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質問17satsuki様 「瞑想」と「内観」について

どっぺん様

お早うございます。satsukiです。
今日はお祈り中にフト思った質問があって、メッセージさせて頂きました。
よろしくお願いします。

何と書いたらいいのか、「瞑想」と「内観」についてということになるのでしょうか。

私の場合は、瞑想の時間というよりもお祈りの時間なのですが、その時に過去の出来事の反省や振り返り、この後の予定のことなどが頭の中にへ巡ってきます。
お祈り中、子どもの頃の、いつかの感情想念、未消化な想いなどが来たときに、あの時こういうことだったのではないか、ああいうことだったのではないか、今こうし感じるのは、それを消化する何らかのアプローチが必要なのではないか・・・等々。

五井先生の統一テープを聴きながら、祈り言葉よりも想念の遊戯の方についていってしまう時があります。

こんな時は、そういった過去の振り返り、反省、今後の予定、アイデア、考え事はいったん脇に置き、
消えてゆく姿としてお祈りに戻る。
そして、後で心落ち着いたときに、ゆっくりと振り返りなどの時間を持った方がよろしいでしょうか。

何事も一気になしたい短気なところがあり、そこが一歩一歩の歩みを阻害していると思います。
祈りの時間は祈りに、内観的なことはその他の時に心落ち着けて行う。
そういったメリハリをしっかり意識することが必要なのではないかと考えますが、

よろしければどっぺん様のご指導を頂けませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。

世界人類が平和でありますように


satsuki様

いつも大変大切なご質問をいただきまして、どうもありがとうございます。

お答えを考えていますと、まず、瞑想は「異世界と交流する」ための無数のメソッドの一つであり、その際、「天才のベ— スであるところの「直」と「無垢(清浄) なカルマ」を求めねばならない」という御教示に目が止まりました(宇宙全史質疑応答4追補)。

この「無垢(清浄) なカルマ」に至るために、我々自身の現状のカルマに対処する取り組みとして、日々の「過去の出来事の反省や振り返り、この後の予定のことなど」「子どもの頃の、いつかの感情想念、未消化な想いなどが来たときに、あの時こういうことだったのではないか、ああいうことだったのではないか、今こうし感じるのは、それを消化する何らかのアプローチが必要なのではないか・・・等々」を俯瞰することは、非常に大切で、それは我々のエゴが反応する姿でありますので、お祈りの中で俯瞰することで「消えてゆく姿」につながっていくのではないでしょうか。
それを通して「無垢(清浄) なカルマ」に至ることが可能になるメソッドの一つになると考えます。


「祈りの時間は祈りに、内観的なことはその他の時に心落ち着けて行う。そういったメリハリをしっかり意識することが必要なのではないかと考えますが」とのことですが、両者を切り離すのではなく、常に祈りの中にあり、内観をしているという有様が成り立つと思います。それが瞑想の一側面です。しかしそれは思考ではありません。

クリシュナムルティの言葉を引用します。
「瞑想にはどんな技法もありません
それゆえ瞑想には権威者などいないのです
あなたが自分自身について知るとき
つまりあなた自身を見つめ
どのように歩きどのように食べ
なにを話しているかを見まもり
おしゃべりや憎しみや嫉妬を見つめ
あなた自身のなかで
これらすべてのことに
思考をさしはさむことなく気づいているとき
それはすでに瞑想になっています」

「瞑想は新たなるものの不断の開示である。新たなるものは反復的な過去を超越したものである。瞑想とはこの反復に終止符を打つことである。瞑想がもたらす死は、新たなるものの永生である。新たなるものは思考の領域にはなく、瞑想とは思考の沈黙である。
瞑想とは何かを成就することでも、まぼろしを見ることでもなく、感覚を刺激することでもない。それは抑える間もなく勢いよく流れて、氾濫する川のよぅなものである。瞑想は音のない音楽であり、決して使い馴らしたりできるものではない。それはそもそものはじめから観察者の存在しない沈黙のことである」

クリシュナムルティが瞑想について書いているものをみると、彼は、瞑想という言葉で「真我」を語っていることに気づきます。興味があれば読んでみて下さい。 
                                 どっぺん

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コメント: 2
  • #1

    satsuki (月曜日, 02 8月 2021 23:10)

    どっぺん様

    お言葉をいただきましてありがとうございます。

    ご指導いただいたことを胸に、祈りに入っていこうと思います。

    焦らず自分の心をただ見つめることをやってみます。








  • #2

    DOPEN (火曜日, 03 8月 2021)

    僕も慈悲という名の祈りをひたすら目指したいです。