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ヤツメカワウソさんからの質問

                                   「何かを滅ぼしたいと本気で思うほどの怒り、恨み、憎しみをどうやって解消したら良いでしょうか。20年後の世界には生き残りたいですが、日本を滅ぼしたい気持ちと、自分がどれだけ頑張っても自分とは関係のない出来事に翻弄され、消されてしまうという気持ちでいっぱいです。
また、世界平和が叶っても、個人的な願望や幸せを叶えることは絶対できないんじゃないかと考えてしまいます。」                                       
                                    ヤツメカワウソさん ご質問どうもありがとうございました。
                                  「怒り、恨み、憎しみを覚えることは、形成されるエゴに大きな影響を与えます。ヤツメカワウソさんの集合魂が、今回ヤツメカワウソさんに託した悲願が達成されるために用意された環境、生まれた家族をはじめ、出会った人々との人間関係で味わった感情から、自分を守るように、嫌な感情に巻き込まれないように、様々な対応を育てて行く過程で、記憶の中に許せないことがたまっていきます。
                                   「何を滅ぼさなければならないのでしょうか。自分の感情に振り回されているのは誰なのでしょうか。
                                   「生き残る自分が滅ばされないために何が必要になるのでしょうか。日本を滅ぼしたい気持ちは、自分とは関係ない出来事に翻弄されて、消されてしまう自分を守ることと関係があるのでしょうか。
                                  「五井先生が授けられた世界平和の祈りの先に、ヤツメカワウソさんが、個人的な幸せや願望をお求めになるのは何故ですか。その個人とは誰ですか。
 
「ヤツメカワウソさん 本当に守らなければならないものというものは、この世にあるのでしょうか。ヤツメカワウソさんの集合魂が、全うさせようとしている天命はどこにあるのでしょうか。それをお考えになるることが今とても大切なことだと思います。
 
「スーザンさんが数学で達成されようとしておられるように、あなたも自分の全てを表現する分野をお持ちです。
                                  「ヤツメカワウソさん 楽しみにしています」  どっぺん

 

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コメント: 22
  • #1

    ヤツメカワウソ (土曜日, 16 4月 2022 03:12)

    >「何を滅ぼさなければならないのでしょうか。自分の感情に振り回されているのは誰なのでしょうか。

    滅ぼさないといけないもの…世界、社会、日本、そこに住む人。言い換えると、自分の敵かもしれない人。隠れた脅威。

    自分の感情に振り回されている人…自分と、自分の周りにいる人。自分の感情が他人を振り回し、かえって自分を害する。

                                       >「生き残る自分が滅ばされないために何が必要になるのでしょうか。

    自分が滅ぼされないために必要なこと…

    宇宙全史的には、自分の陰糸度(滅びたさ・滅ぼしたさ)やエゴを薄めること、奪ったものを返すこと。世界が反転し、自由で努力の報われる、世界平和が実現できるような世界になっていると気づくこと。自由に生きていいと気づくこと。良心を基準に、心ある道を歩む事(覚悟)。

    これらの事柄だと思っています。


    自分としては、自分に襲いかかってくる様々な脅威をどうにかしないと、その脅威に滅ぼされてしまう気がします。

    例えば、身の回りの人々、その周りの社会、国、世界。僕が平和を望んだり、暴力よりコミュニケーションに拘ったり、この国の一員として生きていても関係ありません。しかも、そういった脅威の多くは、自分の事を平和主義者だと思っているし、そういうふうに振る舞っている。彼らは自身の行動を正当化するために、家、組織、社会、国といった根拠を持ち出す。

    また、僕は周囲のあらゆる人々が信用できないし、ポジティブな未来や自分の持つ可能性やら才能やらも信じられないです。信頼と期待をはき違えているのかもしれないですが、「これが正しいのかな」と思っていた事は簡単に覆ります。すると「何かが正しいと信じて行動すること自体が間違いで、全ては浅はかな期待だったのではないか」と思ってしまうんです。

    ギリギリ正気なのは、太陽が急に落ちてきたり、床が急に沈みこんだりしないからです。でも、後者は本当に起きるかもしれない。そういう恐怖を人やモノや世界に対して常日頃感じてしまいます。


    >日本を滅ぼしたい気持ちは、自分とは関係ない出来事に翻弄されて、消されてしまう自分を守ることと関係があるのでしょうか。

    一応関係あります。
    でも、ちょっと書きづらいので後回しにさせてください。
                                      「五井先生が授けられた世界平和の祈りの先に、ヤツメカワウソさんが、個人的な幸せや願望をお求めになるのは何故ですか。その個人とは誰ですか。

    この世界の中に自分が含まれていないと感じるからです。また、「それはあなたのエゴにすぎません」と、誰かに言われたら吹き飛んでしまうほどの欲望や願望しか持っていない気がするからです。自分の天命に関する事さえ、どこからどこまでが自分のやりたい事なのか分かりません。義務感に駆られる気持ちとマイペースにやりたい気持ちの板挟みになって、常に混乱しています。

     
    >「ヤツメカワウソさん 本当に守らなければならないものというものは、この世にあるのでしょうか。ヤツメカワウソさんの集合魂が、全うさせようとしている天命はどこにあるのでしょうか。それをお考えになるることが今とても大切なことだと思います。

    本当に守らないといけないものが何なのかは知りませんが、今は自分の心を守りたいです。

    集合魂が自分の仲間のようには思えないし、どんな行動が集合魂の望みに沿っているのか分からない。集合魂からエネルギーを取られたり、攻撃(?)を受けた事もある。そもそも集合魂に直接アクセスできる能力がないのでよく分からないです。

    天命は学問と芸術に関わるものだと思っています。詳しい事は分かりませんが。

     
    >「スーザンさんが数学で達成されようとしておられるように、あなたも自分の全てを表現する分野をお持ちです。
                                      >「ヤツメカワウソさん 楽しみにしています」  どっぺん

    ありがとうございます。

  • #2

    ヤツメカワウソ (土曜日, 16 4月 2022 18:26)

    どう語れば良いのか分からないので、どっぺんさんの返事を待ちます。

    一応お祈りは続けているのですが… 周囲にいて僕を支援したり応援してくれる人々や、目に見えない存在さえ信じられなくなっています。彼らを信じる事はただの期待で、うすっぺらい、愚かな情なんじゃないか。彼らが急に裏切るんじゃないかと。


    そういえば、生前の五井先生が「恥を知る、という古い日本人の生き方が失われてしまったこと」について残念がっていたと、宇宙全史のどこかに書いてありました。

    僕はその時代の事など分かりませんし、「恥」というと「恥ずべき事だから隠蔽する」「失敗や間違いを犯した者に対して過剰なまでに攻撃をする(怒鳴る、殴る)」といった、非常に悪どい日本人の様がいくらでも思い浮かびます。怒りではち切れそうです。

    そんな奴はアメリカにも中国にも居るでしょうが、生まれ育ったのが日本だから、そういう悪どいやり方が日本人の文化なのだと感じてしまいます。また、一挙一動を「これは恥ずべき事かもしれない」と思いながら行動していると苦痛でいっぱいになります。

    五井先生の考え方については僕よりどっぺんさんの方が詳しそうですので、ぜひお聞きしたいです。おそらく、僕の想像する「恥を知る」と五井先生のいう「恥を知る」は何かが違うんじゃないかと思います。

  • #3

    どっぺん (月曜日, 18 4月 2022 17:19)

    「自分の敵かもしれない人。隠れた脅威」を滅ぼすことは非常に難しいというか不可能です。
    我々は、時と場合によっては信用できなくなる可能性を持った人々と日々つきあっており、信用できる人など自分も含めてどこにもいないのが現実であり、あらゆる周囲の人間が敵に回る可能性があり、それを滅ぼすことは不可能で、だから自分を滅ぼす選択をする人が多いのが実情です。

    たとえ戦士として生きるところまでいかなくても、ポジティブに生きるやり方をみつけなければ、不安と絶望の中に閉じ込められてしまいます。

    と書いていて、どうお答えしていいか迷っていましたら、次の御教示に至りました。

    宇宙全史 質疑応答15のp21です。

    自分の魂が元ダマに吸収されていくということに恐怖を感じています


     「この恐怖は人のエゴにとりまして、根源的な意味を持ちます。
     つまりエゴが吸収され、自分が消えてしまうのではないかという恐怖をそこに見るからおびえているのです。
     この事実をよく見て行きますと「エゴが恐怖している」のであって、あなたではないのです。
     ですからあなたがエゴを落としていけばいくほど、その恐怖は薄くなっていきます( あるいはエゴの恐怖
    を自分のものと感じなくなっていきます) 。
     つまり、まずはあなたの本体とエゴを分離する( 違うものであるという事を検証する) ということから始
    めなければなりません。
     通常その検証は瞑想で行われるものですが、瞑想が無理な方には他の方法も存在しています

     それは「愛」で見分けていくということをします。
     エゴには同情や執着という感情はありますが「愛」は存在していません。
     (ちなみに恋というカテゴリーはエゴに所属します)
     そのため「愛」の道を選択することにより、自動的にエゴのない世界に到達します。
     その場合「愛」が主体を持ちますので、そこにエゴの持つ「恐怖」は存在しないのです。
     この道の方がはるかに楽ですし、早いのですが、そこまでの純粋な「愛」を見出すことが出来る方が果た
    しておられるかどうかという事です。
     逆に今の人類にとってこの「愛」の道の方が、はるかに困難なものになってしまっているのかもしれません。

    「愛」の道とはドン. ファンのいうところの「心ある道」でもあるのです。」

    宇宙全史 質疑応答15のp3です。

    「しかし、愛は精神に基づいているため、始まりもなく終わりもありません。
    また本来の愛は何ものにも基づかないため、不可触であり、普遍性をも持ち合わせています。
    それ故愛に基づく行動によってカルマが生じることはなく、愛の行為こそ真に隣人を助けることになります。
    しかしながら愛は精神に基づくと書きましたように、現象界においては、私たちの精神に応じた顕現をしま
    す。本来そうではないのですが、地球界においてはそういう形をとらざるを得ないというのもやむを得ない
    ところです。
    だからこそ余計に私たちは、真の愛を顕現させるため、エゴを薄め、自らの精神スピリッツを浄化させていかねばなら
    ないのです。

    地上界において、その愛の本来の姿を顕現させようとしますと確かに難しいのですが、腹( 丹田) を養うこ
    とで容易になって来ます。
    丹田を作っていきますと、次第に受容キャパが増していき、性格的には「寛容」という状態が養われ、また
    物事に動じなくなる「平静さ」も同時に根づいていくようになります。
    それはまさに本当の愛を地上界に降ろすときに必要な条件で、他人との相違に基づく確執や差別意識( 例え
    ば人種差別とか) などの狭小意識を解き放ち、社会通念による思い込み、一般的な常識とされる根拠のない
    決まり事などに囚われない平静さがあって初めて本来の愛をこの世界にもたらすことが出来るのです。
    また自己憐憫やその裏返しの同情という偽善にも気づくようになり、「俯瞰して自らを省みる」ということ
    が次第に可能となっていきます。」

    いかがでしょうか。

  • #4

    ヤツメカワウソ (火曜日, 19 4月 2022 20:37)

    ありがとうございます。
    自分の生活を見直してみようかと思います…

    >たとえ戦士として生きるところまでいかなくても、ポジティブに生きるやり方をみつけなければ、不安と絶望の中に閉じ込められてしまいます。

    確かに、エゴではなく愛を基準にして生きた方が良さそうです。

  • #5

    ヤツメカワウソ (木曜日, 21 4月 2022 06:20)

    たまたまですが、愛に関する話をネットで読みました。曰く、母親が赤子を愛するのは、自分を愛するも同然ではないかと(なぜなら、父の要素は精子一個分で、物体としては母の栄養でできているから)。それを見て、「愛は人々が一つのものだった名残」という五井先生の話を思い出しました。

    また、他者との関わりにおいて「当然」の如く思われていたことに価値を見出し、感謝するという愛もあると書かれており、ちょっと考えさせられました。例えば、赤子は欲しいものがすぐに手に入りますが、それは当然ではないのだと。

    世界、国、社会、家族、色々ありますが、自分とまったく別ではない他者に対して「あれはオレとは全く別の存在で、理解も共存も愛も平和も成り立たないんだ」という考え方をし過ぎていたかもしれません。

    それらは自分より大きなくくりですし、自分を生み出した存在です。ですが、自分が生み出した存在……つまり、自分の作品や、自分の行動に対する結果、自分の心の動きなどに対しても、僕は恐怖を向け、「条件付きの愛」(宇宙全史的には情や邪悪さ、差別意識など?)を向けていた気がします。

    しかも、そこには「当然のようなものが実は有り難いものだった」という感謝の念がありませんでした。逆に「当然のようなものが急に無くなってしまう」という凄まじい恐怖の念に包まれていました。そのため、自分の周囲にあるものや内面に浮かんだほぼ全てのものを「自分の本質とはまったく違う、自分を脅かす恐るべき存在」として認識していたようです。

    ところで、EO氏の提唱した自我復元では、家庭や社会、さらには前世などのトラウマを解消する作業が含まれていますが、その先には全自我をも超えて『悟り』があるのだろうと思いました。自己と世界の本質は同じ、という古代インド哲学の考え方もありますし、それを洗練させたのが無我や空の概念だと言う人もいます。いずれにせよ、「自分を愛する」という心を広げていくと、その対象は自分より遥かに大きいものになるのでしょうね。

    正直、愛についてあまりよく分かっていないですし、宇宙全史や無明庵を読むのが辛い時も多いのですが、今はそのような捉え方で行動してみたいと思います。いかがでしょうか。

  • #6

    ヤツメカワウソ (木曜日, 21 4月 2022)

    本題から脱線しますが、創造主と被造物(芸術作品から宇宙まで)について質問したいです。
    それについて、宇宙全史BBSで聞いた方がいいでしょうか。それともこのブログで質問しても良いでしょうか。

    連続で質問している形になってしまうので、そこがちょっと気になります。

  • #7

    ヤツメカワウソ (木曜日, 21 4月 2022 09:07)

    補足しますと、自分の作品を大事にしないという癖や、自分の過去の作品が醜く見えて、全て捨ててしまった事などがありました。情と邪悪さに囚われ、子どもを大事にしなかった父方のカルマだそうです(今もどうすれば良かったのか分かりません)。

    その事もあって、「創造主と作品の関わり方」について真面目に考える事があります。
    (他にも色々な理由がありますし、純粋な興味もありますが)

    一応別の質問なので、OKでしたら質問フォームから改めて質問します。

  • #8

    ヤツメカワウソ (月曜日, 25 4月 2022 02:09)

    こんばんは。元の話に戻りますが、今日も気分が晴れないので、五井先生の本を読んでいました。

    「愛が善、情が悪なのではなく、光と影のように愛には情がつきまとう。愛深き人が情に呑まれないように生きるところに美がある」といった記述や、
    「自己を信ずることのできぬ守護霊・守護神の加護を心に念じて、行動していれば、自然に自己の運命に信念がついてくるものである」といった記述を参考にしたいと思います。

    何が正しく、誰が味方なのかわからない人生ですが、不安と絶望に囚われないようポジティブなやり方を見つけていきたいです。

  • #9

    どっぺん (月曜日, 25 4月 2022 18:21)

    宏史さんのNo.3290の質疑応答をご覧下さい。

    虚空蔵55様
    みわ様
    五井先生
    月詠之大神様

    先日ご回答いただいた中で疑問が出てきたのでご指導のほど宜しくお願い致します。

    世界と自らのエゴへの宣戦布告の部分で世界という箇所について非公開情報8のP47の月詠之大神様とのやりとりで

    「世界を信頼すると(世界を)敵に回さなくなるんだよ」

    「自分のね」

    この部分との矛盾を感じどういうことなのかわからず混乱しています。
    世界の定義が違うのかなとも思いましたがきちんとしたことがわからないのでご指導のほどお願いします。


    エゴを相手にする時
    性欲ならSEXをしない自慰をしないそもそもそういったものに近づかない
    物欲なら必要以上のものを持たない買わない。必要のないものを捨てる。
    食欲なら満腹まで食べない。腹6分から腹8分目、体に悪い加工品菓子類等を食べない可能な限り体に良い物を食べるなどなんとなく対処がわかるのですが世界を相手となるとどういったことに注意を払えばいいのでしょうか?
    すべての基本は消えてゆく姿とお祈りで五井先生におまかせすることだとわかってるのですが世界を相手にする時この基本だけ守っていればいいのかどうかお教えください。


    非公開情報8のP116にある陰始への対処の中で

    B・その感情に巻き込まれないために「生きたい」という希望、「生きて好きなことを思いっきりしたい」という前向きな感情を育むこと。

    と書かれてあり、エゴを薄めるのとは逆のように思えるのですがこれはある一定の段階までは育みその段階を超え先を目指す時落としてゆくものと解釈すればよいのでしょうか?
    それともエゴを薄めてゆく段階で本心の思いとして立ち現れてくるものでエゴの思いとは違うものと解釈すべきなのかわかりませんご指導のほどよろしくお願いします。

    2017・1・4



    宏史様

    中々いい質問ですが、質問が明確ではないのでこちらで勝手にまとめてみました

    あなたは

    ●「世界」=「自分」

    というところと

    ●「自分」=「エゴ」

    この等式に矛盾を感じておられるのだと思います

    つまり「世界」を信頼するということは(「世界」=「自分」なので)「自分」を信頼するということだが
    「世界」=「自分」=「エゴ」なのに、それでは「エゴ」を信頼することになってしまう

    それで「世界を敵に回さなくなってしまうのでしょうか」という質問だと思います

    この疑問は非公開情報8のURACHUさんへの回答から来ていますが、この時の月読之大神の意図は、

    「世界を信頼する」いうことは、「自分を信頼する」ということです
    そこではあなたに「自分を信頼できますか」というところが求められます
    つまり「自分を信頼できる」自分でしょうかということです

    もし自分を信頼できないのなら、「信頼できる自分になりましょうね」ということです

    もちろんエゴまみれの自分は信頼などできるわけがありません

    ですからエゴを薄くしていって信頼できる自分になりましょうねということです

    月読之大神の言葉は結構はしょって降ろされて来ます

    「世界を信頼すると(世界を)敵に回さなくなるんだよ」

    これは

    「自分が信頼できるようになると、世界を敵に回さなくなる」

    という意味でもあるのです



    「エゴを相手にする時
    性欲ならSEXをしない自慰をしないそもそもそういったものに近づかない
    物欲なら必要以上のものを持たない買わない。必要のないものを捨てる。
    食欲なら満腹まで食べない。腹6分から腹8分目、体に悪い加工品菓子類等を食べない可能な限り体に良い物を食べるなどなんとなく対処がわかるのですが世界を相手となるとどういったことに注意を払えばいいのでしょうか?
    すべての基本は消えてゆく姿とお祈りで五井先生におまかせすることだとわかってるのですが世界を相手にする時この基本だけ守っていればいいのかどうかお教えください」

    ●すでに答えましたように「世界」=「あなた」ですから、世界を相手にしようが自分を相手にしようが同じことです

    ただセックスをしたいのならすればいいですし、おいしいものを食べたいのなら食べればいいのです

    もちろん腹八分目は大事ですが、多少羽目を外してもいいのです(そうしたければ)

    本当にそういう境涯に至りますと、そもそもセックスをしたいとはあまり思わなくなりますし、腹いっぱい食べたいとも思わなくなります
    そうでない限り無理してそういうことを自分に課してもあまり意味がありませんし、却ってストレスをためることになってしまいます



    「エゴを薄めるのとは逆のように思えるのですがこれはある一定の段階までは育(はぐく)みその段階を超え先を目指す時落としてゆくものと解釈すればよいのでしょうか」

    ●その通りです

    すでに宇宙全史のワークの中では色々書いておきましたが、いつかどこかできちんと整理しなくてはと思っていました


    宇宙全史のワークはかなり特殊な立ち位置にありまして、

    ①精神世界において自らの幸せを求めることを第一義の目的とする
    (この段階は上は神々の覚醒というところまで含みます)

    ②世俗の幸福を求めることを止め、生きるという選択を止め、完全なる無を求める完全覚醒を目的とする
    (ここが一般的な究極の覚醒になります)

    ③完全覚醒のさらなる上位の覚醒を探求する

    これまでの人類史では②までが最上級の覚醒とされていました(というより③の存在自体が不可知のものでした)

    しかし宇宙全史のワークでは①~③までをまかなっています

    ですから皆さんは色々矛盾を感じられたりわけが分からなかったりされるかも知れませんが、一般的には①の覚醒を目指しているとお考えになって結構です
    そうでないと無理軋轢が生じて真直ぐな進化が損なわれてしまいます

    しかしいつか完全覚醒を目指す方が出て来た時に、その選択肢がひとつではないよという指針がここにはあるのです

    その恩寵はおそらく計り知れないと思います

    それにしても

    私はまだ覚醒もしていませんが

    なぜ完全覚醒すらも超えた世界を知り得るのでしょうか

    遊撃手とは

    一体如何なる存在なのでしょうか

    面白いですね


    虚空蔵55

  • #10

    ヤツメカワウソ (月曜日, 25 4月 2022 23:17)

    なるほど、これはすごく参考になります。エゴを薄め、信頼できる自分を目指して、そこから世界も信頼できるようにするんですね。

  • #11

    ヤツメカワウソ (水曜日, 27 4月 2022 03:11)

    『①精神世界において自らの幸せを求めることを第一義の目的とする
    (この段階は上は神々の覚醒というところまで含みます)』

    『ですから皆さんは色々矛盾を感じられたりわけが分からなかったりされるかも知れませんが、一般的には①の覚醒を目指しているとお考えになって結構です
    そうでないと無理軋轢が生じて真直ぐな進化が損なわれてしまいます』

    という技術も参考にしたいですね。宇宙全史を学ぶことに対して、余計なプレッシャーを感じすぎていたかもしれません。

  • #12

    ヤツメカワウソ (木曜日, 28 4月 2022 18:06)

    どっぺんさん、申し訳ないけど僕は、あなたの出した情報が、よく理解できていません。

    僕が自分と世界の両方を信じていた(と思っていた)時期には自分よりも世界に裏切られる事の方が多かった気がします。だから今は世界が信じられません。むしろ世界を信じる事が、自分を危険に晒し、かえって無責任さと愚かさと、自滅も同然の行いを生むと考えてしまいます。

    その結果、ただ単に自分が不幸になって終わるんじゃない。無神経で無責任、エゴに満ちた、傲慢な、恥晒しな、自信過剰な行いを、悪事や失敗を、自分の意志で成したと評価される。それが悲しくて泣いている時に、世界は完全に敵か、無関心な他者のように見える。味方の振りをする事はあっても。

    自分の意志、判断、能力、正義、バランス。何でもいいですが、それを信じる事が世界を信じることにどう繋がるのか分かりません。

    僕は今ここで、どっぺんさんに一文一文を送ることさえはばかられるように感じます。

    僕が僕を信じる事と、他人がどう判断するかはまったく別の事で「低次元な話ばかりするやつだな。無礼だ。質問に答えるのが嫌になる」と思われたって不思議ではないんです(※比喩として)。

    そうやってコミュニケーションを拒絶されて、もはや二度と話す事のない相手が何人もいました。その時は、他人との共存や、歩み寄り、相互理解のための努力が意味を成すと信じていました。

  • #13

    ヤツメカワウソ (木曜日, 28 4月 2022 18:51)

    自分が「安全」だと思った行動が、単に悪い評価を受けるのではなくて、独りよがりな不安や悲しみを生むのでもなく、本物の「危険」に繋がる事も多くありました。心身の危険です。僕はもう二度とそういう目に遭いたくないけど、周囲の人はそんな事なんとも思ってないんです。

    最近はウクライナとロシアのニュースが世間を賑わしています。死んだ人、出血した人、世界的な危機に見舞われた人にはみんな多少のあわれみを向けます。

    でも、出血がなく、生命があり、世界的な危機と関わりのない人に対しては「それくらいの苦しみは誰でもあるよ」と言われてしまいます。親しい人にボコボコに殴られても、牢屋のような場所に閉じ込められても、何が起きてもそんな反応ばかり。

    そして、彼らがいつそういう事をしてくるか分からない。暴力、暴言、支配、脅迫。それは彼らの論理によって正当化される。彼らは(他の悪人を批判し、常識を語りながらも)自分が悪人だとは思っていない。僕には彼ら、つまり僕の味方かもしれない人たちが、全員敵に見える。

    そうして、僕は自分の意志や能力を信じることや、他人に頼ることが「自分の外部にある危険」や「脅威となる存在とのつながり」「誰もフォローできない失敗」を生むのだと考えるようになりました。

    愛を基準に生きるのも難しいです。大体、宇宙全史を何回読んでも「愛」とやらが何なのかを理解する事ができません。サイコパスの行動理念や、エイリアンの言葉ぐらい分からない。僕の理解力不足かもしれませんけど、最初は信じてました。

    「愛について学べば、それが何か分かるだろう」と。
    分かりません。

  • #14

    どっぺん (木曜日, 28 4月 2022 23:43)

    自己憐憫についての御教示です。どうぞお読み下さい。

    「自己憐憫」は人類の最大の敵であり、エゴの中心に位置する最強の暴君でもあるのです。
    「私はよくやっている」
    「自分を認めてほしい」
    「なぜ自分だけほめてくれないのか」
    「私にだけ挨拶をしてくれない」
    「ぞんざいに扱われた」
    「私だけが苦しんでいる」
    「もっといい思いをしたい」
    「もっといい容姿に生まれたかった」
    「もっといい子がほしかった」
    「どうして私にこんなバカな子供が生まれたのか」
    「本当はこんな人生ではないはず」
    そこには「感謝」がないのです。
    生かされてあるということ、日々の当り前に、ただそれだけのことを感謝できないのです。
    私たちは過去生からの因縁で生まれ、生き、死ぬということを繰り返していきます。
    今自分の前に現れている現実は、すべて自分が招いたものだということがわからないからそう思ってしまうのです(つまり今眼前に現れている現実は、自分が招いたものである。そしてそれは今解消すべき時として、縁あってこうして現れているのであるから、学びとして受け止め精一杯の努力で受け止め解消していくということ)。
    その形は私たちが「学習」すべき最も効率的なシステムにもなっています。
    早くさっさと学ぶべきことを学んで次の段階にいけば、もっと軽い生が待っているのですが、それに足枷を強力につけているのが「自己憐憫」というエゴなのです。
    「学ぶべきことを学ぶ」とはまず眼前の現実を受け入れるというところから始まります。
    それがなければ(つまり試験用紙を受け取るということですが)そもそも試験は始まらないのですが、大概の方はこの段階で挫折してしまいます。
    現実を受け止めないのです。
    「何かもっといい世界がどこかにあるはずだ」
    「自分にはいつかきっと王子様が現れて抱っこされてお姫様になる」
    「現実がダメなら精神世界で・・」
    「こんなに苦しんでいるのは、きっと自分には救世のお役目があるに違いない」
    だから皆さん様々な詐欺や怪しげな精神世界、宗教団体に簡単に引かかってしまうのです。
    しかい現実を受け止めると申しましても、ただ受け止めそこから何の努力もしないというのはまたちょっと違います。
    全身全霊でやるべきことをやって、その結果をすべて真摯に受け止める・・それが本来あるべき私たちの姿なのです。
    さてそれではなぜこれほど人類にとって重要なカラクリ(子供にエネルギーをとられるということですが)を仏陀は説かなかったのでしょうか。
    そこからの離脱の仕方は説いておられましたが、その因となるこのシステムについては言及しておられません。
    さらにやがて明らかにされますが、もっと根源的な、もっとおぞましいシステムが私たち人類には枷として課せられているのです。
    それについても仏陀はもちろん(ドン・ファンたち以外は)全く触れていないのです。
    インドの聖者たちも西洋の覚者たちも、中国や日本の覚醒者も言及していません。
    何故でしょうか・・
    その答えは、
    「教えても仕方がない」
    というものでした。
    みもふたもないいい方ですが、仏陀からしますと、
    「その中で学ぶこと」
    「その中でしか学べない魂だから」
    ということなのです。
    地球界という場所はそういうところなのです。
    だからそこからの離脱ということは教えてくださいますが、その意味やそのからくりは「教えても無駄」という感覚なのでしょうか。
    実際にカスタネダはその著書の中で、ドン・ファンの教えとしてこうした多くの秘密を明かしていますが、カスタネダを注目する多くの人たちでさえ誰もそこにはフォーカスしていないのです。
    それはフォーカスしていないというよりは、フォーカスできない・・そこにピントを合わせることが出来ないというのが正確なところなのでしょう。
    このカラクリを見るには、人類の地平から一段高いところから俯瞰しないと見ることはできません。
    そして例え見ることが出来ても(教えられても)それが何を意味するのかが分からないのです。
    仏陀の教えは今回の文明の集大成ですが、それは「今の人類というカテゴリーの中での教え」なのです。
    つまり手枷足枷がある中での人類の進化という限られた教えではあったのです。
    もちろん仏陀は遥かに超越した法を説くことも出来ました。
    しかしあえてそれをしておられません。
    それは仏陀が今の地球という舞台の範囲で人類がやるべきことを説くということに専念されているからです。
    しかし私はまた別な存在なのです。
    私は本来あまり人類というものにフォーカスしていません。
    私の集合魂はそれでも地球界における妖怪たちの指導(あるいはもっと包括的に裏の存在達の指導)という役目を持ってはいましたが、私は特殊な造られ方をした存在ですので、あまりそうしたことに縛られない在り様になっています。
    ここでNo1596のふぁるこんパンチ様への回答となります。
    私は五井先生の弟子ですし、その教えこそが人類成道への大きなカギになると知っています。
    でも私の視点はまた別なところにあるのです。
    ―――――――――――――――――――――――――――――――――――
    「そんな知識や経験が不足すぎる私が、人様にとやかく偉そうなことは言ってはいけないと自覚してますが一言だけ発言させて頂きます。
    >それともこのまま地球も人類も流されるままに滅亡に向かっていくのでしょうか
    知識や経験の量や質を見るに同列とはとても申し得ませんが、お互い何があろうとも五井先生より学ぶもの同士”祈りの力”を信じようではありませんか!
    これまでも何度も祈りの力で世界を破滅の危機から救って頂いた”救世の大光明”の方々の奇跡を今後も信じようではありませんか!
    「世界人類が平和でありますように」
    これこそが五井先生の本願だと確信した以上、私のような凡夫はただその船に乗り、ひたすら世界が平和であることを信じ続けたいと宣言いたします」
    ―――――――――――――――――――――――――――――――――――
    世界中のどこの誰よりも五井先生の世界平和の祈りの力を私は知っています。
    だからこそ皆様にお伝えしているのですが、何度も申し上げますが私の立場はまた別なところにあるのです。
    私とみわは、上の方々の御指導で地球の負荷を解消する方向で頂いております。
    しかしそれは(あくまでも私の感覚なのですが)「人類を救う」とか「地球を大アセンションに導く」というニュアンスではなく、ギリギリのところで人類が学びを得ることが出来るであろう舞台(世界)を残すための微調整という感じがしています。
    (これも私の感覚なのですが)月読の大神ほどの存在なら、いとも簡単に人類くらい覚醒させるのは朝飯前なのです。
    それをあえてなさらないで「学び」という進化にとっては必然のファクターを与えているというのは、どこまでも人類自らが進化という道筋を見つけ、歩んでいくことを望まれているからなのです。
    仏陀や五井先生は「超」お節介屋さんです。
    以前書きましたが、その慈悲は月読の大神が呆れてしまうほどのものでした。
    私はそうではないのです。
    仏陀や五井先生は本当に心底あなた方のことを考えておられます。
    しかし私はハッキリ申しあげてどうでもいいのです。
    人類が滅びようが生き残ろうが知ったことではないのです。
    それは人類の問題なのです。
    そして今、先ほど書いた14%のカテゴリーに入らない人々・・・86%の人たちがこの地球の命運を握っています。
    この方たちが変わらない限り、人類の進化は難しいのです。
    日本はもちろん世界中を見渡しても、その行く末はほぼ絶望的ですが、それでも月読の大神は「そう捨てたものではないよ」とも仰っておられます。
    しかしそこには「世界平和の祈り」という五井先生のメソッドが必須だということもまた事実なのです。
    果たしてどこまで人類は世界平和の祈りを受け止めることが出来るでしょうか。
    ご指摘のように、私のスタンスはこういう言い方に現れています。
    人類が覚醒するかどうかは皆さんの問題なのです。
    だから五井先生の教えを勉強して、世界平和の祈りにかけるしかないのですが、それはもう全身全霊で行い、信じきるしかないのです。
    私やみわは初めから申し上げておりますように救世主などというものではありません。
    皆様方が世界平和の祈りを信じ切って一心に祈ることこそが、まさに皆様方を救うことであり、世界をそのまま成道させることにもなるのです。
    今は86%の人々に、ニサルガの実存がどうのとか、ドン・ファンの戦士の道などを説いてもあまり意味がないのです(やはり段階を経ないと理解できないということがあります)。
    もちろん私はこれからもニサルガとの対談やお約束しているカスタネダとの対話という本を書いていくでしょう。
    しかしそれはあくまでも14%の方たちの覚醒のためであり、人類を導いていこうとする60万人の中にいる崇高な使命を持った方たちへのメッセージとなるものなのです。
    私もみわもこのワークが終われば、一陣の風が巻き起こす道端の埃のように消えていきます(みわの方が私よりも少し先に行くようですが・みわというよりアンドロメダといった方が正確でしょうか)。
    私たちのワークは来るべき人類の新たなる世界の礎となるべく定められています。
    皆様の運命は皆様が選ぶのです
    虚空蔵55

  • #15

    ヤツメカワウソ (金曜日, 29 4月 2022 13:18)

    分かりました。今すぐ「そうですね」とは言えませんが、色々考えようと思います。

    一つの視点として、僕は自分に対して美徳を強要していたんじゃないかと思いました。忍耐や礼儀、感謝など。感謝というと「感謝を強要された経験」がよく思い浮かびます。それを引きずり、自分の本心じゃなくても感謝しようとするので、かえって感謝の念が無くなる。納得してないのでカルマの解消にも繋がらない。自己憐憫が本心になる。

    その現状を認識して、お祈りしたいと思います。

  • #16

    ヤツメカワウソ (金曜日, 29 4月 2022 13:25)

    それで構わないでしょうか。

  • #17

    どっぺん (金曜日, 29 4月 2022 17:35)

    はい。

  • #18

    ヤツメカワウソ (土曜日, 30 4月 2022 02:44)

    ありがとうございます。

  • #19

    ヤツメカワウソ (月曜日, 09 5月 2022 04:24)

    実を言うと宇宙全史の考え方にはまだ納得していませんが、少しずつ状況を変えているところです。

    まず、「現実を受け止める」「生かされてあるという日々の当たり前に感謝する」というのは相当難しいです。

    生存している事は当たり前ではなく、ナイフを首元に突きつけられたまま生きているような感覚がずっと続いています。世界に対する不信感や怒りや悲しみはなかなか消えませんし、怒っている時に感謝をするのは難しいです。

    それでも家族や街の人々、地球上の様々な命に生かされているのは現実ですから、ある程度周りに感謝しようと思いました。例えば、家族への怒りは家族にきちんと伝えるけど、それはそれとして家事やお使いをやるといった具合です。

    それから、自己憐憫とは表裏一体のモノだと思いますが、たまには未来の自分を信じようと思いました。

    僕個人の精神構造としては、過去の自分を恨むことよりも、憐れむ事の方が多いです。だから今も、過去の自分を癒せるような試みをずっとしています。それは依存症や怒り・恨みなど、悪い事にも繋がりますが、お祈りや勉強なども同様の動機でしています。

    見方を変えれば、未来の僕も、過去の自分を励まし、癒すために努力しているはずです。

    「どれだけ責任を持って行動しようとしても、結果的には未来の自分を追い詰める事に繋がりかねない」

    「しかも、それは自分の無責任さや愚かさゆえとして、周囲からアンフェアな罰を食らったり、助けをもらうどころか見放されるきっかけとなる。そんな時は、どれだけ筋を通しても頑張ってもダメだ」

    というのが僕の苦しさでしたが、後悔はあっても自責の念は要らないのかもしれません。

    このように考えました。宇宙全史講師のどっぺんさんとしてはどのように思いますでしょうか。

  • #20

    ヤツメカワウソ (月曜日, 09 5月 2022 04:27)

    お祈りをする意欲は、正直薄くなっていますが、ある程度継続しようと思っています。生かされている事への感謝にも繋がるでしょうし。

    ただ、祈りたくない時に無理に祈るのが嫌なので、最近の祈りの頻度は本当に少なくなっています。

  • #21

    どっぺん (月曜日, 09 5月 2022 21:11)


    「まず、「現実を受け止める」「生かされてあるという日々の当たり前に感謝する」というのは相当難しいです。
    生存している事は当たり前ではなく、ナイフを首元に突きつけられたまま生きているような感覚がずっと続いています。世界に対する不信感や怒りや悲しみはなかなか消えませんし、怒っている時に感謝をするのは難しいです。」

    これは本当におっしゃるとおりだと思います。楽に出来ることでは無いでしょう。

    「それでも家族や街の人々、地球上の様々な命に生かされているのは現実ですから、ある程度周りに感謝しようと思いました。例えば、家族への怒りは家族にきちんと伝えるけど、それはそれとして家事やお使いをやるといった具合です。」

    ヤツメカワウソさんは、自分の状態や状況をつかむ能力が長けておられます。

    「それから、自己憐憫とは表裏一体のモノだと思いますが、たまには未来の自分を信じようと思いました。
    僕個人の精神構造としては、過去の自分を恨むことよりも、憐れむ事の方が多いです。だから今も、過去の自分を癒せるような試みをずっとしています。それは依存症や怒り・恨みなど、悪い事にも繋がりますが、お祈りや勉強なども同様の動機でしています。」

    過去の自分を癒やすことが未来の自分をよりよいものにしていくでしょう。

    「見方を変えれば、未来の僕も、過去の自分を励まし、癒すために努力しているはずです。
    「どれだけ責任を持って行動しようとしても、結果的には未来の自分を追い詰める事に繋がりかねない」
    「しかも、それは自分の無責任さや愚かさゆえとして、周囲からアンフェアな罰を食らったり、助けをもらうどころか見放されるきっかけとなる。そんな時は、どれだけ筋を通しても頑張ってもダメだ」
    というのが僕の苦しさでしたが、後悔はあっても自責の念は要らないのかもしれません。」

    大変視野の広い見方と思います。

    「お祈りをする意欲は、正直薄くなっていますが、ある程度継続しようと思っています。生かされている事への感謝にも繋がるでしょうし。
    ただ、祈りたくない時に無理に祈るのが嫌なので、最近の祈りの頻度は本当に少なくなっています。」

    ここが肝心なところで、お祈りを続けて、お祈りによって、上に述べておられる問題が生じているカルマを解消することが、すべき唯一の解決策です。これは間違いありません。やるしかないのです。宇宙を統べておられる五井先生がお導きになられない筈がありません。これが分かれ目です。

  • #22

    ヤツメカワウソ (火曜日, 10 5月 2022 05:53)

    なるほど…
    なかなか時間がかかりそうですが、少しずつ頑張っていきたいと思います。

    おかげさまで、質問を書いた時よりはずいぶん楽になりました。ありがとうございました。