その子の考えで実行すべきことをちょっと阻害する傾向になってしまう」→「自分の考えとかを押し付けがちになってしまう」 ですから私は以前「子供は放っておくのが一番」と説いておきました。 しかしそれには大前提がありまして、それは「子供が心底大好き」というベースです。 この「子供が心底大好き」といいますのは、莫大な愛がないと達成できない境涯ですので、通常は無理というのがそのときの私には分かりませんでした。 通常ですとする方もされる方も「放任」は「見放された」と思ってしまうようです。 先日海外メディアのインタビューで昨年引退した中国のテニスプレイヤーの李娜(リナ)さんがお話されていましたが、彼女はアジア初で唯一のグランドスラムシングル優勝者でもあり、その他の成績もものすごいものがあるのですが、彼女のお母さんは彼女が昨年最年長で全豪オープン優勝したときも「あなたまた何か試合したの?」という位の反応で、それも誰か友人に「テニスで優勝してたのあなたのお子さんじゃないの」と聞かれての問いだったようでした。 そしてこの李娜さん自身もインタビュアーの質問に答えて「自分に子供が出来たら子供がテニスプレイヤーになるかどうかはその子しだい、英才教育というようなことは一切やるつもりはない」という実に清々しいコメントをされていました。 私はそれを聞いていて李娜さんもそのお母さんもそうですが「これだけのエネルギーがないと「放任」という事は不可能なんだ」とつくづく思ったものでした。 エネルギーとはつまり「愛」です。 子供に依存せず、親に依存せず、一人「在る」という境涯には、莫大な愛が必要だったのです。 放任を「愛がない」と思ってしまう、「見放された」と考えてしまうそういう方たちには、まず本人の安定が先だと思ったのです。 それには五井先生のお祈りが万能なのです。 祈りのうちに次第に心が、精神が落ち着いてきますから、感情に振り回されることも少なくなって行き、落ち着いて周囲を見ることが出来るようになっていきます。 そうするとあなたが本来お持ちの「見る」ことが出来るようになり、お子様たちもそうですが、周囲の人たちも「引っ張って」いくことが出来るようになっていきます。 あせらずいつもご自分の感情を見つめ、五井先生のお祈りと共に心静かにお過ごし下さい
追補 「劣等感」
根本的な因は、あなた 集合魂 の真面目さにあります。
ィルプロラシオン時代からずっとそうなのですが、あなたより「強い」「優れている」「特殊な能力がある」 「カリスマ性がある」などという人物や象徴を見ると、それに憧れ、そういう存在になってみたいという強い願望 欲望があり、「そのためにどうすればよいか」という方法論を一生懸命探っています。
そして、その方法論が正しければ良いのですが、 そういう境涯ではそんなものは中々見つかりません。 そういう生が延々ありまして そこで培われた偏った傾向性が「劣等感」となっています。
真面目さゆえに真摯に目標に到達しようと試みるのですが、それが挫折してしまうといつも「私には出来ないんだ」という劣等感を強く感じてしまいます。
そこで、そんなに真面目でなければいいのですが、何故かそこは頑なですから、もう少し柔らかい対応力があればいいと思いますよ。
それはある意味キャパの問題という事もあり、あなたは頭が良い方ですから、割と何でも理解しやすいのです。
理解するが故に「何故出来ない」という結論に飛びついてしまうので、そこでは少し落ち着いて「成るようになる」という度量を磨かれるといいでしよう。
もちろんそこで
「やるべきことはやる」
「何事も全力で」
「後悔をしない取り組み」
というセオリ—は必須ですが そうしないと度量ではなく、「易きに流れる」にいってしまいます そこはあなたは出来るのです......出来るのですが、「やったけど、何も起こらない」「どうして言われた通りにやったのに、成就しないのか」という状況に陥り、普通の人なら「もう騙されないぞ」とそこでエクササイズを打ち切ってしまいます。
しかし、あなたは黙々と「自分が悪いんだ」「自分が足りなかった」と責めてしまうのです。 反省は大切な要素ですが、周り(自分も含めて)を公平に冷静に見るという平静さはとても大切な要素です。 劣等感は向上心の原動力ではありますが、そこに拘ることは自己憐憫に陥ることになってしまいます。
そんな思いもすベからく世界平和の祈りにお任せすれば、全ては消えて行く姿で解消していくのです。
「宇宙全史ではあまりセックスのことを書いていませんが、結構大事なことなので少し書 いておきます(確か人類発祥のシーンにおけるa‐1、e‐1の解説のときには少しあったと思います)」 恋に基づくセックスと愛に基づくセックスの違いですが、そこには歴然とした相違があり、前者はどちらか一方か双方共にエネルギーを消費するだけですが、後者はお互いがエネルギーを供給し合い、受け取ることが出来ます。 それが本当のタントラ・ヨガなのですが、近年はその辺りが抜け落ち、その形式と興味本位という上辺だけの理解になってしまっています。この件(くだり)は結構エネルギーを使いますので、詳細は「エゴ」の本の中で書くことにしておきます。
地上界において、その愛の本来の姿を顕現させようとしますと確かに難しいのですが、腹 (丹田)を養うことで容易になって来ます。 丹田を作っていきますと、次第に受容キャパが増していき、性格的には「寛容」という状 態が養われ、また物事に動じなくなる「平静さ」も同時に根づいていくようになります。 それはまさに本当の愛を地上界に降ろすときに必要な条件で、他人との相違に基づく確執 や差別意識(例えば人種差別とか)などの狭小意識を解き放ち、社会通念による思い込み、一般的な常識とされる根拠のない決まり事などに囚われない平静さがあって初めて本来の 愛をこの世界にもたらすことが出来るのです。また自己憐憫(れんびん)やその裏返しの同情という偽善にも気づくようになり、「俯瞰して自らを省みる」ということが次第に可能となっていきます。
無理と無茶
無理はその人にとって「その人の」思っている限界を越える行動をいいます。
つまり  実際は出来るのに「できない」と思っている壁を超えるのです。
しかし無茶は、その人が出来ると思っていることが、実はその人の限界を越えた範疇にあり どうやって も不可能なことをいいますから、無茶というのは破滅につながる行為になります。
無理を継続することは慎むべきですが  無理を原動力、点火剤にすることは可能です。
半面無茶はその方のキャパを越えた行為になりますから、反動も大きく、結果疲弊と憔悴  悪くすると病
や死を招くことになります。
この二つの見極めは難しいですが、お祈りと平静さが生活の基盤にあると自ずと見えてきます。
「陰糸に勝つ方法」
「20年後...」の本の中でも書いておきましたが、陰始の支配もさることながら、地球上の人何のそのほと
んどが陰始の色に(濃い薄いはありますが)染まってしまっている現状で、果たして陰始に打ち勝つ術とい
うのはあるのでしょうか。
そこをこれまでの探求から色々探ってみました。
陰始は地球のシステムの要部分をすべて結界をかけて自分の都合のいいようにしてしまっている
A ・これにつきましては本当にもう誰にもどうにもできないように思えてしまいますが、冷静に見
ていますと、その結界自体がそれほど強いものではないという事が見えます。もちろん知らな
ければ結界のまま束縛され続けてしまいますが、陰始の結界は一種の「まやかし」のようなも
ので、それほど強力なものではないのです
つまり実体がないのです
だから陰始のやり方、からめ取ってくる手法は「思い込ませようとする」操作なのです
B ・その「思い込ませる」ものを弾く力があれば何とかなるものなのです。陰始の結界とはそうい
うものです。だからこそいつも申し上げている「気力」と「平静さ」が重要なファクターに
なっているのです。というよりも私たちがこの世界の愚かさから抜け出るには、その要素を身
に着ける以外にないという事がいえます
陰始の持つ特徴的な感情に寄り添わないようにする
A ・陰始は妬み、嫉み、被害妄想、自己憐倒という歪んだ指標の感情しか持っていない
B ・私たちは陰始と関わらないためにはエゴを薄くしていくしかないのですが、そのエゴの中妬みや嫉み、特に自己憐澗という感情をおさえていく(コントロールする)という事がなっています
陰始の強みは自分が幸せになりたいとは思っていないこと
A ・つまり何も怖いものがないという事です。神すらもなんとも思っていません
(神などいませんが、上位の存在という意味ではあるのですが)
B ・その感情に巻き込まれないために「生きたい」という希望、「生きて好きなことを思いしたい」という前向きの感情を育むこと。もう生きているのは嫌だとか、夢も希望もないなといった甘えは陰始の大好物なのです。そこにとらわれている限りは、陰始と運命を共にしいきます

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コメント: 6
  • #1

    satsuki (火曜日, 18 8月 2020 07:45)

    どっぺん様

    いつもありがとうございます。
    質問があります。
    よろしくお願いします。

    今さらながら、私は
    「腹 (丹田)を養うこと」
    について、よく分かっていません。よろしければ、教えていただけませんでしょうか。
    具体的にどうしていくことが、
    腹を養うことになるのでしょうか。
    よろしくお願いいたします。

  • #2

    どっぺん (木曜日, 20 8月 2020 11:48)

    satsuki様
    ご質問の件ですが、私も正確には虚空蔵55様がどのようにお考えなのかよく把握しておらず、一応腹式呼吸は大事なのだろうと思っている次第です。

    以下に、過去の御教示を掲載致します。

    No404
    どっぺんさんはまさしく真我(実存)を垣間見るといいますか、その一歩手前のゾーンに接触していますが、それが何だというのでしょうか。
    運が良かったり、高熱にうなされたり、死ぬような危機状況に陥ったり、何日も寝られない状況が続いたりしたとき、(たまたまベクトルが合って)稀にそういう境涯に一瞬遭遇する人もいます。
    一兆年に一人しか得られない完全覚醒を前にして慌てたり、うろたえてはいけません。
    その覚醒を得たEO氏でさえ、今生では簡単に覚醒したように見えますが、実際は彼の集合魂を含めて、無数の転生において想像を絶する修行を重ねて来ています。
    ここへ質問はいくらでもして来て頂いて結構ですが、「腹を据える」という丹田をつくる(育てる)という事は大事です。
    それがないといつでも簡単に境涯をひっくり返されてしまいますよ。
    まだまだ先はありますが、もう先はないともいえます。
    やはりそれはあなた方次第というところでしょうか。

    No.212
    肥田春充(ひだはるみつ・明治から昭和初期の方です)さんという方が昔おられました。
    ご存じの方もおられると思いますが、丹田意識を開発して成就された方です。
    元々興味はあったのですが少し怖い感じがしてあまりなじめなかったのですが、以前この方も収録してありました。
    詳しくはまたいずれかにお話ししますが、前世は比叡山の僧兵でした。
    亡くなられてからどうされているのか伺ったことがあります。
    「待っている」
    何を待っているのでしょうか。
    「多くの人たちがやがてやって来るが、一人でもその方たちを救いたい」
    彼はまだ行くべきところにわざと行かずに中有(ちゅうう)で待機しておられました。
    それはやがて来るべきハルマゲドンに備えて一人でも多くの迷える霊を救いたいとの悲願から来た言葉でした。
    少しこわもての彼にこんな慈悲の姿を見た時私は少し彼が好きになりました。
    そこで今回の震災で多くの方が亡くなり、上空に漂っている不成仏霊を見てやはり救っておられるのか伺いました。
    「それはまだ」
    「今やっておられるのは、子供たちが多くなくなった所があちこちにあるが、そこで地蔵菩薩の方たちが拾い上げて廻っておられる」
    あなたはやはりハルマゲドンまで待つのですか
    「私の役割はそう」
    果たしてハルマゲドンになるか私が覚醒する(その場合は大アセンションの可能性が高くなります)のかまだわかりませんが、肥田さんを少し見直した私でした(実は肥田さんは断食自殺をしておられます。その弱さが気になっていたのですが、いいとこあるじゃん・・・という感じでしょうか)。

    No.641
    「それはお腹を整えれば何とかなる」

    つまり「丹田」を作る・充実させるということのようです。
    私は元々筋肉質の体でしたが、現在は覚醒直前ということでお腹だけがプックリと出てきてしまっています(昔は腹筋が割れていたんですよ)。
    体型からしますとかなりカッコ悪い状態ですので、何とかならないかと上に掛け合いますと、

    「覚醒してしまえばどうにでもなる」(そのままでも、へこますことも自在)

    とおっしゃいますので今は我慢しておりますが、プールなどに行きますと、お腹をへこます作業をしております(これはエゴではなく、他人に不快感を与えないというエチケットなんだといいきかせています)。

    肥田春充(ひだはるみち)さんをご存知でしょうか。
    丁度あの方のお腹で、全体をもっと筋肉質にした体が今の私です。
    ですから異様な体形になっているのです。

    そこまでは必要ないようですが、それでもある程度気をためて丹田を作る必要があるようです。

    この方が丹田を作るにはどうしたらよいでしょうか。

    「本当は瞑想がいいのだが、この方が瞑想に入っていくのは難しい」

    「祈りもあるのだが、こちらはもっと難しいだろう」

    それではこの方の気質に向いた「格闘技」とか「やくざと喧嘩する」などはいかがでしょうか・・・結構丹田が出来ると思いますが。

    「そういう解決の仕方はダメ」

    「直接的な発散は違う」

    「対人ではなく自分に向かないといけない」

    マラソンなどはどうでしょうか。

    「それが良い」

    がんばって下さい。


    No.2971
    多くの方が「現象」にこだわり、「自分には特別な何かがあるに違いない」とエゴをうずうずさせています。そういう方が何処へ導かれるかはいわずもがなですが、しかし精神世界では常道の転落道とはいえ、ここにかかわる方を放置しておくわけにもいきません。様々な現象は「意味のあるもの」、「無いもの」を交えて起きてきますが、そこを見極めるのは到底凡夫の身では叶わないことです。故に五井先生のお祈りがあるのです
    焦りはあるでしょう
    苦しいでしょう
    つらいでしょう
    早く楽になりたいでしょう
    しかしあなたにはあなたの道筋があり段階があるのです
    それを受け止める「腹」丹田が養成されなければ無限に立ち向かうエネルギーは得られないのです
    それが無いまま真我に立ち向かうことは自殺行為になります
    五井先生がすべてをご覧になってあなたが一番いいような形で導いて下さるのです
    エゴに負けてはいけません

    No.842
    ②私は対人恐怖症・あがり症・強迫神経症の傾向があります。たとえば、人前でしゃべるときマイクを持つ手が震えたりします。震えないときもあるのですが、震えるんじゃないかという思いが常にあって、マイクを持って人前でしゃべることが怖く感じます。あまりこういったことに囚われず日々坦々と与えられた仕事をこなしていくしかないとは思うのですが、このような状態の根本的な原因と改善方法がありましたらお願いします。
    ②の質問への回答です。
    あがり症はあなたのプライド(エゴ)が、うまくやろうとすることで発症しています。
    どうも自尊心が強すぎるようです。
    解消するには「お腹(丹田)を作ること」といわれました。
    しかし今はあまり難しいことは考えずに、とりあえず呼吸法「腹式呼吸」を思いついたら実行していて下さい。
    そうすれば呼吸が整い、気が落ち着いてくるはずです。

    No.3924
    HSPといわれるパーソナリティについて、何の意味があり持ち生まれてきたのだろうと
    普通と言われることに、普通と言われるレベルで適応することが出来ず
    社会生活で求められることに対応出来ない

    群れに入らないことは
    個であることは
    誰に迷惑をかけるつもりがなくても
    何故癌細胞のように扱われるのでしょうか

    ●あなたの考えている「迷惑」は、あなたの考えている「迷惑」に過ぎません。
    また「つもり」がなければ何をしてもいいとお思いでしょうか。
    まずはその独善に気づかないと始まりません。

    また根本的に解決したいのなら「腹(丹田)」を養っていくしかありません。

    私など最強のHSPだと思っていますので、癌細胞のように扱われるのが当たり前と思っています。

    今はエネルギーがないでしょうから、どうにもならないとお考えでしょうが、少しずつ良くなっていきますから、あまり深く悩まないでいいでしょう。

    お祈りだけは欠かさないようになさって下さい。

    No.3366
    追補(1OO万円の本)
    先の文章中に出てきた「100万円の本」といいますのは、わたしがこの地上に残す最終段階の書籍にな
    ると思われます。

    ブッダはすでにこの宇宙に存在しないと書きましたが、ブッダがその最後の最後に残した情報があります。
    私たちのごく限られた魂はいつかそのたぐいまれなる幸運により、ある境涯に至ることになります。
    その境涯とはほとんどの人類が想像もつかない(考えることもできない)ゾーンですが、そこに至るともう
    この宇宙(世界)とは交信できなくなってしまいます。
    そのためブッダがそこに至る極々々寸前の空間に残したメッセージがあります。
    それは人類が手にできる究極のメッセージといってもよいかと思います。
    それを解読したものが「100万円の本」になります。
    現実的にその本はほとんどの人類にとってチンプンカンプンでしようし、チンプンカンプンならまだいい
    37
    のですが、読んでしまうと人類全体が滅びの道に傾いてしまうというちょっと危険な内容になっています。
    そのためただ「100万円出せば買えるんでしょ」というようなものではなく、それを読んでも動揺しな
    いだけの腹(丹田)が出来た方にしか提供されないようになっています。
    そしてその「腹」は長い修行の末に得られるものになっています。

  • #3

    satsuki (金曜日, 21 8月 2020 21:36)

    どっぺん様

    ありがとうございます。
    腹をつくるということについて、やるべき事がみえてきました。
    やはりそういうことだったのかと、改めて確認できました。
    本当にありがとうございます。

    五井先生の中に入りきる日々の練習と、臍下丹田からの祈りと、消えてゆく姿の丁寧な実践の中に、呼吸の中にあるのだと思いました。
    与えられた環境の中で精一杯のワーク、がんばります。

    世界人類が平和でありますように

  • #4

    satsuki (土曜日, 29 8月 2020 15:37)

    どっぺん様
    いつもありがとうございます。

    虚空蔵55様の御教示に、
    「よろこぶな、酒を飲むなとはいわないのですが、その行為に「触れ」てはいけないということがあります。
    「怒り」「悲しみ」「ねたみ」「感激」「楽しみ」あらゆる感情は生きている限り湧いて出てきます。
    その湧いて出てきたものに触れてはいけないのです。

    とあります。
    この「触れてはいけない」というところがちょっと分かりづらく感じています。
    よろしければ、教えていただけませんでしょうか。

    よろしくお願いいたします。

  • #5

    どっぺん (月曜日, 31 8月 2020 06:44)

    satsuki様
    2018/6/24 No.3592の私の投稿へのご教示です。

    「守護霊様からです。
    「これよりさらにエゴの観察がスムースになるだろう」
    あなたの精進が進むようです。
    「エゴの観察」とは「エゴを俯瞰して観る」ということですから、それがスムースに出来るということは実はとても大きな意味があるのです。
    詳細は「エゴ」の本で明らかにされますが、「俯瞰する(上から見る」ということは、すでに「その上の世界にある」といえるのです。
    例えばあなたがあなたの感情を冷静に俯瞰して観られれば、あなたはすでにエーテル体~アストラル体の住人としてあるということがいえるのです。
    そうして「感情」から「思考」と俯瞰していけるようになりますと、さらに上のメンタル体へと移行していけます。
    そのきっかけとなる「エゴの俯瞰」は大きな進歩になるのです。」

    この「俯瞰して観る」ことがご質問の答えになると思います。

  • #6

    satsuki (月曜日, 31 8月 2020 10:48)

    どっぺん様

    ありがとうございます。

    世界人類が平和でありますように