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質問18 satsuki様

satsuki様から質問をいただきました。               
                                
どっぺん様
お早うございます。
よろしくお願いいたします。
まとまりがなく、申し訳ありません。
わたしは、自分を見つめるということを「あーでもない、こーでもない」
と手を出して混乱して堂々巡りし自滅するということを繰り返しています。
宇宙全史の中で「感情の解放」をすることをやることについて書かれていたと思うのですが、そのことがよくわかりません。
自分には反抗期がありませんでした(あったのでしょうが表に出て来ず抑圧されていました)。
心の中の苦しさをどうにかしたくて、2、3年ほど前に「アダルトチルドレンの感動解放ワーク」を受けました。
インナーチャイルドワーク、インナーワークと呼ばれるものですが、カウンセラーの誘導に従って自己の中にある想いを言葉で表現していきます。
「ほんと、嫌だった・・・」
ーそうか、嫌だったんだねー
「本当はやりたかった・・・」
ーそうか~、本当はやりたかったんだねー
「むっちゃくちゃ、怒ってる!」
ーそうか、怒っているんだ、そうだね、分かるよー
という風に少しずつ、自己との対話を促していきます。
そこで自身の想いを表現していっていました。
他のインナーワークも受けましたが、だいたい同じです。
段々と場面降りていって思い出していく作業をしていきます。
過去に本当は自分はどう思っていたのか、それを深ぼっていきます。
しかし、私の場合は当時の記憶がなかなか出てきません。
カウンセラーに促されて、親に対して本当はこう思っているんだよ、思っていたんだね・・・、
とワークが進む割合が多いような気がしました。
自分から話し出すことができません。
大体がカウンセラーの方のお話で終わることが多く、自分から切り出すことができません。
何かがほしかった、本当は嫌だったと思うのは当時の自分というか、今の振り返っている自分でもあるので、当時の私がどう思っていたかを断定的に答えることに気持ちの悪さも伴う時もありました。
カウンセリング後のワークで、自分の欲しいものを買ってみて、やりたいことをやってみて、ということもしました。
例えば、ゲームを買って遊びたい。ということですが、それをやりましたが、どうしてもゲームをすると時間を超無駄に使っているように感じ、こんなもったいない時間を使うなんて、本を読んだり、外に出て自然を感じた方がどれだけ仕事のストレスが和らぐだろうか・・・こんなことやっていたらダメだ!と自己否定をし始め、ゲームを処分してしまいます。それを2度程やりました。それをやらかす度に始めは処分してスッキリしますが、後に後悔に陥ります。
解放ワークと称するもので、例えば怒りの想いを大声でだしたり、罵詈雑言をあえて表現して出すというものがあります。
しかし、感情を吐き出したり、欲しいものを買ってみたり・・・こうしたことを繰り返していくうちに心が段々とぶれてきて、にっちもさっちもいかない精神状態に陥りそうになっていました。インナーワークも大変お金がかかります。
幸い、祈りの会に参加し、世界平和の祈りの「練成会」などに参加できていましたので、浄められ、落ち着きを取り戻せていました。
私は色々なものを柔軟に受け取るのが苦手で、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」
を日々実行するにしても、現実を観ない、考えない、関わらない手段にしていたように思います。
吐き出せない、表現できない、考えない、現実から逃げる・・・。
何か出てきたら、両手で顔を隠して、見ないようにして、消えてゆくんだ、五井先生ありがとうございます!あ~これで消えた。
とやっていたんだと思います。
嫌だ、嫌だといいながら介護の仕事を続けてきましたし、だからと言って現実を、どうよくしていこうかという事をどうしてもやりたくなかった・・・できなかった。
周りに相談もできなかった。
結果、目の前のことから逃げてはいけない、歯を食いしばって仕事を続けていけば必ず良くなる。耐えて耐えて耐え抜くんだ・・・、祈っていれば自然によくなる・・・、現実的な対応は神ささがなさるから・・・。というように唯々心を抑え抑えて苦しんでいました。
祈る。でも自分で考えられない。自分で動けない。動いても自分の殻からでた行動ができない。
実は「自分で考える」問うことがどういうことなのか分からなくなっていました。
現実をどう生きるのか分からなくなっていました。今もそうです。
唯々現われてくる日常に、恐れから対処していく、反応していくしかできませんでした。
現実と仕事にそうして対処するしかなく、自宅と職場の往復、自分の殻が段々と強固になり、生き方が分からなくなりました。
欲しいものを買って良いといわれる。買ってみるが、自己否定を繰り返す。お金は無くなる。
当然です。ですがそれを冷静に見ることができませんでした。
後悔の念に苦しみ、また買う・・・。
当たり前の処理判断が効かなくなってきました。そしてまたグルグル悩む。
そういうことを繰り返していました。
それでも今振り返ってみると、冷静に考えられ、どう現実と関わっていけばいいのか、
おっかなびっくりと掴めてきているような気もします。
五井先生の御本の中には、消えてゆく姿で世界平和の祈り、根本のお話を学ぶことが出来ます。
しかし、現在、私が手を出したインナーワーク、アダルトチルドレンの感情解放ワークといった自分を見つめんとするものに手を出すと、もうどうしていいか分からなくなり、大変混乱に陥ります。
混乱してしまうのでインナーワークに懐疑的になります。インナーワークが信用できないのです。
五井先生の御本の中にインナーワークなんて出てこないし、感情の解放という言い方なんて触れていないし・・・、分からない。
祈りの会の先生は、潜在意識をほじくり返すようなことをしてはいけないと常に常にに注意されていました。
インナーワークは過去のこと、想いをほじくり返しているのでしょうか。
そして、自分はさらに混乱に陥ります。
一人で五井先生の御本を読み分かったつもりになり、行に耽る、いわゆるマスタベーションをずっとやって来ていたんだなぁと思います。
現実を生き抜くという当たり前のことができなくなり、生きることからのフィードバックを受け取れなくなり、窒息して死んでいることにすら気づかず、部屋に閉じこもり、マスタベーションをし続けている。
五井先生を根本とし、生きるということは、どういうことなのか。
生きる⇔フィードバック→改善・改良→生きる⇔フィードバック・・・という基本的なことがどうもできなくなっている。
ここは自分でやるしかないのに、祈っていれば自動的に成されるという錯覚をしてしまっているようです。
なので、祈っているのに何でいつも、いつもしんどいままなのか・・・。という堂々巡りに陥っている・・・。
どっぺんさん、感情の解放をいうことは、どういうことなのでしょうか。
そして、インナーワークとはいったいどういうものなのでしょうか。果たして有効なのでしょうか。ほじくり返さず、消えてゆく姿に徹するとはどういうことなのでしょうか・・・。
こういったワークは自分もなるほどと思うところもあります。
ですが、自分にとっては現実をかき乱す混乱の要素の方が大きく、過去への後悔、怒りや被害者意識に取り巻かれ、
中々しんどいものです。
虚空蔵55様の仰るように、祈りの会の先生の仰るように、
素直に五井先生の仰るように行じていくにはどうすればよいでしょうか。
どうすれば、ほじくり返さず、素直に素直に消えてゆく姿に徹していくことが出来るのでしょうか。
自己を見つめること、現実を生きること、そして、今を受け止め、そこからスタートする(これが一番難しいです。)
ここまで書いてきて、思うことは、自分はやはり考え方が重たいということです。
今を受け止められないのは
まずは、「子どもの頃のように、今やりたいことを素直にやれ」ということなのかもしれません。勉強しなくちゃ、がんばらなくちゃ、学ばなくっちゃ・・・と自分を追い込むのではなく。
散々否定してきたけど、もう一度、やりたいことをやる。やってみる。
それが流れの最初なのかもしれません。
人生のアプローチとしてこんなイメージをしてみました。
五井先生を根本に
まず、やりたいことをやってみる。
また、生きる⇔フィードバック
自分なりにフィードバックから得られた元を考えて、改良、改善をやってみる。
それを繰り返す。
今はこんなイメージです。
インナーワークはどうとらえていいのか分かりません。
目の前のことの直近のフィードバックは分かりやすいですが、遥か彼方の子どもの頃のフィードバックは、怖くてドツボにハマって、混乱しそうで、できれば考えたくはないとおもってしまします。
世界人類が平和でありますように
                                
satsuki様
御質問ありがとうございます。
                                
「宇宙全史1」の第7章「魂」のp446、「カルマ」の箇所を読み返してみましょう。引用が長くなりますが、お付き合い下さい。
まず「常にその場その場で自分の印象を納得させていく」
「中庸」とはあなたの「人生のテーマに沿った生き方」
「 ゆれる印象、ゆれる心を常に中庸に戻す・・・・・・この作業が日常必要になってくる」
「あなたに生きがいをもたらす生き方」
そのために「自分のやりたいことをやる」
「自分の思い 感情表現」で自由にできるかどうかというところまでもっていく」とあり、次の箇所が出てきます。
人は生まれ落ちた時から社会に適応できるように教育され始めます。そこからすでに自由な自己表現への制限が始まっているのです。 「大きな声を出しちゃだめですよ」 「走り回らないように」 「ここでは笑つてはいけません」 「男は泣いちゃだめだよ」 「女の子だからおしとやかにしてね」 無数のしつけや常識が無垢な幼い感情を押さえつけています。それは本来もっと自由にのびのびと育つはず の感情でした。それが未成熟のまま固まってしまい、それがそのまま大人に持ち越され、その方たちがまた子供に同じような仕打ちをするという循環に入っています。この悪循環を解消するには社会が一斉に気づか ないと中々難しいかもしれませんがいまのところその可能性は少ないので、個人個人がこの現実を見つめて 自分の押さえこまれている感情を解放してあげることが必要です。 そうして自分の素直な感情が解放されますと自ずと本当に自分のやりたいことというのが見えてきます。」
これが「「アダルトチルドレンの感動解放ワーク」「インナーチャイルドワーク、インナーワーク」が目指しているところに一致すると思います。
そしてこれは、satsuki様だけでなく「ほとんどの人にとってとても大変なこと」であり、「様々な思惑をもった社会的な意図が人々を何も考えない幼い ままの子供でいるように、あるいは他のみんなと同じものも持つことで安心し、しかもそれが値段が高いというだけの理由で価値があると思い込み、ステイタスを身に着けていると勘違いさせるように誘導していきます」
「我々をがんじがらめに縛り上げている「こうした社会のトラップ」から自由になるために」次の言葉が出て来ます。
「最も大切なメソッドは「人目を気にしない」ということなの ですが、果たして皆様に可能なことでしょうか。これは先ほどの例を参考にご自分たちでお考え下さい」
「しかしそこにはまだ「持ち越されたカルマ」というものが厳然としてあるのです。」
「集合魂の中のカルマをすべて(もしくは分けて)引き受けて出ている」ので、これは「身に覚えのないカルマ」ですから、素直にそのカルマ現 象を受け入れることが中々出来ません」
「何で自分だけこんな目にあわなくちゃいけないのか」
「どうしてあんな小さなかわいい子が死ななきゃならないの」
「そういう疑問は日々の生活の中、テレビのニュースでもひんぱんにあります。自分であろうが他人の身に起きる事であろうが故のない出来事に怒り、悲しみ、途方にくれるのは当たり前のことです」
「自分とはあまり関係のない(原因を知るすベのない)カルマも含まれていますから、それが機を得て発現したときに果たして心穏やかに受け入れるこ となどできるのでしょうか。しかしそれすらも私たちの納得づくの学びということらしいのです」
と続きまして、最後に、
「生きがいを持ち毎日毎瞬を心残りなく生きることは、今生のカルマを積まないばかりかあなた自身にとっ てどんなに素晴らしい人生になることでしょうか。その上で持ち越されたカルマによるどのような事件が 襲って来ようとも不動の心でいられたのならあなたの魂は死後も自由であることを保障されているのです」
との御教示です。
 
                                
                                
私もイルプロラシオンの時を始め、前世までに集合魂が作ってきたカルマを引き受けされられて出てきていることをこれまでの質問の御回答からいただいていますが、satsuki様に対しても質疑応答2で回答されています(後半の回答14は掲載しません)。
「回答12
虚空蔵55
satsuki様
あなたはずっと表面だけ、ポーズだけの祈りをしてこられました。
ややこしいのですが、それはあなたの「罪悪感」の裏返しとでもいうのでしようか、そういう構造になっています。実はあなたには「人を傷つけてきた」という思いより「人に傷つけられて来た」という思いのほうが強くあります。
その思いをギュと押し込めてしまって「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っているのですが、決して本心から謝っているわけではないのです。あなたの「罪悪感」とはどういうものでしようか。
あなたは自分が傷つけられたと思っている「その相手に対してのものすごい怒りを押し殺している」部分を隠している自分への罪悪感( 怒りでもある) なのです。でもあなたは救われたい、自分は悪いと思いたく
ないのです。
しかしそれでは自分を許していませんから、救われることはないのです。本来は許すも許さないもないのですが、まずは自分が悪いと思わないとどうにも先に進みません。
なぜこんな性格なのでしようか。
「エゴが強い……自分だけがという思いが強すぎる」
「しかしそこで五井先生にすがるのは、許されたいという思いも強いから」
ここまで自己中心的な思いは、どこから来ているのでしょうか。
「今生の幼少期、周りの評価と自分の評価が極端に違うという環境の中で、ちよっと屈折してしまった」
家庭環境において、お父さんやお母さんがあまり深く考えるという余裕がある方ではなかったので、何の気なしに迂闊なことや気遣いのない事をいってしまっています。
それにあなたは傷ついてしまったと思っています。そして自分がやられたように、人に対して同じようなことをしています。そういう癖がついてしまっているのです。でもそういう環境で、そういう対応しか出来なかったということもありました。
それは酌量できるのですが、でも「自分は悪くない、仕方ないでしょ」みたいなところがあります。ここがあなたのややこしい所なのですが「親がそうなのだから仕方がないでしょう」という押し殺した思いがある反面、どこかに「自分は本当はもっと出来る立派な人間なんだ」という思いも強く持っています。
ここからさらにややこしくなります。
あなたはお母さんは好きなんだけど「がさつで気遣いの出来ないみっともないお母さんは嫌い」という思いがあります。そして先ほどいいましたように「本当の私はこんなんではない」と思っていますが、ただ「親を超えるほど自分は卓越した者ではない」ということを、どこかで知っています。
それは「この血を引いているんだから」というような、何か屈折した思いになってしまっています。
このややこしい状況を脱するには祈りしかないのですが、あなたの祈りは人の幸せも自分の幸せもキッチリ願えていないのです。自分で願うことを停止してしまっています。
それは「本当の汚い自分を見たくない」という罪悪感があり、自分は願ってはいけない存在なんだと思ってしまっているのです。見ていますとこうした魂のベースは、どうも今生だけに培われたものとは思えません。
そこでその原点を探ってみました。
すると、
「どこの転生でそのカルマを作ったということではなく、連綿と魂が持ち越して来てしまっているもの」
といわれました。
この方の集合魂自体が、
「人は許したくないけど、自分だけは許してほしい」
「自分は幸せになりたいが、他は幸せになってほしくない」
そういう狭量な、ちっちゃな、ずるい魂です。
源流を見てみますと、現世的には出エジプトの時のモーゼの一派にいます。その流浪の民の中の魂です。
他の方でもありましたが、集合魂自体も「もういいかげん何とかしたい」と考えているようで、その中でもまし( ある意味優秀) なあなたが代表としてここに来ているのです。
辛い でしょうがやはり今はもう祈るしかありません。
ただ通常の世界平和の祈りではなく、
「自分が幸せになりたいんだということを、祈りに一つ付け加えたらいい」
つまり最初に「私が幸せでありますように」という行を一つ足して、その後普通の世界平和の祈りに入って下さい。
これがあなたにはとても効くようです。
ご健闘をお祈りします」
                                
私も正直大変面目ない、恥ずかしい思いをしましたが、satsuki様にとっても耳の痛い、聞きたくないと思われる文章をわざわざ引用したことをお許し下さい。
「あなたは自分が傷つけられたと思っている「その相手に対してのものすごい怒りを押し殺している」部分を隠している自分への罪悪感( 怒りでもある) なのです。でもあなたは救われたい、自分は悪いと思いたくない」という感情の原点である「今生の幼少期、周りの評価と自分の評価が極端に違うという環境の中で、ちよっと屈折してしまった」ことを生じさせた、両親の「あまり深く考えるという余裕がある方ではなかったので、何の気なしに迂闊なことや気遣いのない事をいってしまってい」たことから、いちいち想起はされないでしょうが、無数の外傷体験が記憶に集積されており、それは精神分析であれば無意識と呼ぶ領域で、現在のあなたの感情、思い、行動を規定しています。
「本当の私はこんなんではない」と思っていますが、ただ「親を超えるほど自分は卓越した者ではない」ということを、どこかで知っています。それは「この血を引いているんだから」というような、何か屈折した思いになってしまっています」とありますが、「集合魂自体も「もういいかげん何とかしたい」と考えているようで、その中でもまし( ある意味優秀) なあなたが代表としてここに来ているのです」とあるように、我々にもうあまり猶予はありません。
この御教示にいま一度向き合えば、これまで形を変えてずっと取り組んでこられた集合魂の「持ち越されたカルマ」の修正が果たされます。それを五井先生にお祈り下さい。
                                            
                                            
 
なお私のMLの友人からの助言です。               
    
スーザンさん
「私自身はくさいもの(他人の目に余る行為や見たくないもの)にフタをする(無視をして無かったことにする)無慈悲な人間ですが、実はそんな私こそがくさいものであり、この地球に閉じ込められている(フタをされている)存在であるという事実を再認識する必要があると感じました。
そして、そんな自分を認めてあげることが出来る(自分の本当にくさいところと向き合ってくれる)人間は、他の誰でもなく自分しかおらず(そのような奇特な人間は他を探してもどこにも存在しない・事実フタをされて存在しているのが良い証拠だと思われました)、人間を越えてなお人類を見守って下さる五井先生だからこそくさいもの(私)を受け止めて頂けるという僥倖を大切にしたいと思います」
                                
        
伊藤さん
「インナーワークやお祈りは、エネルギーが無いと出来ないので、
エネルギーがない状態でお金をかけてワークをしても
お金をドブに捨てるようなものだと思います。
以前の質問の時もそうでしたが、
前提事項として「何より先に休養が必要」というのがあると思います。
仕事を辞めて、休み、エネルギーをある程度溜める。
そこから始めるしかないと思います。
現状の生活体制のまま、走りながら、感情や潜在意識を変えていくというのは、
高望みが過ぎていて、不毛だと思います。
(少し言葉がキツくてすみません)」
                                
                                
黒脛巾さん
「インナーチャイルドワークと祈りの会のことは詳しくはわからないのですが
インナーワーク→潜在意識をほじくり返す
祈りの会の先生→潜在意識をほじくり返すな
で二律背反になっています。
どちらの方法も間違ってはいないのですが
同時にやることによって混乱しているようです。
お金の問題もあるので一旦インナーワークは休憩した方がいいと思います。
また、インナーワークで潜在意識をほじくり返すことや解放することはいいのですが
顕在意識と潜在意識のバランスをとることをしていないので
なんの解決にもなっていないようが気がします。
顕在意識と潜在意識のバランスは
五井先生書「愛すること」の「真の幸福をつかむ統一行」の章が参考になると思います」 
                                
                                                              
皆様どうもありがとうございました。どっぺん

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コメント: 4
  • #1

    どっぺん (日曜日, 03 10月 2021 19:43)

    投稿直後satsuki様より以下のメールをいただきました。

    メッセージ: どっぺん様

    世界人類が平和でありますように

    いつもありがとうございます。

    先日は混乱した状態で質問メールを送ってしまいました。
    申し訳ありません。
    今朝方より急速に、大分落ち着いてきました。
    心の回転方向が正常な方向に回り出したようです。
    自分が清まりたい一心の祈りから、生きとし生けるものが皆幸せでありますように、との方向に向きやすくなりました。
    祈りに繫がる皆様のお陰様で、心に秋の青空が映り、今私の実感として感じられるようになってきました。
    私にとってインナーチャイルドだとか、その考え方を使ったワークは合っていないということが分かりました。
    深くその考え方を追求するのではなく、あくまで参考程度で良かった。
    過去のことは、普通に記憶を振り返ると言った感じで良いという想いに至りました。
    ここ数年多大な混乱を経験いたしました。
    今ここでの、この年での、この仕事をしてきた私。
    その私が感じる、大気、土、水の感触、匂い、人とのかかわり合い、そこから感じる五感を通して現実感。
    不完全な私だけども、これが今の私で、そんな私が感じている今という現実。それで良いのだというところにいま落ち着いています。
    ただ、感情を抑え込む、というところに自分の癖がありますので、そこを表現していく、流していくということが学びどころと感じます。
    消えゆく姿で世界平和の祈りの奥深さと祈りによる感情の浄化。
    そこからもたらされる、人間への理解。
    反省いたします。
    ありがとうございます。

    世界人類が平和でありますように

  • #2

    スーザン (日曜日, 03 10月 2021 19:48)

    satsuki様

    とても素晴らしい文章をありがとうございます。
    私も同様に心が澄んでいくような気が致しました。

    ありがとうございます。

  • #3

    parukon (月曜日, 04 10月 2021 17:09)

    satsuki様
    私自身が脆弱なくせにくだらないプライドを捨てられないエゴと格闘中ですので、今回の質問とどっぺんさんをはじめ皆様の回答で学ばせて頂きました。
    ありがとうございました。

  • #4

    satsuki (火曜日, 05 10月 2021 23:34)

    どっぺん様、スーザン様、黒脛巾様、伊藤様ありがとうございます。
    質疑応答2の自分のところを読んでも、今までどうしたらよいのか分からず、詰まっていました。
    毎年何度か読み返しても、どうしていいのか分かりませんでした。

    どっぺん様の御指導で改めて読んでみると、少し以前と違う感じで向き合えているような気がします。祈ります。

    黒脛巾様の教えてくださった
    五井先生のご本「愛すること」の「真の幸福をつかむ統一行」の章
    を読み返しました。
    統一行とはこういうことなのかと、改めて自分のこととして読むことが出来ました。
    五井先生にお任せするしかないと改めて思い知らされました。

    伊藤様の仰るように仕事を辞めるという決断には至っていないのですが、
    回復と消耗の繰り返しの中で、何かしらそぎ落とされてきているものがあるのも感じています・・・ちょっとずつ。
    確かに苦しいし、休みたいと感じてしまいます。
    しかしまだそこを辞めるに至れないのが今の現状です。

    今はインナーワークとかはやめて、潜在意識とが顕在意識とか考えても分からないことでジタバタするのをやめて、身の回りの必要性の高いことを整理整頓して静かにやっていこうと思います。
    今回五井先生のご本を読み、祈りに溶け込ませるということがやっとちょっとあぁ~なるほどと思えました。ジタバタしてみてやっとですね。

    できるだけ、伊藤様の仰るようにエネルギーを回復することに想いを向けていこうと思います。ここは本当に大事にしたいところです。

    すぱっとやめれないのは何故かと考えると、やはり自分に自信がない、恐いのが第一で、
    それと、
    自分がやはり辞めることに納得出来ていない部分があるのだろうと思います。

    散々グダグダ言いながら働いてきました。そのグダグダの部分。

    同じ介護ですが、昨年はジタバタしにっちもさっちもいかなくなり自滅。
    混乱し、消耗し職場を昨年変えました。有給もあり、2カ月休みました。

    そこからまた一年ジタバタして、今こうして思うところは、
    仕事は好きだ嫌いだの枠を外して
    やってみろ、自己完結しないでもっと人に聴け、自分は出来ている、こんなにやっているのにと言うけれども全然出来ていない、他のために働くということが分かっていない、枠を外してやってみて、それでも駄目なら辞めたらいい、そうでなければどこに行っても同じ・・・

    確かに、稀に我を忘れて動き回る時があります。
    短い時間ですが、爽快で自然と笑顔になっていることがあります。直ぐにぶれますけれど・・・

    心が和む、休む時間を十分にとり、祈りの中から動き出すように、ちょっとずつ工夫します。
    皆さんのコメントを読みかえし、
    祈ります。

    ありがとうございます。
    世界人類が平和でありますように