· 

ヤツメカワウソさんの質問のディスカッション

 

「他人に質問をする時のエゴ」はどのように判別するのが良いでしょうか。
場違いな質問だったらすみません。
宇宙全史を読み始めたのが遅く、虚空蔵55さんが忙しそうにしていたのと、自分の質問が単なるエゴなんじゃないかと思った事から、Φの意味に関する質問をしそびれてしまいました。
結局、こうなるとΦの意味は自分で探るか、アセンション後や来世になって分かることを祈るか…
といった感じで、非常に後悔しています。
自分はこうした場において、他人に質問する、あるいは自分から話しかける時の基準がよく分かっていません。だから、エゴや礼節といった観点でなんとか基準を作ろうとするのですが、失敗してしまいます。臆病で勇気が足りないのかもしれません。
しかし、実際に何か問うてみると、急に悪い反応が来たり、対話する事を拒まれてしまう事が時々あります。
こうなると、自分の勇気や直感や意志など、消えてしまえ!と、自分の精神の在り方を根底に否定したくなってしまいます。涙や叫び声が出たり、物に当たってしまうほど苦しいです。
そのような状況が恐ろしいので、他人と関わる時は、表面的には明るくとも、内面は戦々恐々として、自分は場違いなんじゃないか、愚かなんじゃないか、エゴ剥き出しのカスなんじゃないかと、そう思っています。もっとも、その恐怖が違う失敗を招くことも多いのですが。
このように、他人の気持ちが理解できないでいるのはなぜか。先天的な原因だと考えています。
自分は発達障害だと診断されているし、10代以前のトラウマの影響、あるいは生前の選択やカルマなどが影響していると思います。
しかし、他人の気持ちをテレパシーのように理解し、慮るのは、どうも難しいです。
かといって、「自分は〇〇だから配慮してくれ」などと言うのはそれこそ無礼だと思っています。そこが悩ましいです。
自分がなるべく礼儀や責任感を持とうとしても、相手は遠慮なく、「お前は失礼だ、自己中だ、エゴだ」と言ってくるし、その当人が礼儀だの配慮だのをまっっっったく気にせず、無自覚にこちらを傷つけてくる事なんかいくらでもあります。
(↑ここは宇宙全史BBSでの質問というより、他の人々との質問での悩みかもしれません。宇宙全史BBSだと、そういうのはわざわざ言わない感じですから)
ちょっと話がズレてきたかも。
要は『宇宙全史でΦの意味を聞かなかった後悔』と『一般的に、他人に質問をする際の問題』をどうやったら解消できるのだろう、と悩んでいます。
また、この裏に
「他人への恐怖心や自他への不信感が強すぎる」「エゴを抑圧しすぎる」「自分も他人も従うような、物事の規範を求めてしまう問題(ex.エゴを無くす、責任を負う、覚悟を得る、礼儀を知り恥を知る)」
みたいな問題もありそうですが、手に負えません。
同じ失敗はしたくないです。でも、どうフィードバックすれば良い判断ができるのか、分かりません。
どうかどっぺんさんの助言を頂きたいです。よろしくお願いします。
一応補足させてください。
他人に期待を抱き、裏切られるとショックを受けるのはエゴであり情だと思うのですが、これを滅却することができません。
他人がどんな人間でどんな反応をするか分からない以上、人と関わる事自体が「期待をすること」であり、「失礼・恥・罪・愚かな行為を自分からやる事」なのだと考えてしまうんです。
しかし、人と関わる、人に頼る、人に聞く、そういう事ができなくなると、かえって自分のエゴや問題が混乱していくので、どう解決するか悩んでいます。
p.s.
最近、五井先生の著書を読むようになりました。優しい雰囲気が好きです。
宇宙全史の教えを活かす事が難しく、今は少し距離を置いているのですが、代わりに、五井先生の教えも勉強してみようと思いました。
                                          ヤツメカワウソ様
                                          いつも大変深くお考えの上での御質問をいただいて、どうもありがとうございます。
ヤツメカワウソさんが、お悩みになっている問題ですが、おっしゃる『発達障害」の状態をもっと俯瞰して理解し、今手に負えなくなっている状況を改善するというアプローチがうまくいくのは難しいと思います。ちょっと一緒に考えてみましょう。
何かたたき台になる役に立つヒントがないか探してみましたら、2012/11/10 No.237の御教示が目に止まりました。
まずこれをお読みいただいて、どうお感じになるか返信をお願いします。
                                                      
       2012/11/10 No.237
地球界における覚醒・解脱・卒業の在り様⑤
まずYOUさんのお話から
芸能人のYOUさんという女性がおられますが、彼女はお子さんを産んでからもわりあい自由奔放な生き方をしておられるようだと思い少し調べてみました。
すると今回の「子供を産むことによるエネルギー問題」・・つまり子供を産むことでエネルギーをとられてしまうという在り様から離脱しているわけではなかったのです。
彼女もやはりエネルギーをなくしていました。
しかもその生き方は「自由奔放」というよりは、もう少し「自堕落」に近いものでした(そこまでではないのですが)。
しかし見た目はとてもエネルギッシュで生き生きと輝いて見えます。
それは決してテレビの画面上だけではないのですが、それでは一体どこからそんなエネルギーが湧いてきているのでしょうか。
調べてみますとそのエネルギーは何と彼女のお子様から来ていたのです。
実は彼女のお子様は非常に段階の高い方で、以前ここで何度も出てきましたが、人類の14%のさらに6%のさらにまたその1%(人類の実数でいいますと現状では約60万人)に入る方だったのです。
最初の人類の14%というくくりは、現段階で覚醒の可能性を有している方たちです。
その6%が何とか覚醒できるだろうという段階で、さらにその1%は覚醒すれば、それぞれの分野で人類を導いていくべきエネルギーを有している方たちです。
その人類の指導者になる段階のお子様から彼女はエネルギーをもらっています。
何故なのでしょうか・・
その子は、彼女のことをすごく心配しているのです。
「危なっかしくて見ていられない」
「放っておけない」
いつもそう思っています。
だからエネルギーを彼女に与えているのです。
そして彼女にエネルギーを与えていなければ、彼はやがて人類の偉大な指導者として立つこともできるのですが、このままではどうもそうはならないようです。
しかしそれも彼女と彼の宿命で、彼女の今回の生は「刈取り(ご褒美)」の生で、彼は彼女をフォローするように宿命づけられています。
つまりそういう関係性を持つ前世があったということですが、それに関しましてはまた別のお話になります。
子供を産んでしまうとその両親はそれぞれ子供に特殊なエネルギーを与えるシステムになっていますが、その例外としてYOUさんのお話をするつもりでしたが、結局彼女もこのシステムの渦中にあったのです。
しかし実に稀ではあるのですが例外は確かに存在しています。
そういう親は一定の型にはまる生き方ではなく、それぞれの場所でそれぞれの有り様でこのシステムから離脱しているのです。
本当はその具体例を書くといいのですが、それはまた別な機会にいたします。
しかし見た目はバラバラでも彼らの共通項はあるのです。
それは、
①やさしい(放縦に流されない丁寧さ)
②忍耐力がある(待つことを知る・機会を失わない忍耐を知っている)
③非情である(冷酷にならない平静さ)
④狡猾である(残忍にならない明晰性)
この4つはドン・ファンが提唱する「戦士」の条件ですが、それをクリアしているのが離脱している親の共通項といえば共通項です。
それに反してエネルギーをなくし、子供に愛着を持つ親は、
①やさしくない
②忍耐力がない
③情に流される
④酷薄になれる(裏切られたと思い込み深い復讐の念を持つ)
一般的に③と④は「人間的」といわれている形質でもあります。
愛情や愛着という一種の執着を持つ人々は、それが裏切られると思うとたちまち豹変して「残忍」にもなれますし「酷薄」「冷酷」にもなってしまいます。
その残忍性は「愛着」の度合いに比例します。
つまり愛着(執着)が強ければ強いほど、裏切られたと思うときにはその反動として強力な復讐心が湧いてくるのです。
私が以前からよく申し上げています「情の深い人ほど冷酷になれる」「非情な人が本当はやさしい」ということがここにあります。
3と4は情(執着から派生する感情の一種)という一般的に「人間的」といわれている形質ですが、この情に「自己憐憫」が絡むことで、さらにその効果は加速されていきます。
「自己憐憫」は人類の最大の敵であり、エゴの中心に位置する最強の暴君でもあるのです。
「私はよくやっている」
「自分を認めてほしい」
「なぜ自分だけほめてくれないのか」
「私にだけ挨拶をしてくれない」
「ぞんざいに扱われた」
「私だけが苦しんでいる」
「もっといい思いをしたい」
「もっといい容姿に生まれたかった」
「もっといい子がほしかった」
「どうして私にこんなバカな子供が生まれたのか」
「本当はこんな人生ではないはず」
そこには「感謝」がないのです。
生かされてあるということ、日々の当り前に、ただそれだけのことを感謝できないのです。
私たちは過去生からの因縁で生まれ、生き、死ぬということを繰り返していきます。
今自分の前に現れている現実は、すべて自分が招いたものだということがわからないからそう思ってしまうのです(つまり今眼前に現れている現実は、自分が招いたものである。そしてそれは今解消すべき時として、縁あってこうして現れているのであるから、学びとして受け止め精一杯の努力で受け止め解消していくということ)。
その形は私たちが「学習」すべき最も効率的なシステムにもなっています。
早くさっさと学ぶべきことを学んで次の段階にいけば、もっと軽い生が待っているのですが、それに足枷を強力につけているのが「自己憐憫」というエゴなのです。
「学ぶべきことを学ぶ」とはまず眼前の現実を受け入れるというところから始まります。
それがなければ(つまり試験用紙を受け取るということですが)そもそも試験は始まらないのですが、大概の方はこの段階で挫折してしまいます。
現実を受け止めないのです。
「何かもっといい世界がどこかにあるはずだ」
「自分にはいつかきっと王子様が現れて抱っこされてお姫様になる」
「現実がダメなら精神世界で・・」
「こんなに苦しんでいるのは、きっと自分には救世のお役目があるに違いない」
だから皆さん様々な詐欺や怪しげな精神世界、宗教団体に簡単に引かかってしまうのです。
しかい現実を受け止めると申しましても、ただ受け止めそこから何の努力もしないというのはまたちょっと違います。
全身全霊でやるべきことをやって、その結果をすべて真摯に受け止める・・それが本来あるべき私たちの姿なのです。
さてそれではなぜこれほど人類にとって重要なカラクリ(子供にエネルギーをとられるということですが)を仏陀は説かなかったのでしょうか。
そこからの離脱の仕方は説いておられましたが、その因となるこのシステムについては言及しておられません。
さらにやがて明らかにされますが、もっと根源的な、もっとおぞましいシステムが私たち人類には枷として課せられているのです。
それについても仏陀はもちろん(ドン・ファンたち以外は)全く触れていないのです。
インドの聖者たちも西洋の覚者たちも、中国や日本の覚醒者も言及していません。
何故でしょうか・・
その答えは、
「教えても仕方がない」
というものでした。
みもふたもないいい方ですが、仏陀からしますと、
「その中で学ぶこと」
「その中でしか学べない魂だから」
ということなのです。
地球界という場所はそういうところなのです。
だからそこからの離脱ということは教えてくださいますが、その意味やそのからくりは「教えても無駄」という感覚なのでしょうか。
実際にカスタネダはその著書の中で、ドン・ファンの教えとしてこうした多くの秘密を明かしていますが、カスタネダを注目する多くの人たちでさえ誰もそこにはフォーカスしていないのです。
それはフォーカスしていないというよりは、フォーカスできない・・そこにピントを合わせることが出来ないというのが正確なところなのでしょう。
このカラクリを見るには、人類の地平から一段高いところから俯瞰しないと見ることはできません。
そして例え見ることが出来ても(教えられても)それが何を意味するのかが分からないのです。
仏陀の教えは今回の文明の集大成ですが、それは「今の人類というカテゴリーの中での教え」なのです。
つまり手枷足枷がある中での人類の進化という限られた教えではあったのです。
もちろん仏陀は遥かに超越した法を説くことも出来ました。
しかしあえてそれをしておられません。
それは仏陀が今の地球という舞台の範囲で人類がやるべきことを説くということに専念されているからです。
しかし私はまた別な存在なのです。
私は本来あまり人類というものにフォーカスしていません。
私の集合魂はそれでも地球界における妖怪たちの指導(あるいはもっと包括的に裏の存在達の指導)という役目を持ってはいましたが、私は特殊な造られ方をした存在ですので、あまりそうしたことに縛られない在り様になっています。
ここでNo1596のふぁるこんパンチ様への回答となります。
私は五井先生の弟子ですし、その教えこそが人類成道への大きなカギになると知っています。
でも私の視点はまた別なところにあるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「そんな知識や経験が不足すぎる私が、人様にとやかく偉そうなことは言ってはいけないと自覚してますが一言だけ発言させて頂きます。
>それともこのまま地球も人類も流されるままに滅亡に向かっていくのでしょうか
知識や経験の量や質を見るに同列とはとても申し得ませんが、お互い何があろうとも五井先生より学ぶもの同士”祈りの力”を信じようではありませんか!
これまでも何度も祈りの力で世界を破滅の危機から救って頂いた”救世の大光明”の方々の奇跡を今後も信じようではありませんか!
「世界人類が平和でありますように」
これこそが五井先生の本願だと確信した以上、私のような凡夫はただその船に乗り、ひたすら世界が平和であることを信じ続けたいと宣言いたします」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
世界中のどこの誰よりも五井先生の世界平和の祈りの力を私は知っています。
だからこそ皆様にお伝えしているのですが、何度も申し上げますが私の立場はまた別なところにあるのです。
私とみわは、上の方々の御指導で地球の負荷を解消する方向で頂いております。
しかしそれは(あくまでも私の感覚なのですが)「人類を救う」とか「地球を大アセンションに導く」というニュアンスではなく、ギリギリのところで人類が学びを得ることが出来るであろう舞台(世界)を残すための微調整という感じがしています。
(これも私の感覚なのですが)月読の大神ほどの存在なら、いとも簡単に人類くらい覚醒させるのは朝飯前なのです。
それをあえてなさらないで「学び」という進化にとっては必然のファクターを与えているというのは、どこまでも人類自らが進化という道筋を見つけ、歩んでいくことを望まれているからなのです。
仏陀や五井先生は「超」お節介屋さんです。
以前書きましたが、その慈悲は月読の大神が呆れてしまうほどのものでした。
私はそうではないのです。
仏陀や五井先生は本当に心底あなた方のことを考えておられます。
しかし私はハッキリ申しあげてどうでもいいのです。
人類が滅びようが生き残ろうが知ったことではないのです。
それは人類の問題なのです。
そして今、先ほど書いた14%のカテゴリーに入らない人々・・・86%の人たちがこの地球の命運を握っています。
この方たちが変わらない限り、人類の進化は難しいのです。
日本はもちろん世界中を見渡しても、その行く末はほぼ絶望的ですが、それでも月読の大神は「そう捨てたものではないよ」とも仰っておられます。
しかしそこには「世界平和の祈り」という五井先生のメソッドが必須だということもまた事実なのです。
果たしてどこまで人類は世界平和の祈りを受け止めることが出来るでしょうか。
ご指摘のように、私のスタンスはこういう言い方に現れています。
人類が覚醒するかどうかは皆さんの問題なのです。
だから五井先生の教えを勉強して、世界平和の祈りにかけるしかないのですが、それはもう全身全霊で行い、信じきるしかないのです。
私やみわは初めから申し上げておりますように救世主などというものではありません。
皆様方が世界平和の祈りを信じ切って一心に祈ることこそが、まさに皆様方を救うことであり、世界をそのまま成道させることにもなるのです。
今は86%の人々に、ニサルガの実存がどうのとか、ドン・ファンの戦士の道などを説いてもあまり意味がないのです(やはり段階を経ないと理解できないということがあります)。
もちろん私はこれからもニサルガとの対談やお約束しているカスタネダとの対話という本を書いていくでしょう。
しかしそれはあくまでも14%の方たちの覚醒のためであり、人類を導いていこうとする60万人の中にいる崇高な使命を持った方たちへのメッセージとなるものなのです。
私もみわもこのワークが終われば、一陣の風が巻き起こす道端の埃のように消えていきます(みわの方が私よりも少し先に行くようですが・みわというよりアンドロメダといった方が正確でしょうか)。
私たちのワークは来るべき人類の新たなる世界の礎となるべく定められています。
皆様の運命は皆様が選ぶのです
虚空蔵55
ふぁるこんパンチ様への回答に五井先生がお答えになった内容は、大体上に私が書いたようなことなのですが、五井先生はそのような長い文言はおっしゃらずに「自分に清廉潔白でありなさい」と短く断じてあられます。
それは「あなた」はあなた、「虚空蔵55」には虚空蔵55の使命があり、それぞれにそれぞれの「言うこと」と「行為」にブレのない「清廉潔白さ」をもって事に当たりなさいということだったのです。
世界平和の祈りは、簡単なようで奥の深いメソッドです。
どこまであなたはあなたの生活の中で、信じ切ってやりきっていると五井先生の前で表明できるでしょうか。
がんばって下さい
                                          以上です。ヤツメカワウソさんのご返信も他の皆様からのご意見もお待ちしています。よろしくお願い致します。どっぺん

コメントをお書きください

コメント: 12
  • #1

    どっぺん (土曜日, 08 1月 2022 17:27)

    自己憐憫が私にとってキーワードです。

  • #2

    アキラ (土曜日, 08 1月 2022 22:21)

    読みました。

    「恐怖心 不信感」「エゴを抑圧しすぎる」「自分も他人も従うような、物事の規範を求めてしまう」「後悔」

    宇宙全史を学ばれておられるのですから、エゴに対する認識を改善するのが良いのではないでしょうか。恐怖心、不信感、エゴを抑圧しているそれ、規範を求めるそれ。これらはエゴであるため、エゴとは何か?という事を学ばれると良いでしょう。

    エゴが薄いとそもそも後悔や葛藤をあまり感じません。つまり感じている時点でエゴの厚みがあるということです。それを認識すること(距離をとること)が大切です。

    ”質問ができない”のが今のあなたなのですから、まずは『ああ、自分は質問ができないな』と認識することが大切です。そこを平常心で対処することが出来れば、次の展開も開けてくると思います。

    技術的にどうやればそのエゴから分離できるのかと言うのは、やはりお祈りが一番ではないでしょうか。それ以上に効率の良い方法は私は知りません。

  • #3

    スーザン (日曜日, 09 1月 2022 01:53)

    ヤツメカワウソさん

    ご質問とどっぺんさん・アキラさんのご回答を拝見しました。ヤツメカワウソさんのご質問を読ませて頂きながら、まるで私のことのように感じました。

    と言いますのも、私も同じく他人に質問する、あるいは自分から話しかける時の基準がよく分かりませんし、宇宙全史でΦの意味を聞かなかった後悔を持ってしまっているからです。

    このようなことから察するに、多分、ヤツメカワウソさんに「お前は失礼だ、自己中だ、エゴだ」と言ってくる、礼儀知らずのその方も、私も、そしてヤツメカワウソさんも大体似たり寄ったりの「エゴ剥き出しのカス」なのではないかと思います。

    だから、自分がそうであるように、やはり他人も期待したほどの人格者ではありませんし、こちらの気持ちをテレパシーのように理解し、慮れるほどの器でもないということなのだと思います。

    しかしながら、ヤツメカワウソさんご自身は(ご質問の中で仰っておられるように)、そのような自らの至らなさに目を向けておらます。

    そして、ご質問で触れておられますように、宇宙全史では五井先生のお祈りを教えて頂いております。

    日々一生懸命生きていますと、自らの現状を浮き彫りにさせられるような様々な軋轢(カルマ)が生じてきますが、そのような時には、ヤツメカワウソさんと同じような悩みを抱えている者として、私は、どっぺんさんやアキラさんのご回答にあるように、その痛みや悲しみをそっとお祈りに溶け込ませられるよう練習していくのが良いのではないかと思います。

    宇宙全史ではエゴというのは、自分のダメな部分だけをいうのではなく、「自分そのものがエゴなのである」と教えて頂いていたと記憶していおります。

    したがいまして、発達障害だと診断されているヤツメカワウソさんも、10代以前のトラウマの影響があるヤツメカワウソさんも、あるいは生前の選択やカルマなどが影響しているであろうヤツメカワウソさんも、他人の気持ちをテレパシーのように理解し、慮るのは、どうも難しいと感じておられるヤツメカワウソさんも、「自分は〇〇だから配慮してくれ」などと言うのはそれこそ無礼だと思っておられるヤツメカワウソさんも全てがエゴであるということになります。

    長年宇宙全史で学ばせて頂き、五井先生のお祈りとは、そのようなエゴ(私自身)を丸ごと受け止めて下さり、その上で最善の道を指し示して下さるものだと感じております。

    悩み深きときこそ、信じるべきはそこではないでしょうか。

  • #4

    黒脛巾 (月曜日, 10 1月 2022 09:28)

    ヤツメカワウソさん、こんにちは

    相手に話しかけるとき失敗を恐れているとのことですが
    例えば宇宙全史で覚者と言われている人たちや虚空蔵55氏は
    必要なら人にどう思われようとも言いたいことを言っているように見えます。
    彼らはそれが原因で仲がこじれようとも言い切っています。
    成功・失敗の二元に囚われていないとも言えますが
    単に彼らの度量が大きいのでしょう。

    ヤツメカワウソさんも度量が大きくなればいいのですが
    当然ですがそう簡単にはいきません。
    気になる点は
    >自分がなるべく礼儀や責任感を持とうとしても、相手は遠慮なく、「お前は失
    >礼だ、自己中だ、エゴだ」と言ってくるし、その当人が礼儀だの配慮だのをま
    >っっっったく気にせず、無自覚にこちらを傷つけてくる事なんかいくらでもあります。
    の箇所で
    要は人にあれこれ言われて反応してしまう点にあると思います。

    以前、虚空蔵55氏が「禍福は糾える縄の如し」の話をしていました
    >簡単に言ってしまいますと「いい事も悪い事もその現れは絡み合い、混じり合って、交互に
    >やって来るんだよ」てな感じです。
    この世は表裏一体で失敗がなければ成功はなく
    悪い事がなければいい事もないようなものです。
    失敗やひどい事を言われることは嫌なことですが
    やはりそれらを受け入れるしかないのだと思います。
    一気にそれらを受け入れるのは当然できないことですがら
    少しずつならしていくしかないです。

  • #5

    ヤツメカワウソ (火曜日, 11 1月 2022 02:24)

    皆さんありがとうございます。
    読んでみた感想としては「お祈りをして、エゴを薄くする」というのがやはり重要なのかな、と感じました。他のご意見も参考にさせていただきます。

    また、どっぺんさんが引用してくれた「自己憐憫」「ただ生かされている事への感謝がない有り様」についても思うところがあります。

  • #6

    ヤツメカワウソ (火曜日, 11 1月 2022 20:24)

    黒脛巾さんの言うように、他人にあれこれ言われて反応してしまう点も問題ですね。今は未熟ですが、少しずつ度量を大きくしていきたいです。

  • #7

    ヤツメカワウソ (火曜日, 11 1月 2022 21:10)

    自分は、自己憐憫に関する事柄が、まるで数学の授業を聞く落ちこぼれのように理解できません(ちなみに覚悟とか良心の話もそうです)。

    『このカラクリを見るには、人類の地平から一段高いところから俯瞰しないと見ることはできません』
    という言葉の通りなんでしょう。
    今回は「ただ今生かされているという感謝があるかないか」「親子の関係」という観点から考えてみます。

    僕は現在、死んでも死にかけてもいない状態です。でも、「今すぐ死んでしまったらどうしよう」「『ただ』では生かされていない」といった、恐怖や焦燥感のような感覚を持っている事が多いです。
    その感覚の中では、生への感謝どころか、生の実感さえ麻痺してしまいます。

    その原因を辿るとすれば、幼少期の出来事でしょうか。今は縁が切れているのに、親の暴言・暴力を日常的に想起しています。また、教師や医者など、その他の大人の事も想起し(既にそれなりの自由を得ているのに)、首輪のついたような感触がずっと離れません。
    (『20年後世界人口は半分になる』でいう、幻肢痛のような状態に似ていると思います)

    現世の因縁だけで言えば、親の育て方や自己憐憫を、自分の生き方としてトレースしてしまったのでしょう。それを修正していくのは自分の責任ですし、自己憐憫に囚われるくらいなら心の余裕を持った方が良いんでしょうね。

    ところで、親のエネルギー(育て方がの問題や、自己憐憫が恐ろしいのは、それが親から子へ、人から人へと移っていくからだと思いました。

    しかし「戦士の生き方」は容易くマスターできるものでもないので、仏陀はその話を明かさなかったのでしょうね。現に、自分がそういう生き方を学ぼうとして、逆に混乱を深めていますから。

  • #8

    ヤツメカワウソ (火曜日, 11 1月 2022 21:15)

    何かまとめ的な言葉を書こうかと思ったのですが、ちょっとやめておきます。
    せっかく本も買ったので、世界平和の祈りをして、五井先生に委ねようかと思います。

  • #9

    ヤツメカワウソ (水曜日, 12 1月 2022 03:21)

    宇宙全史への質問という点でいえば、宇宙全史に関する執着や依存というのを薄める事も必要なんじゃないかと考えてみます。
    虚空蔵55さんに迷惑がられたら嫌だな…でも質問したいな…といった葛藤は、そもそも宇宙全史に執着がなければ浮かんでこないような気がします。
    その他の、宗教や道徳に関する執着もよくない。
    過去生や集合魂が宗教的なカルマを持っていて、それが影響している場合もあると思います(自分がそうらしいです)。

    幸い、Φやプレアデスの情報を知らなくても生死には関わりないので、そこを気にせず「生かされてる感謝」に目を向けようかと思います。
    ありがとうございました。

  • #10

    ヤツメカワウソ (水曜日, 12 1月 2022 17:51)

    他にもご意見のある方がいたら、書き込んで頂けると助かります。

  • #11

    どっぺん (金曜日, 14 1月 2022 09:02)

    祈ることにより、我々のカルマの解消に導かれていきます。
    それは我々のエゴにとって、一番良い形で展開していきます。
    五井先生に全てをあずかっていただいて、失意も落胆もそのためのものと受け止め、気持ちを整えていくことに一緒に取り組みましょう。
    私が最初の頃にいただいた御教示です。
    「仏陀の教えの真髄は......これは長くなりそうだなあ......と思案しておりましたら、即座に「祈りだよ」と
    いうお答えがありました。直接ではないにしろあれだけの経典が残っている仏教ですので、仏陀はさぞかし 論理的に広く深い教説を施されたのだと思っておりましたが、
    「確かに仏陀が説かれた教えは広大な範囲に及んでいるが、その真髄は祈りだよ」
    これを教えてくださったのは、当時仏陀の一香近くにおられたアナンであった五井先生でした。
    「それは慈悲という祈り」
    大変でしようがどっぺん様ご健闘をお祈りします」
    感動いたしました。ヤツメカワウソ様ご健闘をお祈りします。

  • #12

    ヤツメカワウソ (金曜日, 14 1月 2022 16:42)

    >祈ることにより、我々のカルマの解消に導かれていきます。
    >それは我々のエゴにとって、一番良い形で展開していきます。
    >五井先生に全てをあずかっていただいて、失意も落胆もそのためのものと受け止め、気持ちを整えていくことに一緒に取り組みましょう。

    >仏陀の教えの真髄は「慈悲という祈り」

    ありがとうございます。精進します。